第2話 まざる
翌日の放課後、ボクはわりと慎重に昇降口を歩いた。昨日の黄色い凶器はすでになかったが、世界には思ったよりバナナがある気がしてならない。人間、一度妙な事故に遭うと同じ種類の偶然がどこかに潜んでいる気がして警戒の感度が上がる。
案の定というか、予想外というか、昇降口の影に詩成がいた。例のスケッチブックとペンケースを小脇に抱え、壁に背中を預けている。
待っていたふうでも、待っていないふうでもある。そういう曖昧さが似合う顔だった。
「……来た。」
ボクは来たくて来たわけでも、来ないつもりでもなかった。ただ家に帰る途中で、たまたまここを通っただけだった。だが、とりあえず今日も巻き込まれることが決まった。
「昨日のやつね……もう展示考えてる。」
「展示?」
「校内展、美術部の。……毎年六月。」
「六月って、まだ先じゃん?」
「……今からやる。……遅いくらい。」
詩成は当たり前のように歩き出した。
ボクも当たり前のように付いていった。
流れに逆らう理由を思いつけなかっただけかもしれない。
美術室は体育館の裏手にある。
木製の引き戸がキシと音を立てて開き、塗料や油脂のにおいが流れ出す。
立て掛けられた未完成のキャンバスが並び、部員らしき何人かが黙々と作業していた。
詩成に連れられて、部外者のボクがその中に混ざるのは、やや分が悪いと思ったが。知らない部員たちの視線は、薄く、一定であり、排除も歓迎もされない場所は、案外居心地が良かった。
「あの……紹介。昨日転んだ人。事故係。」
「説明の仕方雑だろ!」
「雑じゃないし……本質。」
その言葉がまだ着地しきらないうちに、詩成は机にスケッチブックとペンケース、それから新しい紙を乗せた。
「校内展、テーマ自由。……私は“ズレ”で行く!」
「ズレ?」
「うん……世界って、だいたいズレてるし。」
詩成が言うと、説得力が少しだけ出るから不思議だ。
部長らしき男子が声をかけた。
「その子、入部希望~?」
「……希望ではないよ。」
詩成に即答された。
「……でも必要。展示の一部。」
「それ、どういう立場~?」
「……事故係。」
「係として成立してんのか~それ。」
「成立させる……作品で。」
部長はこれで納得したのか、細かいことは気にしない主義なのか、席に戻っていった。
ボクは事故係として、美術部の空気に組み込まれたらしい。
詩成は机に広げられた新しい紙に視線を落とした後、俺の方を見た。
「……ちょっと、手、貸して。」
「今度は何すんの。」
「紙、折って。ランダムに……強めに。」
言われるがままに紙を折る。
真ん中で折り、角で折り、斜めに折り、捻ったら怒られた。
「あー……捻りは違う。破綻。破綻はまだ先。」
「ルールあるんなら先に言ってくれよ。」
「偶然は、ルールの中で起きるほうが……面白い!」
その発言は、ボクの人生にとっては割と大事なヒントみたいに聞こえた。とはいえ詩成の言う変な事を深く考えると負けな気がした。
折り目を伸ばすと、紙には奇妙な地形が現れた。詩成は折り目に沿って線を引き、建物や信号機を描き足していく。
地図というより、迷路に近い。
「これも展示?」
「……かもね。まだ決めてない。決めないで作るの好き……。」
「ボクは決めないで生きてるけど。」
「……それも展示っぽいね。」
「展示される人生は嫌なんだけど。」
「そう……?面白いよ。」
と、そのとき。ボクのスマホが震えた。
ロック画面が文字で埋まり、コメントといいねの数が増えていく。経験したことのない、異様な通知数だった。
「なにそれ……。」
詩成が覗き込む。
「昨日のバナナ転倒、だと思う。」
通知元の動画を開くと、見覚えのある昇降口。
ボクが、目の前の黄色に気づかず、予想外の速度で前方に滑り出し、スケッチブックに顔面から突撃するまでの映像が、第三者視点で撮影されていた。妙に音がよく、衝突の「ベシッ」が臨場感たっぷりだ。
コメント欄は想定外に平和だった。
『滑り方が物理的に正しい』『人生はだいたいこうだよな』『スケブに吸い込まれてて草』『音が好き』『ここ昇降口やんけwwwそんなバナナww』『バナナは偉大』
バズるとはもっと残酷なものかと思っていたが、今回は妙に哲学的だった。ひとまず炎上していないことに胸を撫で下ろした。
しかし再生数はすでに二万を超えている。
ボクはそんなに面白い転び方をしたのか。
「……いいね、これ!」
詩成は動画を二回繰り返して見た。
「いや、よくないけど?」
「……ある種のドキュメンタリーだよ。偶然と必然の衝突。音もいい。バナナと紙の二重奏!」
「二重奏ではない。」
「これは……展示の、素材になる!」
「素材にすんな!」
「美術はぁ、だいたいをぉ素材にする。」
部員の一人が横から言った。
「この動画ぁ、校内展でぇループ再生したらぁ普通にウケると思うよぉ。」
「……だよね。」
詩成は当然のように同意していた。
事故係としての立場が強化されていくのが感じられた。
「キミ、タグ付けされてるけど投稿主に、連絡すれば……?」
「誰だよ、そいつ。」
「うーん……アカウントを見るに、二年の写真部っぽいね。」
こういう時の詩成は冴えている。事故の処理と素材の取得が同レベルで扱われる世界とかモ○ハンかよ、と一瞬にして晒し者になったボクは心の中で悪態を吐いた。
その後は紙を折り、線を引き、迷路のような街がまた一枚増えた。
動画の再生数は、詩成の作業が終わる頃には三万を越えていた。
「展示と生活が混ざるの……好き。」
詩成はいそいそとペンをしまいながら言った。
「生活が素材になるのは、なった身からすれば
ナンカ嫌だな。」
「……嫌なままでいればいいよ。嫌なものは作品にすると面白いから。」
言い捨てるようにして、詩成はカバンを肩にかけようとした。
「あ……そうだ、これ。」
カバンのポケットから、黒い、モヤモヤした絵が描かれたチケットを取り出した。市立美術館の学生無料券だった。
「今週末、ここの企画展行く。……たぶん一人だと寝るから。」
それをボクに渡す。
「……付き添い。事故係兼、起床係。」
「責任増えてるじゃん!」
彼女はそれ以上説明しないまま帰ろうとした。
「ちょ、ちょっと待てよ、そもそも寝るな――」
「……ごめん、前みたいに遅くなると親がうるさいから。」
そう言い残して、焦ったように詩成は去った。
引き戸の軋んだ後、部屋には静かな制作の音だけが続いた。
ボクは部外者のまま席に残された。
部員の誰も排除しないし、歓迎もしない。その曖昧さがむしろ心地よかった。
たった一枚の紙を折っただけなのに、放課後の形が少し変わる。誰かの作品に巻き込まれるということは、人生が勝手に編集されるということらしい。
編集の結果がどこへ行くのかは、まだ全然分からない。
滑った軌道の中心で君が笑った 円藤リリカ @mezamasiririri
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