第3話 ちゃんと、見た
僕は占いは、良いことしか信じない。
今朝登校前に見た、星座占いで最下位だったことも信じない。
登校途中、信号に全部引っかかっても、気にしない。
昼休みの購買で、僕の目の前で焼きそばパンが売り切れても、気にしない。
ホームルームで配られたプリント。僕の分だけが足りなくて、後で職員室に取りに行ったことも、気にしない。
「ラッキーパーソンは、いつも隣にいる人、です」
「目を合わせて挨拶すれば、きっと、あなたの今日の運勢をグッと上げてくれますよ」
ここだけは、信じてる。
……信じることにした。
だから、というわけでもないけれど。
放課後の図書室に入ったとき、僕はいつもより深く息を吸った。
静かな空気。紙とインクの匂い。遠くでページがめくられる音。
そして――
カウンター席の前で、視線が止まる。
ソラは、もう座っていた。
いつも通りの場所。
いつも通り、僕の隣になる席。
逃げ場は、最初から用意されていない。
「……お疲れさまです、先輩」
顔を上げて、こちらを見る。
その声に、条件反射みたいに体がわずかに強張った。
もう一日の終わりかけで、
運勢を上げるも下げるも、今さらだ。
それでも。
気にしてない、つもりだったけど。
最後くらい、良いほうに転んでもいいだろう、と思った。
「……お疲れ様」
逃げるみたいに、視線を落とすのはやめよう。
そう思った。
同じ図書委員だし。
毎日顔を合わせているし。
必要以上に意識するほうが、たぶん変なんだ。
ちゃんと、見ればいいだけだ。
そう自分に言い聞かせてから、僕は目線を上げた。
――ソラを見る。
今までも、隣に座るソラは視界に入っていた。
黒い髪とか、制服の襟元とか、動けば分かる程度には。
けれどそれは、いつも視線の端だった。
ピントの合わない、背景みたいな存在。
ちゃんと見ようとすると、目が逸れていた。
理由は分かっている。
分かっているから、見ないふりをしてきた。
でも今日は。
ふと、逃げ遅れたみたいに、視線が絡む。
最初に目に入ったのは、瞳だった。
赤みを帯びた、濃いブラウン。
思ったより大きくて、光をよく拾う。
覗き込まれている、というより――
静かに、こちらを受け止めているみたいな色だった。
ああ、と遅れて思う。
ソラは、こんな目をしていたんだ。
今まで見ていたのは、輪郭だけだったのかもしれない。
人の形をした、曖昧な像。
それが今、急に解像度を上げて、目の前にいる。
「……珍しいですね」
先に口を開いたのは、ソラだった。
声音は低くも高くもなく、いつも通り。
そこに、探るような色はない。
「今日は、目、合いますね」
責めるでも、からかうでもない。
ただ、気づいたことをそのまま言っただけ、という調子だった。
「そ、そう……?」
自分でも驚くくらい、声がちゃんと出た。
「ええ」
ソラは、そう言って少しだけ目を細めた。
よし。
――目を見て挨拶。達成。
胸の奥で、そんなふうに区切りをつける。
これ以上は、無理しなくていい。今日はここまでだ。
そう思って視線を外そうとした、そのときだった。
「……先輩の席、空いてますよ」
ソラはカウンターに相対したまま、顔だけをこちらに向けていた体勢から、椅子を引いた。
ぎい、と小さな音がして、身体ごとこちらに向き直る。
黒髪のショートボブが、ふわりと揺れた。
放課後の西日が、窓から差し込んでいる。
光を受けて、髪の縁が淡く透ける。
セーラー服の白い部分が、少しだけ眩しい。
姿勢を変えた拍子に、ソラが足を組み替えた。
スカートが、ひらりと揺れる。
一瞬。
視界に入ったそれが、思っていたより近くて――
気づいたときには、視線を奪われていた。
何かを考える前に、反射的に目を逸らす。
行き場を失った視線が、カウンターの上で止まった。
そこにあったのは、ソラのペンケースだった。
淡い色合いで、角のところに小さな犬の顔が描いてある。
使い込まれているのか、少しだけ端がくたっとしていた。
「……ボクのペンケース、気になります?」
声がして、肩がわずかに跳ねる。
「あ、いや……」
慌てて否定するけれど、視線はもう遅い。
「ずっと使ってるんですよね。新調しようかなって思うんですけど」
ソラはペンケースを指先で軽く押さえながら、続ける。
「なんか、愛着湧いちゃって」
一拍置いて、冴えない犬の絵に指を向ける。
「それに、このワンコ。先輩に似てると思いません?」
「…………」
返事ができなかった。
ソラはそれを気にするでもなく、小さくクスリと笑う。
「ほら」
柔らかい声。
「座ろ? 先輩」
その一言で、逃げ道が消えた気がした。
考えるより先に、身体が動く。
椅子を引いて、いつもの席に腰を下ろす。
椅子に座ってから、しばらくは特に何も起こらなかった。
ページをめくる音と、遠くで誰かが椅子を引く気配。
図書室は相変わらず、穏やかだった。
その中で、隣にいるソラだけが、やけに近い。
「……頑張りましたね、先輩」
不意に、そんな言葉が落ちてくる。
「え?」
間の抜けた声が出た。
何のことか分からなくて、顔を向ける。
ソラは、こちらを見ていた。
からかうでも、試すでもない。
ただ、少しだけ余裕のある表情。
初めて、そういうふうに思った。
少年みたいにすっきりした輪郭。
整っているのに、どこか柔らかい。
視線が合っても、さっきみたいに逃げ場を塞がれた感じはしなかった。
「あ」
ソラが何か思い出したように、制服のポケットに手を入れる。
「ボク、今日は飴玉持ってるんです」
小さな音を立てて、机の上に置かれたのは、包み紙に包まれた一粒。
「はい。頑張った、ご褒美です」
そう言って、軽くこちらに押し出してくる。
断る理由も、受け取らない理由も、思いつかなかった。
気づけば、指先でそれをつまんでいた。
包み紙を外して、口に入れる。
舌の上で、甘さが広がる。
思っていたより、ちゃんと甘い。
それだけだった。
なのに、なぜか少しだけ、息が楽になる。
「……」
ソラは何も言わず、また本に目を落とした。
その横顔を、今度は見すぎないようにしながら、僕も視線を戻す。
放課後の図書室は、相変わらず静かで。
口の中には、まだ甘さが残っていた。
――今日は、悪くなかった。
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