第7話 想像したその向こう
段ボールは、思ったより重かった。
他校連携の図書配送。指定の図書をまとめて、箱に詰める。
箱の半分には、すでにガムテープが貼られている。
「……残り、これだけですか?」
ソラが、床に並んだ箱を見て言う。
「うん。今日は多い」
それだけ答える。
「そっか……」
納得したのか、していないのか分からない返事。
少し間を置いて、もう一度、箱を見る。
近隣図書館から配布された冊子の配架も残っている。
「時間、足ります?」
「……たぶん」
「“たぶん”かぁ」
小さく息を吐くように言って、ソラは椅子に腰掛けた。
背もたれに体を預け、肩の力を抜く。
「無理そうだったら、声かけてください」
「うん」
ガムテープの音が、図書室に乾いて響く。
「手伝ったほうが、いいですか?」
一瞬、迷う。
「……休憩でいい」
「了解です」
あっさりと引く。
理由も、感想も、聞いてこない。
少し離れた位置で、ソラが椅子の脚を軽く鳴らした。
足先が、床の上で行き場を探すみたいに揺れる。
休憩に入っただけ。
それ以上でも、それ以下でもない。
――そう、思った。なのに。
……また、引きずっている。
うまく言葉にできないまま。
それでも、確実に、残っている。
僕は段ボールに手を伸ばし、腰を落とした、そのとき。
視界の端で、ソラが足を組み替えた。
ただ、それだけの動作。
何気ない動作。考えごとをするみたいに、自然に。
目に入ってしまった。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ、視線が引っかかる。
箱を持つ手を止めた。
椅子に座った姿勢。
引き上がった、スカートの裾。
膝の上まで。
――短い、ような。
そう感じた瞬間、僕の中で何かがはっきりとブレーキを踏む。
校則は。
大丈夫なのか。
そこまで考えて、それ以上は、よくない気がして。
慌てて、視線を切った。
「……気になります?」
心臓が、変な音を立てた。
否定しなきゃ、と頭では分かっているのに、
言葉が、うまく形にならない。
「ちゃんと、守ってますよ。ボク」
ソラは、軽く言う。
校則のことか。
それとも――。
一瞬、考えてしまって、
その時点で、もう遅い気がした。
何を――?
その揺らぎのせいで、手元が狂った。
ガムテープが、指から抜け落ちる。
床を転がる音。
ころころと、思ったより遠くまで行って、ソラの足元で止まった。
「あ……」
短い声が、重なる。
「取ります」
ソラが言って、椅子から立つ。
「いや、僕が――」
そう言いかけたときには、もう遅かった。
そのまま、屈む。
両膝を揃えて、片手で抱えるような姿勢。
放課後の西日が、斜めに差し込んでいた。
太ももに、光が当たる。
張りを思わせる、健康的な色。
その先に、スカートが落とす影。
気づく前に、視線は、もうそこにあった。
見てしまった、と気づいたときには、もう遅かった。
スカートの向こう。
西日のせいで、境目がはっきりしない。
光と影が、重なっているだけ。
見ているのは、それだけだ。
それなのに、ある、ということだけが、頭に残る。
いや、見えない。
それでも、確実に、そこに。
布の存在。
形も、色も、何も分からない。
なのに、分かってしまう。
名詞だけが、頭の中に浮かぶ。
言葉にする前の、何か。
だめだ。
思った時点で、もう遅い気がして、視線を切った。
床。
段ボール。
指先。
今は、作業中だ。
深く息を吸って、吐く。
何も起きていない。
そう言い聞かせる。
大丈夫だ、と。
たぶん。
ソラが、テープを拾い上げる。
そのまま、差し出してきた。
指が触れない距離。
視線だけが、合う。
……分かっている。
そう、気づかれている。
ソラは、すぐには何も言わなかった。
ほんの一瞬。
僕を見て、答え合わせをするみたいに。
それから、ソラの口元が、ほんの少しだけ緩む。
確信に触れたときの、あの表情。
