雨のち飴のち晴れ

エノウ アカシ

雨のち飴のち晴れ

 ずっとずっと、謝ってばかりの人生でした。


 生まれたときに親に言われました。


『なんで男の子じゃなかったんだ』


 ごめんなさい。


 幼稚園の先生に言われました。


『なんでみんなといっしょに遊ばないの』


 ごめんなさい。


 小学校のクラスメイトに言われました。


『あんたと遊んでてもつまんない』


 ごめんなさい。


 高校時代に付き合っていたひとに言われました。


『なんか重い』


 ごめんなさい。


 大学生になっても、こうして社会人になっても言われました。


『なんで、どうして、ああしないの、こうしないの』


『だから、お前は』


 ごめんなさい。


 ごめんなさい。


 ごめんなさい。


 私には阿呆のようにそう言うことしかできず、結果相手を余計に怒らせてしまうことになるのです。けれど、私は阿呆なので他にできることが見当たりませんでした。


 今日もそうでした。


 無能な私は何度も何度も仕事の計算を間違え、その度に職場の先輩に言われるのです。


『どうして間違えるの』


 きっと、先輩に悪気はないのでしょう。けれど、私にとっては頭の悪さを責められているようにしか聞こえませんでした。


 そして私はまた言うのです。


 ごめんなさい。


 そればかりを、繰り返し、バカみたいに。


 そういう私の卑屈な態度が気に入らなかったのでしょうか、それとも『ごめんなさい』しか言えない私の間抜けさ加減に呆れたのでしょうか、先輩はそれっきり口をきいてくれなくなりました。


 私はといえば、おろおろすることしかできず、もう間違ってはいけないという焦りから、また計算を間違っては無言のため息をこぼされるのです。何回やっても、その繰り返しです。


 せめてものお詫びにと、私はたまたま持っていたキャンディの包みを、よかったら、と先輩に差し出しました。


 しかし先輩はそれを手に取ると、しばらくの間手のひらでもてあそんでから、ぽい、とゴミ箱に放ってしまいました。


『こんなの、いらない』


 キャンディに向かって言ったのでしょうけど、それは私自身に向けられた言葉のように感じられました。


 思えばずっとそうでした。


 申し訳程度に添えられたキャンディのように、私は邪魔なだけの存在だったのです。


 『ごめんなさい』と言った数だけ、捨てられたキャンディなのです。


 はっきりとそう自覚した瞬間、私はたまらなくなって、仕事を放ったらかしてオフィスから飛び出していました。


 室内ばきのまま外に出ると、水たまりを踏んずけてしまいました。靴下がじんわりと湿り気を帯びていきます。頭のてっぺんから水が染み込んできて、すぐに頭皮に達しました。


 雨がざあざあと降っていて、あちこち水たまりだらけです。空は雨で煙るような灰色をしていて、重く世界に垂れ込めています。


 道行くひとはみんな傘をさしていて、ただ濡れるばかりの間抜けな私を見て、あわれむような、うしろめたいような、しかし優越を感じているような、そんな顔をして通り過ぎていきます。


 たくさんのカラフルな傘が咲き乱れる中、私にだけは傘がありません。


 当たり前です。


 私はずっと、そういう役回りでしたから。


 仕方なくとぼとぼと雨の中歩いていると、みんなが私のことをよけていきます。中にはもの珍しげな顔をするひとも、嘲笑うひともいました。


 小さな子供だって、けらけらと指をさしてきます。


 傘がないだけで、こんなにもこころが濡れるとは思いませんでした。なんだか、この世の中で私だけが群れからはぐれたはみ出しもののような気がしてきます。


 いれてあーげない。


 いつか、幼稚園のころだったか、かごめかごめの輪の中に入れなかったことを思い出しました。


 途端に、世界中が呪わしくなりました。


 我ながら、とてもおこがましいとは思います。


 私ごときが抱いていい感情ではありません。それははっきりとわかっています。


 けど、どうしても恨まずにはいられませんでした。


 なんでこんな風になっちゃったの?


