第4話

爽やかな秋晴れとは正反対に、赤ブロックのスタンドには重苦しい空気が漂っていた。午後の競技をほとんど終えた今、状況を打破出来ていない事実に誰もが責任を感じていた。

「みんな、頑張ってくれてありがとう。」

最後の競技である、ブロック対抗リレーを前に西野君は言った。

「みんなが頑張ってくれて、俺、本当に嬉しい。」

西野君はスタンドにいる全員に、熱い眼差しを送った。

「みんなの頑張りは、絶対無駄にしないから。たとえ優勝出来なくても、リレーだけは…絶対勝つよ。」

その表情は、いつもの明るく朗らかな西野君とは別人のようだった。西野君の闘志が、私たちの重く沈んだ気持ちを燃やして溶かしてくれた。リレーの選抜選手が入場門に並んだ。いよいよ最後の戦いだ。

『プログラム十六番、ブロック対抗リレー。』

選手が戦いの場に足を進めた。皆がスタンドから降り、勝負を見守ろうとトラックの外に並んだ。第一走者がスタート地点に立つと、グラウンド全体にピリッと緊張が走った。

「位置について…」

第一走者が地面に手を付いた。

「よーい…」

腰を上げ、体重を前にかけた。


パァン


走者が一斉に走り出すと同時に、グラウンドに大きな歓声がこだました。走者はほぼ同列だが、僅かに黄色ブロックが前に出ている。そのままの勢いで、次の走者にバトンが渡った。第二走者の応援団長はバトンを受け取ると、黄色ブロックの第二走者をぐんぐんと追い上げた。赤ブロックの一丸となった声が、応援団長の足を一層速めた。私は胸の前でキュッと手を握り、祈るように勝負を見つめていた。副ブロック長にバトンが渡った時、赤ブロックはトップに躍り出た。四方八方から大きな声援が上がった。このまま行けば一位だ。コーナーを曲がった先で、副ブロック長がバトンを持つ手を伸ばした。アンカーの西野君は後ろに右手を伸ばしたまま、前を見て走り出した。その時、赤ブロックの全員がああっ と声を上げた。西野君の手から、赤色の棒が転げ落ちた。棒は地面で小さくバウンドし、コロリと砂の上に横たわった。地面に手を伸ばす西野君の横を、黄色ブロックの走者が走り抜けた。西野君はバトンを握った瞬間火が付いたように地面を蹴り、誰も寄せ付けぬ勢いで炎のように駆けた。


「西野君!!頑張って!!!」


突然上げた私の声に、周囲の人間はびくりと肩を震わせた。その瞬間、西野君の勢いが増したような気がした。最後のコーナーを曲がる時、西野君は黄色ブロックのアンカーとほぼ同列となった。

「いけぇーーーーーーー!!!!!!!」

私はみんなの声援に負けじと声を出した。西野君は声援に押されるように走り抜け、ゴールテープに飛び込んだ。勝負の行方の判別が出来なかった私たちは、本部テントをじっと見つめた。グラウンドに立つ全員が口をつぐむ中、放送係の声が沈黙を破った。

『只今の結果を発表します。』

ドクン と心臓が鳴った。手に爪を食い込ませながら、私は次の言葉を待った。




『一位、赤ブロック。』



赤ブロックのスタンドの前で、今までにない大歓声が響き渡った。二位以降の成績を読み上げる放送係を他所に、チームメイトは互いに抱き合ったりハイタッチをした。私は顔を手で覆い、ぎゅっと目を閉じた。


良かった。本当に良かった。


ここで私が台無しにしてはいけない。涙が零れないよう息を整えながらも、私は勝利の喜びをぎゅっと抱きしめた。グラウンドに目を向けると、西野君がこちらを向いた。西野君はいつもに増して眩しい笑顔で、こちらに向かってピースサインをした。最後の種目を終えた今も、空は変わらず青いままだった。



