第12話 螺旋の旅

 夜の帳が静かにほどけ、世界の端から淡い光が再び息を吹き返す。

 大地は静かに、けれど力強く目を覚まそうとしていた。土の奥深くで眠っていた水たちは、新しい朝の気配を感じ取り、ゆっくりとその温度を変えていく。それは、再びあの高き空へと向かうための、密やかな準備の始まりだった。


 かつて雫としてこぼれ落ちたものたちは、暗い土の中でひそやかに集い、重なり合い、見えない呼吸を繰り返していた。鳥の羽音や子どもの祈りを土へと届けた彼らは、今度は大地から「生命の力」を譲り受け、再び空を目指すための力を育てていく。その意志は、声も形も持たないけれど、ただひたすらに上へ、上へと伸びていく純粋な光の矢のようだった。


 やがて、水蒸気となったその気配が、朝の光に誘われるように空へと昇り始める。その歩みは急ぐことも、迷うこともない。まるで世界そのものが大きく深呼吸をするのに合わせるように、ゆっくりと、けれど確かな足取りで、懐かしい空へと帰っていく。


 空は、その帰還を拒むことなく、両腕を広げるようにして受け入れた。

 新しく生まれる雲。そこには、かつての形も、かつての影も残ってはいない。けれど、かつて旅した記憶だけは、目に見えない淡い光となって、新しい身体の中に漂っていた。


 雲は、再び生まれる。

 名前を持たず、過去の執着も持たない。それでも、その透明な胸の奥には、どこかで誰かが放った願いや、かつて触れた鳥たちの記憶が、静かな通奏低音のように響いている。それは消えて失われたのではなく、巡り続ける循環の中で、より深く、より純粋な姿へと変わっただけなのだ。


 新しい空は、どこまでも広く、どこまでも澄み渡っている。

 雲はその広がりの中で、また新しい「最初の一歩」を踏み出す。終わりは常に始まりの種であり、始まりはいつも、空の上にそっと置かれている。


 雲はゆっくりと漂い出す。

 かつて教わった風の言葉を思い出し、光の優しい触れ方を胸に抱き、鳥たちの記憶を遠い調べとして感じながら。またいつか、どこかで空を見上げる誰かの願いに出会うために。

 彼は新しい空の青へと、静かに、そして幸福に溶けていった。



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空の記憶 M. @sora_mj

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