 生まれたときから決まってたの?


 だったらなんで生まれてきたの?


 ああ、恨めしい。恨めしい。


 なにもかもが、呪わしい。


 でも、一番いけないのは私自身だとわかっています。私がこの世に存在していることが最初から間違いだったのです。大変申し訳なく思います。


 だから、私は繰り返します。


 ごめんなさい。


 ごめんなさい。


 ごめんなさい。


 ……かみさまの、ばかやろう。


 噛み締めていた奥歯が鳴り、涙が涙腺のせきを切る寸前の、そんなときでした。


 ころん、となにかが目の前に落ちてきました。


 小石かなにかがぶつかってきたのかと思いましたが、気になって拾い上げてみると、それは一包のキャンディでした。


 ちょうど、さっき私が差し出して、ゴミ箱に放り投げられたような。


 ころん、ころん、ころん。


 キャンディは次々と落ちてきます。たちまち辺りはキャンディでいっぱいになりました。


 空から、次々と降ってきているのです。


 色とりどりの包装紙にくるまれた、甘いキャンディが、あとからあとから。


 はっと目を見開いて空を見上げても、そこに雲はありませんでした。飛行船から投げ落とされている様子もありません。だれかがばらまいているようなこともありません。


 どこからともなく、降ってきているのです。


 いつしか雨はすっかり上がっていて、その代わりにキャンディが降りしきっていました。


 周りのひとたちは、雨粒と同じように傘にぶつかってくるキャンディに目を丸くしています。動画を撮影し始めるひともいました。


 みんなが、阿呆のように空を見上げています。


 ころん。ころん。ころん。


 額を小突くように、包み紙が頭に当たります。そして、それを感じているのは、傘をさしていない私だけです。


 キャンディの雨に降られながら、私は呆然と空を見ていました。


 雨雲の切れ間からは天使の梯子のように陽の光が差し込み、今にも神様がひょっこりと降りてきそうです。


 雨はそうして、奇跡とともに上がりました。


 けれど、私の頬はびしょびしょに濡れていました。


 あんなに我慢していたのに、涙があふれて止まらなくなって、顎先からぽたりぽたりと服の布地に染みていきます。


 私は、わあわあとみっともなく、子供みたいに泣きました。


 涙のせいで乱反射した陽光が、きらきらと輝いて見えます。


 あめは上がったのに、今は光が降り注いでいます。


 とめどなく、とめどなく。


 もう、『なんで、どうして』と言うひとなんて、だあれもいませんでした。


 だあれも、『いらない』なんて言いませんでした。


 ただ、ひどく奇妙な現象に首をかしげながらも、傘をさすひとたちはみんな、ちょっとした冗談を聞いたような笑顔になっていました。


 あれだけ咲き乱れていた傘の花が、なにかの合図を受け取ったように一斉に閉じられていきます。


 雑踏の流れは止まりませんでしたが、もう傘をさしていないのは私だけではなくなりました。


 ぐず、と鼻をすすって、辺りいっぱいに広がったキャンディの包みをひとつ、手に取ってみます。


 包装紙を開けると、空色の丸いかたまりがありました。


 得体がしれないものです。


 毒が入っているかもしれません。


 頬張ったらものすごくすっぱいのかもしれません。


 けれど、私はそれを躊躇することなく軽やかに口に放り込みました。

 

 きっと、天に浮かぶ雲をかじってみたら、こんな味がするのでしょう。


 そういう甘さが、口いっぱいに広がりました。


 毒なんて入っていません。すっぱくもありません。ただただ、すっきりと甘いだけです。


 空色のキャンディは、私を裏切りませんでした。


 だから、私は涙でぐしゃぐしゃになった顔をゆがめて、ぎこちなく笑うのでした。


 ……やるじゃん、かみさま。

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