第4話 手

 お蘭が眉間にしわを寄せながら言った。


 「仕方がないですね。では簡単に説明しましょう。江戸で奇妙な事件が起こっているのです」


 「奇妙な事件?」


 「ええ、四、五日前から上野の寛永寺さんに幽霊がでるそうなんです。それも奇妙な幽霊で・・夜、道を歩いていると、壁から手が出てきて首を絞めるというんです」


 手の幽霊なんて聞いたことがない。俺は首をひねった。


 「壁から手が?」


 お蘭が頷いた。


 「ええ。で、気味が悪いというんで、町方では柳田銀ノ進という手練てだれのご浪人に幽霊退治を頼んだそうなんです。それで、そのご浪人が昨日の夜、寛永寺さんの境内を一人で見回っていたんですが・・逆に幽霊に嚙み殺されんです」


 「噛み殺された?」


 「そうです。寛永寺の境内にある涼泉院りょうせんいんさんというお寺の前で、首を食いちぎられたそうです。恐怖にひきつった首が、刀を握ったまんまの死体のそばに転がっていたとか・・。番所の親分連中は『これは刀の傷じゃねえ。こんな殺しは人間にはできねえ』って言ってるそうです。それで、上野の辺りでは今日は朝から大変な騒ぎになっていたんですよ。で、今夜、さっそく涼泉院さんに行ってみたいんですが・・」


 俺は幽霊なんてものが大嫌いだ。恐る恐るお蘭に聞いた。


 「まさか、その幽霊退治を俺に手伝わせようってんじゃあ・・?」


 お蘭が笑った。


 「その通りです。この支部は今、私以外全員が出払っているんです。今年、つまり西暦1744年に、江戸を含めた世界中で巨大な彗星が観測されました。で、本部からの指示で・・みんなはその彗星の影響を調べるために各地を飛び回っていて、江戸にはすぐに戻れないんです。それで、本部に相談したら、令和の東京の支部から応援をよこすと言ってくれたんです」


 俺の身体が震えた。


 壁から手が出て・・


 手練れの浪人者が首を食いちぎられたぁ・・


 自慢じゃないが、俺は腕力にはまるで自信がない。今はお蘭に着替えさせられて・・大小の刀を腰に差しているが、剣道なんてやったことがないし、真剣の刀なんて握ったことすらないのだ。


 今まで時間管理局の職員として、俺がやってきた仕事は・・いわゆる調査仕事ばかりだった。こんな荒仕事は経験がない。しかも、江戸の浪人者でさえ首を食いちぎられた幽霊退治だなんて・・令和の東京の下町で、平和に旋盤工をやっている俺には荷が重すぎる。


 そんな俺の怯えが・・お蘭に分かったようだ。


 お蘭がすがるような眼を俺を見た。


 「この支部が始まって以来、こんな奇妙な幽霊騒ぎは初めてです。私は支部長として、この事件を解決しなければなりません。源四郎さん、お願いです。私を助けてください」


 俺はお蘭の眼に吸い込まれそうになった。


 思わず・・俺の意思に反して・・俺は頷いていた。


 お蘭が安堵の声を上げた。


 「良かった。源四郎さんが助けてくれて・・うれしい。もうすぐ日が暮れます。では、すぐに上野の涼泉院さんに行きましょう」


 お蘭が俺の手を取った。


 俺の頭に大将の言葉が蘇った。


 別嬪べっぴんだからって・・源、羽目を外すんじゃねえぞ・・


 だが、もう遅い・・


 手の幽霊を退治することになるなんて・・


 こりゃあ、いくらなんでも、羽目が外れすぎだ。

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