濡れ手であわあわ
桐沢清玄
多感で多汗な、私の青春
もし、嫌いな言葉を一つ挙げるとしたら──そんなの、決まり切っている。
私にとって、呪いのようなことわざ。
『名は体を表す』
……これほど、残酷な言葉があるだろうか。
特にそう、人の名前だ。
生まれてくる人間は、自分の名前を自分で付けることが出来ない。
この世に生を受けること自体が最初の理不尽だとしたら、二つ目が名前だ。
──あなたには、こんな風に育って欲しい。
一般的な家庭と同じように、私の名前も願いが込められている。
ただ、それを私が望むか、受け入れるかは別の話。
なぜなら、私は……。
「おーい、
「……あっ、うん。 こっ、こんなの、簡単だし……」
両手に収まっているのは、何の変哲も無いトランプ。
家庭科部の私たちは、今日は予定が潰れて自由行動。
なので部活仲間のみんなと、ババ抜きで遊んでいた。
久し振りにやると、結構楽しい。
意を決して、いざシャッフル。
──つるっ。
──つるっ、つるっ。
「ふひゃははっ! やっぱあんたのそれ、マジおもろいって!」
こいつは、昔からの付き合いだから別に良い。
他のみんな、ちょっと笑いすぎじゃない!?
そりゃまあ、見た目的に面白いだろうけどさあ……。
大量の手汗。
トランプを掴もうとする私の手は、虚しく空を切っていた。
これが
シャッフルどころか、肝心のババ抜きでさえ散々だった。
カード遊びに飽きた女子中学生の集団は、恋バナに興味が移っていた。
思春期真っ盛り、恋せよ乙女ってね☆
「そういえば愛羽、あんたいつ沢谷くんに告白すんの?」
「ちょっ……! べ、別に私、そういうのじゃないって……!」
同じクラスの、
入学当初からずっと、気になってる男の子だ。
正直、めっちゃ好き。
付き合いたくないのかと言われたら、もちろん付き合いたい。
……でも、勇気が出ない。
だって私、汗っかきだし。
仮に……仮の話だよ?
もし、付き合うことになって、デートに行ったとするでしょ?
その時、手なんか繋いじゃったら──嫌われちゃうもん。きっと。
「……まーたあんたはそんな顔して! 分かりやすいんだっつうの」
ほっぺをむにむにされながら、みんなでこっそり持ち込んだお菓子に手を伸ばした。
甘酸っぱいグミ。せめて味覚だけでもいいから、青春しとこっか。
次の日、体育の時間。
汗まみれになりながら、校庭を走っていた。
自分で言うのもなんだけど、体力は女子の中ではそれなりだと思う。
うちの家は、長女の私以外みんな弟。
子供の頃、三人の弟に付き合って外で遊んだおかげかな。
運動部の子に勝たないように気を遣いながら、それなりの順位でゴール。
座ってしばらく休んでいると、付き合いの長い友人もようやくゴールした。
息も絶え絶えといった感じで、私の隣に座った。
「っだはぁーー! 無理、もう無理! あっ、ちょっと塩分補給させてもらうわ」
「うぎゃあっ! ……あんたねえ、流石にどん引きなんですけど!?」
体をなぞる、生暖かい感触。
こいつ、いきなり私の手を取ったかと思ったら、手のひら舐めてくるし。
また始まったよみたいな感じで、みんなは笑ってる。
多分、私が孤立しないようにしてくれてるんだろうね。
いつもありがとう。……面と向かっては恥ずかしいし、心の中でだけど。
放課後、家庭科部のみんなとテスト勉強をした。
かなり捗ったけど、外は結構暗くなってる。
自転車置き場に向かう途中、体育館を通りがかった。
シューズと床が擦れる音と、ボールが叩きつけられる音。
バレーボール、かな?
なんとなく気になった私は、入り口からそっと覗いてみた。
(……沢谷くんだ! そっか、そういえば男子バレー部だったね)
他の部活の子とか、バレー部の部員は帰ったみたい。
一人で残って練習かあ。これも青春だよね、うんうん。
ボールがこっちに転がってきて、沢谷くんが駆け寄ってきた。
私の方が近いし、ついでに掃除とか片付けとか手伝おうかな。
……べ、別に下心とか、全然無いし。
「はい、沢谷くん。練習、頑張ってて偉いね」
「あれっ、濡島さん? こんな時間まで学校いるなんて、珍しいね!」
ボールを沢谷くんに渡して、渾身のスマイル。
家庭科室を出る前、あぶらとり紙で顔拭いてきたから大丈夫でしょ。
あっ、口元にチョコとか付いてたらどうしよう。チェックしとくんだった……。
「部活のみんなと、テスト勉強してた。……ちょっとだけ、見学してもいいかな?」
「バレー、興味あるの?」
「そ、そんな感じかな」
興味があるのはあなたです。
I wanna be together! 愛羽だけに……なんちゃって。
それからの時間は、夢のようだった。
汗できらきら輝く沢谷くん、尊すぎない?
スパイクの練習とか、私がトス上げたりして。
小学生の頃、私にバレーやらせたお母さん、マジ感謝。
練習後は二人でネットとポストを片づけて、仲良くモップがけ。
これもう、愛の共同作業だろ……!!
「……うん、これで終わりかな。ありがとう、濡島さん」
「ふふっ、どういたしまして」
用具室にモップを置いて、出ようとしたその時。
──がちゃん。かちり。
ドアが閉まった。えっ、なんで!?
