第3話 江戸・延享元年(1744)

 俺たちは時間管理局の職員だ。


 タイムマシンが発明されて・・過去に戻って歴史を変えようとする不届き者や、過去や未来に逃げる犯罪者が出現した。時間犯罪者だ。それを取り締まるために、世界規模で時間管理局という組織ができた。各地域、各時代ごとに支部が置かれている。


 俺たちは・・大将、女将さん、俺の3人で・・東京NRZ998支部を構成している。大将が支部長、女将さんが副支部長だ。昭和の終戦後から平成、令和の日本を監視するのが役目だ。


 出張で他の時代に行くことはたまにあるが・・俺は江戸時代に行くのは初めてだった。しかも、緊急事態なんて・・経験したことがない。


 各支部で起こった事件は、各支部で対処するのが原則だが・・今回のような緊急の場合は、本部が俺たちのような暇な支部に応援を指示してくるのだ。


 俺がスタートを押すと、明かりが消えた。部屋がガタガタと揺れた。頭から血が引いていくような感覚に襲われる。気が遠くなりそうな感覚だ。俺は暗闇の中で、壁に手をついて倒れそうになる身体を支えた。俺はこの感覚が苦手だ。


 少しすると・・俺の意識が途絶えた。この間に、一種の睡眠学習が行われる。つまり、俺がこれから行く江戸のことを、俺の脳が学習しているわけだ。


 やがて、夢から覚めるように俺の意識が戻ってきた。真っ暗な中で・・相変わらず、俺は突っ立ったままだった。血が引いていくような嫌な感覚が次第に薄れて・・部屋の振動が止んだ。明かりが灯った。


 眼の前に狭い隙間が見えた。隙間の向こうを紙が覆っている。俺は紙をめくると・・身体を斜めにして、隙間から向こう側へ抜けた。


 そこは・・床の間だった。鶴亀の掛け軸があって、それが隙間の前に掛かっていたのだ。床の間の前は畳になっている。俺は靴を脱いで床の間に置くと、畳の上に立った。


 十畳ほどの和室だった。部屋の隅に行灯があって、その横に娘が座っていた。後ろ髪を二つに割って丸くまとめ、桃の形に似せた髪型をしている。即席の学習をした俺の頭に、桃割ももわれ髪という言葉が浮かんできた。小花柄の小紋こもんを着て、紅色の半幅帯はんはばおびを片流しに締めている。美しい娘だ。まだ若い。年は俺より少し下だろうか?


 娘が俺に微笑んだ。


 「江戸、BGX258支部へようこそ。ここは・・お江戸は日本橋、呉服町新道にある永禄屋という呉服問屋の離れです。私は永禄屋の娘で、支部長のお蘭。今は延享えんきょう元年、西暦で言うと1744年。八代将軍・吉宗の治世の終わりごろです」


 俺はしどろもどろに答えた。


 「俺は、東京・・NRZ998支部の村越源四郎・・令和8年、2026年から来ました」


 お蘭が部屋のふすまを開けると、衣装籠を取り出した。


 「村越源四郎さんですね。では、源四郎さん。急いで、この籠の中の若侍の衣装に着替えてください」

 

 俺は言われるままに、衣装を着替えた。お蘭が着替えを手伝ってくれた。


 まもなく、江戸の若侍が出来上がった。頭には丁髷ちょんばげかつらをつけて、鼠色の小袖に黒の行灯袴あんどんばかま、腰には紺の角帯かくおびに大小の刀、足元は白足袋という出で立ちだ。お蘭が最後に片喰紋かたばみもんのついた深緑の羽織を俺に掛けてくれた。


 お蘭が俺を眺めた。


 「よくお似合いです。どこから見ても、お江戸の若侍ですよ。では、源四郎さん、行きましょうか?」


 俺は慌てた。


 「行くって・・どこへ?」


 お蘭が目をぱちくりさせた。


 「あなたの支部へデータを送ったはずですよ。読んでいないのですか?」


 俺の頭にラーメンを頬張る大将の顔が浮かんだ。


 ちくしょう、大将のヤツめ。パソコンのデータを俺に説明するのを忘れやがったな。


 俺の腹がグゥと鳴った。


 こんなことなら、ラーメンを食ってくりゃあよかった・・

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