「……なに色だと思います?」
すぐには、意味が取れなかった。
何色。何の。
問い返そうとして、口を開きかける。
けれど、声が出る前に、視線が合った。
逸らされない。
試すようでも、急かすようでもない。
ただ、待っている。
「……なにが?」
自分の声が、少し遅れて聞こえた。
ソラは、悪戯っぽく目を細める。
それ以上は、何も言わない。
「……さぁ?」
判断は、こちらに預けられたまま。
でも、突き放された、という感じでもなかった。
答えなくてもいい。
そう言われている気もする。
冗談だと思えばいい。
勘違いだったことにしてしまえばいい。
適当な色を言って、笑って流すこともできる。
それなのに。
そう考えた瞬間、さっきの光景が、また浮かんだ。
西日の色。
太ももと影の境目。
見えていなかったはずの、その向こう。
自分で、思い出してしまった。
誰に言われたわけでもないのに。
――違う。
さっきは、視線を切った。
ちゃんと、止めたつもりだった。
それでも、一度浮かんでしまったものは、簡単には消えてくれない。
まばたきをする。
喉が、小さく鳴る。
ソラは、言葉を挟まずにこちらを見ている。
口元は、崩れない。
楽しんでいるのを、隠す気もなさそうだった。
目を逸らせば、この話は、たぶん終わる。
そう分かっているのに、視線は自然と戻ってしまった。
否定しきれない、という事実だけが、静かに残る。
「……黒」
声は、思っていたより小さかった。
ほとんど、独り言に近い。
言ったあとで、しまった、と思う。
否定する前に、もう、空気に落ちていた。
「そっか」
短く、満足したかのように言われる。
それだけなのに、言葉が、耳の奥に残った。
声が、思ったより近い。
距離そのものは変わっていないはずなのに、そう感じた。
ソラが、少しだけ距離を詰める。
ほんの半歩。
床を踏む音も立てず、
気づいたときには、もうその位置にいる。
触れないまま、近づく。
逃げるほどじゃない。
でも、近い。
「黒。好きなんですね、先輩」
語尾が、わずかに柔らかい。
からかっているようで、断定している。
問いでも冗談でもない言い方。
声は、わずかに弾んでいる。
言葉そのものより、それを言わせた流れが、少しだけ楽しい、という調子。
「意外です」
くす、と喉の奥で笑う気配。
「もっと白とか、清楚な感じが好きかと思ってました」
ただ、知ってしまったことを、
そのまま口に出しているだけみたいに。
言葉の端に、楽しさが残っていて、
それが胸の奥に、静かに触れた。
「覚えときます」
声量が、さらに落ちる。
誰かに聞かせるというより、
共有するみたいに。
「次からは……黒のやつ、多めに着けていこうかな」
語尾だけが、わずかに伸びる。
確認でも、挑発でもない。
ただ、そうするつもりだと告げるだけ。
「先輩を、がっかりさせないように」
意味が、追いつく前に、言葉だけが先に届いた。
頭の中が、白くなる。
音が、少し遠のく。
否定する言葉も、笑って流す余裕も、見つからない。
責められていない。
拒まれてもいない。
それが、一番、揺れた。
ソラは、それ以上何も言わず、あっさりと身を引く。
「ちゃんと“想像”、おさえてくださいね?」
いつもの調子に、戻った声。
「作業中に変なこと考えちゃ、だめですよ?」
段ボールに向き直る背中。
残ったのは、言葉だけ。
――覚えときます。
――次からは。
――がっかりさせないように。
作業を再開しようとして、指先が、わずかに迷う。
否定する前に、もう一度、思い出してしまった。
さっきの言葉。
その声の近さ。
まだ、名前はつけていない。
ただ、足を止めた場所が、さっきより少しだけ、前だった。
戻れる距離は、背中のほうに残っている。
先輩、逃げ場ないですよ? カクダケ @bokubokubokukko
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