『以上を持ちまして、第六十八回桜田高校体育祭を終了致します。』

放送係の声が響くと、グラウンド全体から拍手が起こった。先生がマイクを手に取り業務連絡を行った。

『皆さん、お疲れ様でした。これから係ごとに片付けを行います。片付けが終了しましたら、各ブロックスタンドの前に集合して最後のブロック集会を行ってください。遅くとも十六時にはブロック集会を始められるよう、速やかに片付けを行ってください。では、解散。』

先生の号令で、私たちは散り散りに自分の持ち場へ向かった。来賓テントの片付け係になっていた私は、本部テントの横に向かおうとした。

「二階堂さん。」

西野君に呼び止められ、足を止めた。

「今日は本当にありがとう。お陰で良い体育祭になったよ。」

私は頬を熱くして微笑んだ。

「西野君こそ、ありがとう。」

西野君は私に微笑み返した。

「じゃあ、また後でね。」

西野君が立ち去ろうとしたその時、高まった熱が私の勇気を奮い立たせた。

「西野君。」

西野君が振り返った。私はキュッと拳を握った。

「私…西野君がいたから頑張れた。今日は自分のためじゃない。西野君のために…頑張ったんだよ。」

西野君はポカンと口を開けた後、照れたようにはにかんだ。

「………ありがとう。」

耳がじんじんと赤くなり、私は堪らずその場から離れた。蓋をしてきた小さな小さな恋が、ほんの少しだけ前に進んだ。私は来賓テントへ走った。




テントを仕舞う倉庫からグラウンドへ向かっていると、校舎の影から男女の話し声が聞こえた。その声を聞いて私は足を止めた。西野君の声だ。

「…ありがとう。気持ち伝えてくれて。」

そっと声がする方を覗くと、顔を真っ赤にした西野君の姿が目に入った。私の恋心にヒビが入るのを感じた。対面にいるのは、同じクラスの佐々木さんだ。彼女が西野君と同じアーティストの話で盛り上がっている場面が、私の恋心にこびり付いていた。

「俺で良ければ………よろしくお願いします。」

西野君は頭を下げた。佐々木さんは真っ赤な顔を手で覆い、目に涙を滲ませていた。私の恋心がガシャンと音を立てて割れた。私はその場に立ち尽くした。誰もが認める、まさしくお似合いな二人は、ぴたりと肩を並べてゆっくりとグラウンドへ歩いて行った。

『間もなく十六時になります。生徒は自分のブロックのスタンド前に集合してください。』

先生の声を聞き、私はゆっくりと足を進めた。スタンドの方を見た時、先程の自分の勇気がとても小さく見えた。


「………………っ、うぅ……………。」


パタ と一粒の水滴が地面に落ちた。私の足元が、だんだんと水に濡れていった。

『頑張ってくれてありがとう。』

西野君の言葉が頭に響いた。私は堪らず蹲った。グラウンドの隅で、滝のような雨に打たれた。生徒や先生は突然の雨に戸惑いながら、校舎へと走っていった。みんな、ごめんなさい、堪えきれなくて。私の涙は、空の涙と混じって頬を伝っていった。





月曜日の振替休日を挟んだ翌日、靴箱で西野君に声を掛けられた。

「二階堂さん、おはよう。」

「おはよう。」

私は力なく笑った。

「一昨日の雨、びっくりしたね。」

西野君は他人事のように言った。何も言えない私に西野君は続けた。

「天気予報でも言ってなかったし、雲ひとつなかったのに、こんなことあるんだね。」

私はポツリと言った。

「泣いてたんじゃない?」

「え?」

西野君が上履きを取る手を止めてこちらを見た。私は西野君の目を見て言った。

「空が泣いてたんだよ。何か悲しいことがあったんじゃないかな。」

西野君は口をポカンと開けて、はは と苦笑いをした。

「二階堂さん、そういうこと言うタイプなんだね。意外。」

私は靴箱にローファーを入れ、上履きを手に取った。

「佐々木さんとお幸せにね。」

「えっ…」

目を丸くして頬を赤くする西野君を置いて、私は教室へ向かった。砕け散った恋心を、私はかき集め大切に仕舞った。あの日ひとしきり降った雨は見る影もなく、空は清々しく晴れ渡っていた。

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空が泣いている @mochimochi_ai

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