慌ててドアノブを回そうとしても、駄目だった。鍵が掛かってる。
「ねえ、そこのあなた! 誰だか知らないけど、早く開けてよ!」
「そうだよ! こんなの、馬鹿げてる!」
私たちの訴えは、無駄だった。
足音は遠ざかっていって、ドア下から洩れていた明かりが消えた。
……これ、完全に閉じ込められちゃったじゃん。
「ごめん、濡島さん! 変なことに巻き込んじゃって。……誰がこんなこと、したんだろう……」
「気にしないで。沢谷くんは悪くないよ」
──多分、犯人は沢谷くんのことが好きな子だと思う。
同級生だけじゃなく、下級生や上級生の女子からも人気あるし。
たまたま通りがかった子が、私が仲良さそうにしてたから嫉妬したとか?
(……もしそうだったら、馬鹿だよね。沢谷くんにまで迷惑掛けてるじゃん)
お互い、スマホはドアの向こう。外に連絡は出来ない。
部活の朝練があるから、最悪でも朝には解放される。
でも、問題は別のところにある。……トイレとか、トイレとか。トイレとか!!
それに、朝まで二人でここにいたなんて事実が広まった場合。
多感な中学生には致命的だ。
学校中にあーだこーだ言われたり噂されて、まともな生活が送れなくなる。
危機感を覚えつつ、出来ることは何も思い浮かばなかった。
しばらく二人で、黙ったまま座り込んでいた。
「……しょうがない。やってみるか」
そう呟いた沢谷くんは立ち上がり、ジャージを脱ぎ始めた。
はわわっ! 心の準備とか、まだなんですけど!?
そんな私を素通りして、沢谷くんは私の背後にある小窓を開けた。
──うん、分かってたし。
「えっと……そこから脱出するってこと?」
「そうだね。結構小さい窓だけど、試してみる価値はあると思う」
沢谷くんはしゃがみ込んで、小窓を外してから頭を通した。
顔もちっちゃいから、第一段階は難なくクリア。
体をよじりながら、右肩を出す。次は、左肩。
「……駄目だ、通れない! 濡島さん、足を引っ張って欲しい!」
「わ、分かった!」
一度目は、残念ながら失敗。
でも後ろから見た感じだと、何か工夫があれば通れそうな感じだった。
私がやるわけじゃないから、もっと頑張れなんて言えない。
外の音に耳を澄ませてみても、ただ静かなだけ。
沢谷くんは何か思い付いたらしく、言いにくそうに切り出した。
「……あのさ、濡島さん。君にしか出来ないことがあって、それをちょっと試してみたいんだよね」
「へっ? な、何かな?」
「……君の手汗。それを僕の両肩から二の腕に、塗りたくって欲しいというか……」
恥ずかしさのあまり、危うく意識を手放しそうになったけど、耐えた。
とんでもないことをお願いされたけど、状況は切迫している。
多分、冗談の類いじゃなさそうだよね。
(……ちょっと待って。これ、もしかして……チャンスじゃない!?)
よく考えてみよう。現在、私たちは危機的状況にある。
もしこの状況を、私の手汗で乗り切ることが出来れば。
吊り橋効果──あるよね。絶対。
これって、まさに濡れ手に粟。
ちょっと手汗を出すだけで、沢谷くんと付き合えるかも。
運命の神様、本当にいたんだ。
そうと分かれば、やることは決まってる。
「沢谷くん、私にまかせて! ほっ、ほっ、ほっ、ほっ……!」
制服姿のまま、その場で駆け足。
……よっしゃっ、来た来た来たあああああ!
しっとりと湿り気を帯び始める両手。
まだだっ! まだまだあっ!
駆け足の速度を上げ、更に発汗作用を促す。
うん、こんなもんかな。
「ふーっ。準備出来たよ、沢谷くん!」
「いい感じだね! じゃあ、早速頼むよ」
沢谷くんはくるりと背を向けた。
……ちぇっ。正面から、間近で筋肉眺めようと思ったのに。
気を取り直して、必要な部分に手汗を塗りたくる。
(なんか、ぬめっとしてない? 駆け足してる間、結婚生活とか妄想してたのがまずかったかも……)
逆に考えよう。さらっとした汗より、成功率上がるでしょ。
私は拳を握りしめ、沢谷くんの動向を見守る。
「じゃあ、試してみるね」
「うん。……頑張って」
まずは頭。次に右肩。そして──
お願いっ、成功して!
「……やった! 通れた、通れたよ!」
「やったーー!」
こうして、二人きりの時間は終わった。
沢谷くんにジャージを渡して、用具室の鍵を開けてもらった。
固い握手を交わして、私たちは学校を後にした。
少しだけ、寂しくなっちゃった。でも、私たちの間には絆が生まれた。
──勇気出して、告白してみよう。
体育館の一件から、一週間後。
私は死んだ魚のような目で、朝のホームルームを待っていた。
沢谷くん? 普通に振られたから。今は部活に集中したいってさ。
神様なんて、いないんだ。
チャイムが鳴る少し前に、担任の先生が入ってきた。
はあ、授業とか面倒くせー。
「みんな、おはよう。……うちのクラスに、転校生が来たぞ。歓迎してやってくれ」
ざわつくクラスメイト。
転校生とか、どうでもいいし。
教室のドアが開かれ、靴音が鳴る。
……まあ一応、顔だけ確認ね。いち、お、う……!?
「初めまして、
彼の顔は、緊張しているせいか汗でびっしょりだった。
それに呼応するかのように、私の両手からも汗がにじみ出る。
新たな出会いは、恋か、ただの共感か。
机にぽたりと落ちた汗は、多分青春の味がした。
……って、そんなわけないじゃん!
ええと、ティッシュどこだっけ。
濡れ手であわあわ 桐沢清玄 @kiri-haru
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