第9話 選択の時
「……おい、誠」
四面楚歌の状況に陥った義父が、縋るように視線を向けた先。 それは、唯一の身内であり、長年支配下に置いてきた息子――誠だった。
「お前なら分かるよな? こいつらがおかしいんだ。集団ヒステリーだ」
義父の声は震えていたが、そこにはまだ「息子なら自分の味方をして当然だ」という甘えと確信があった。
「ほら、言ってやれ。『親父は悪くない』って。美咲にも言ってやれ、『こんな恥ずかしい真似はやめろ』って!」
誠の肩が、激しく跳ねた。 彼の顔色は紙のように白い。全身が小刻みに震えている。
長年刻み込まれた恐怖の条件反射。 父の命令は絶対。逆らえば死。そんな強烈な刷り込みが、彼を縛り付けているのが手を取っている私には痛いほど伝わってきた。
私は、誠の冷たい手を両手で包み込み、ギュッと力を込めた。
「誠」
私は、震える彼の瞳を覗き込んだ。
「見て。お義父さんはもう、絶対的な王様じゃない。ただの裸の王様よ」
誠の視線が彷徨う。
小さく縮こまり、脂汗を流して狼狽える老人。それが今の義父の姿だ。 かつて彼を怒鳴りつけ、人格を否定し、恐怖で支配していた巨人の面影は、もうどこにもない。
「選んで、誠」
私は最後の「踏み絵」を突きつけた。
「過去に縛られて、あの人と一緒に沈むか。 私と手を繋いで、未来を生きるか。 ……あなたが決めて」
誠の呼吸が荒くなる。 彼は義父を見つめた。
義父は必死な形相で「おい! 早くなんとかしろ!」と喚いている。その醜悪な姿が、誠の瞳に映る。 誠の口唇が動いた。
「……と……」
「ああん? 聞こえねぇよ!」
義父が苛立ちを露わにして威嚇した。その瞬間。
バシッ!!
誠が、自分の太腿を拳で殴った。 痛みで震えを止め、自分を鼓舞するように。
そして、彼はゆっくりと、しかし確実に顔を上げた。 その目には、涙が溢れていたが、もう逃避の色はなかった。
「……父さんが、悪いよ」
静かな、けれどはっきりとした声だった。 義父が口をあんぐりと開けた。
「な……なんだと?」
「父さんが悪いんだ!!」
誠が叫んだ。 それは、生まれて初めて彼が父親に向けた、魂の咆哮だった。
「店長さんに謝れよ! 美咲にも謝れ! みんなに迷惑かけて……恥ずかしいのは父さんの方だろ!」
店内に、誠の悲痛な叫びが響き渡る。
義父は雷に打たれたように硬直している。まさか、あの臆病な誠が、自分の所有物であったはずの息子が、こんな公衆の面前で牙を剥くとは夢にも思っていなかったのだろう。
「き、貴様……誰に食わせてもらって大きくなったと……」
「そんな昔話はどうでもいい!」
誠は涙を流しながら、それでも一歩も引かなかった。 彼は私の手を握り返してきた。痛いほど強く。
「俺はもう、父さんの操り人形じゃない。俺には守らなきゃいけない家族がいるんだ」
誠は私を見た。 「ごめん」と口パクで言い、再び義父に向き直る。
「父さん。これが最後だ」
誠の声のトーンが、ストンと落ちた。 それは覚悟を決めた男の、冷徹な響きを含んでいた。
「今ここで、自分の非を認めて謝罪できないなら。心を入れ替えて、二度とこんな真似をしないと誓わないなら……」
誠は深く息を吸い、宣告した。
「俺たちは、あんたと縁を切る」
「え……」
義父の喉から、ひきつった音が漏れた。 縁を切る。 古い価値観で生きる義父にとって、跡取り息子からの絶縁宣言は、死刑宣告にも等しい衝撃だったはずだ。
「孫ができても会わせない。老後の面倒も見ない。葬式にも出ない。他人として生きていく。……本気だぞ」
誠の目は、据わっていた。 そこにはもう、怯え震える少年の姿はなかった。
義父の膝がガクガクと震え、支えを失ったように床に崩れ落ちた。
周囲の客から「そうだ!」「よく言った!」という拍手は起きなかった。 ただ、厳粛な静寂が、義父の敗北を決定づけていた。
私は心の中で、夫に最大の賛辞を送った。
よくやった、誠。 あなたは勝ったのよ。自分の過去に。
そして私は、崩れ落ちた義父の元へゆっくりと歩み寄った。
ここからは、仕上げの時間だ。 「ざまぁ」で終わらせない。二度と同じ過ちを繰り返させないための、徹底的な「再教育」の始まりだ。
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