第10話 再教育と再構築


 床に崩れ落ちた義父・昭三の背中は、今まで見たことがないほど小さく見えた。


 周囲の客たちの視線は、もう軽蔑から「哀れみ」へと変わっていた。  自分が信じていた「昭和の威厳」が、令和の世の中では通用しないことを、これ以上ないほど残酷な形で突きつけられたのだ。


「……お義父さん」


 私は義父の前に屈み込み、静かに、しかし有無を言わせぬ調子で声をかけた。


「立ってください。そして、やるべきことをやりましょう」


 義父は力の入らない足で、ヨロヨロと立ち上がった。  その顔には、もう覇気はない。誠に「縁を切る」と言われたショックで、魂が抜けたようになっている。


「店長さん」


 私が手招きすると、店長さんが恐縮しながら近づいてきた。


「お義父さん。謝ってください。土下座なんていりません。ただ、人として当たり前の謝罪を」


 義父は唇を震わせ、店長を見、私を見、そして最後に誠を見た。  誠は無言で、厳しい眼差しを向けている。逃げ場はない。


「……す、すまんかった」


 蚊の鳴くような声だった。


「聞こえません」


 私は即座に却下した。


「何を、誰に、どう悪かったのか。主語と述語をはっきりさせてください」


 義父は顔を真っ赤にして、拳を握りしめた。屈辱だろう。プライドがズタズタだろう。  でも、それを飲み込むのが「更生」の第一歩だ。


 長い沈黙の後、義父は深々と頭を下げた。


「……店長さん。言いがかりをつけて、すみませんでした。肉は……立派でした」


 店内に、安堵の空気が流れた。  店長さんは優しく微笑んだ。


「分かっていただければ結構です。お客様、お肉が冷めてしまいますよ。どうぞ、召し上がってください」


 その寛大な対応に、義父はさらに身を縮こまらせた。  自分がいかに幼稚だったか、相手がいかに大人だったか。それを痛感したのだろう。


 ◇


 食事会――というより「断罪会」が終わり、店を出た後のことだ。


 私は義父を逃がさず、近くのベンチに座らせた。  誠も隣に立つ。  ここからが本番だ。


「さて、お義父さん」


 私はスマホを取り出し、メモアプリの画面を見せた。


「誠との絶縁を回避したいなら、以下の条件を飲んでもらいます」


「じょ、条件……?」


「はい。名付けて『昭和脱却・現代社会適合プログラム』です」


 私は淡々と読み上げた。


一、店員へのタメ口、説教、クレームの禁止。 一、もし不満がある場合は、その場で言わず、必ず一度持ち帰って私か誠に相談すること。 一、アンガーマネジメント(怒りの抑制)に関する指定図書を読み、感想文を提出すること。 一、これらが守れると私たちが判断するまで、一人での外食を禁止する。


「な、なんだそれは! 感想文だと!? 俺を子供扱いする気か!」


 義父が反論しようとしたが、すかさず誠が口を挟んだ。


「嫌ならいいよ。その代わり、二度と連絡しないでくれ。俺たちは着信拒否にするし、引越しもする」


 誠の冷たい一撃に、義父は「うぐっ」と言葉を詰まらせた。  今の彼にとって、息子に見捨てられることは死に等しい恐怖なのだ。


「……わ、分かった。やりゃあいいんだろ、やりゃあ」


「『やります』ですね?」


「……やります」


 義父はがっくりと肩を落とした。  その姿は哀れだったが、同情はしない。これは彼が快適な老後を送るためにも必要な手術なのだ。


「じゃあ、今日は解散です。気をつけて帰ってくださいね」


 トボトボと夜道へ消えていく義父の背中を見送り、私と誠は二人きりになった。


 張り詰めていた糸が切れ、大きなため息が二人同時に漏れた。  顔を見合わせ、プッと吹き出す。


「……凄かったな、美咲は。あの店中で挙手させた時、ジャンヌ・ダルクかと思ったよ」


 誠が苦笑いしながら言った。


「そう? 必死だっただけよ。……それより、誠」


 私は誠に向き直り、真剣な顔をした。


「見直したよ。最後のあれ、かっこよかった」


 誠は照れくさそうに鼻をかき、夜空を見上げた。


「……怖かったよ。足なんかガクガクだった。でも、美咲がいなくなる方がもっと怖かったから」


 彼は私の手をそっと握った。


「ごめん。今まで一人で戦わせて。これからは、俺が盾になるから」


「うん。期待してる」


 握り返した手の温もりが、今までよりもずっと力強く感じられた。  私たちは本当の意味で、ようやく夫婦になれた気がした。


 ◇


 数ヶ月後。    休日のファミレスにて。  私たちのテーブルには、眼鏡をかけてしかめっ面で本を読む義父の姿があった。  手には『怒らない技術』というビジネス書。


「……『怒りは六秒でピークを過ぎる』……本当かこれ」


「本当ですよ。だから店員さんにムカついたら、心の中で六つ数えてくださいね」


「ぶつぶつ……」


 文句を言いながらも、義父は大人しく従っている。


 店員さんが水を運んできた時、義父は一瞬「遅い!」と言いかけたが、私の視線と、誠の咳払いに気づき、グッと堪えた。  そして、ぎこちなく言った。


「……あ、ありがとう」


 店員さんはニッコリ笑って去っていった。  義父はバツが悪そうに水を飲んだが、その表情は以前のような険しい鬼の形相ではなかった。


「やればできるじゃないですか、お義父さん」


「ふん。まあな」


 人は簡単には変われない。  染み付いた昭和の価値観が完全に消えることはないかもしれない。  でも、少しずつならアップデートできる。    私はメニューを開きながら、隣の夫と顔を見合わせて微笑んだ。


 私たちの戦いは終わった。  いや、これからは「教育」という名の、少しだけ騒がしくて温かい日常が続いていくのだ。


 カスハラ義父の尻拭いは、もう卒業。  これからは、私たちの手で、新しい家族の形を作っていく。


(了)

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「お客様は神様だろ!」と怒鳴るカスハラ義父。夫が震えて動けないので、店員も客も全員味方につけて「公開処刑」したら、夫が覚醒して絶縁宣言してくれました 品川太朗 @sinagawa

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