第6話「勝利宣言」と、孤独のレスポンス
小説:嵐の中の「勝利宣言」と、孤独のレスポンス
台風の猛威が窓を叩きつける中、私はリビングで、夫を従者として、何十枚もの自撮りを続けた。イブニングドレスの深い青色が、リングライトの光を浴びて、まるで宇宙のように輝いていた。
「これで最後よ、あなた!最高に強そうな顔と、最高に美しい笑顔を同時に撮るわ」
私は携帯カメラを顔の高さに構え、自撮りをした。目元には不屈の闘志を、唇には微かな笑みを浮かべる。背景には、開け放たれたドアの向こうに、高級ホテルのような優雅な光景が映り込んでいる(実際は、自室のドアの向こうの、照明をつけた廊下と、その先にある寝室のランプの光だ)。
(イメージ写真:ピースサインをしながら、正面をまっすぐ見つめている)
「完璧だわ」
私は満足してシャッターを下ろした。この写真こそが、あの真夜中のホームセンターでの屈辱を乗り越え、台風の天災にも屈しなかった、私の「勝利宣言」だった。
夫はソファで耳を摩りながら、疲労困憊の様子で私を見つめていた。
「もういいだろ、頼むから。もう君の美しさが世界一だってことは、俺の魂に刻まれたよ…」
「まだよ!」
私の勝利は、夫への支配だけで終わらない。このエネルギーを、外部へと放出する必要があった。承認の場である同窓会が中止になった今、私は代替の「戦場」を求める。
私は、厳選した数枚の写真を携帯のフォルダーに保存し、グループチャットと、特に仲の良かった数人の友人に個別に送った。
メッセージ:
『本当に残念!せっかくドレスアップしたのに、台風のバカ!(泣) みんなも気をつけてね!今夜は自宅で一人祝杯よ。また次の機会に会いましょう!』
私は携帯をテーブルに置き、夫に命じた。
「シャンパンを開けなさい。今夜は祝杯よ」
夫はよろよろと立ち上がり、冷蔵庫へ向かった。私は満足感に浸りながら、友人たちからの「すごい!」「きれい!」という感嘆のメッセージが、すぐに鳴り響くのを待った。
しかし、数分が経過しても、チャットは静まり返っていた。
シャンパンの栓が抜ける「ポン!」という音が響き、夫がグラスを運んできた。
その時、携帯が「ピン」と鳴った。
私は飛びつくように携帯を手に取った。誰だろう。きっと一番褒めてくれるはずの、高校時代の親友からのメッセージだ。
画面を開いた。
送信者:親友A子
本文:お疲れ様でした。
たった一言。何の絵文字もなく、「お疲れ様でした」。
私の顔から血の気が引いた。
「……は?」
「お疲れ様でした?」
私は思わず声を上げた。これは、まるで長時間労働を終えた同僚にかける労いの言葉ではないか。私の完璧なドレス姿、私の不屈の精神、この美しさに向けられるべき言葉ではない。
私はA子のメッセージに続き、他のチャットも確認した。
グループチャットの反応:
『わー、残念だね!(泣)』
『また次集まろうね!』
『Aさん、すごく気合入ってたんだね(笑)』
他の友人B子からの個別メッセージ:
『ドレスアップしてて偉い!風邪ひかないようにね』
誰も、「きれい」とは言っていない。「すごい」とも言っていない。「気合入ってたね(笑)」。「お疲れ様でした」。
私の心臓は急速に冷え、頭の中が真っ白になった。まるで、渾身の力を込めた一撃が、虚空を斬り裂いただけのようだった。
シャンパングラスを持ったまま、夫が怪訝そうな顔で私の横に立っている。
私は、携帯の画面を夫に突きつけた。
「見てよこれ!見て!『お疲れ様でした』って、どういうことよ!褒める場所は!?私が命懸けで磨いた、この美しさへの賛辞はどこよ!?」
「いや、そりゃ、台風の中、わざわざドレス着た君を、労ってるんじゃないか…?」夫は恐る恐る言った。
私は、美の承認を得るための「割りばし」――客観的な評価軸――を、この写真のレスポンスの中に見つけることができなかった。
あの真夜中のホームセンターの屈辱は、まだ、外の世界では完全に晴らされていない。私の戦いは、台風が去った後も、まだ続くのだった。
同窓会中止と、友人からの「お疲れ様でした」という無情なメッセージを経て、私の闘争心は一時的に深く沈んだ。しかし、諦めるという選択肢は、あの真夜中のホームセンター以来、私の辞書から消え去っていた。
私は気づいた。外部の評価は不安定で、天災によって簡単に覆される。夫の愛情は確かだが、それは私個人の心の傷を癒す以上の「公の証明」にはならない。
本当に必要なのは、誰にも邪魔されない、**普遍的な「美の記録」**を残すことだ。
数日後、台風一過の晴れた週末。私は予約を入れていた写真館へ向かった。
写真館は、私のために静かで落ち着いた空間を提供してくれた。選んだのは、控えめだが品格のある、渋めの青緑色の着物。
「あの屈辱を晴らすには、最も日本の伝統的な美しさ、『静』の力で勝負するしかない」
着物を着付け、ヘアメイクを終え、私はカメラの前に座った。
カメラマンは、私の意図を察したのか、特別な指示はしなかった。私は、照明の光を受けながら、ただ静かに、背筋を伸ばして座った。場所は、スタジオの裏手にある、飾り気のないコンクリートの壁と、金属の階段の脇。無機質な場所が、着物の美しさを際立たせる。
(目の前には、着物姿で階段に座り、穏やかな表情で正面を見つめている私の姿がある。)
私の表情には、あの日のヒステリーも、無理に作った笑顔もない。あるのは、長年の人生経験に裏打ちされた、静かな自信と、すべてを受け入れた強さだった。
この着物姿には、キャンディケインも、サンタ帽も、派手なラメのイブニングドレスもいらない。ただ、私自身がそこにいる。
この美しさの前では、「おばあちゃん」という言葉は無意味だ。この静謐さの前では、「ババア」という罵倒は虚しい。そして、「お疲れ様でした」という軽い労いも、届かない。
シャッター音が響く。カシャ、カシャ。
私は、この瞬間、カメラを通して、過去のすべての屈辱と真正面から向き合い、それを乗り越えたと確信した。
後日、仕上がった写真を受け取った。
自宅のリビング。夫はソファでテレビを見ていた。
私は、夫に写真を見せることもなく、ただ一枚のプリントを、そっと自分の部屋のドレッサーの引き出しにしまった。
そして、リビングに戻り、夫の隣に座った。
夫が私に気づき、声をかけてきた。
「おかえり。どうだった?写真」
私は微笑んだ。その笑顔は、真夜中の自撮りで見せた作り笑いとは違い、心からの、穏やかなものだった。
「ええ。もう大丈夫」
私は深く息を吐き、静かに言った。
「気が済んだわ」
この言葉は、夫への勝利宣言でも、世間への挑戦でもなかった。それは、長きにわたる「屈辱からの戦い」を、私自身の手で完結させ、自分自身に下した「終戦宣言」だった。
私の美しさは、誰の承認も必要としない。それは、この写真の中に、静かに、そして永遠に記録されたのだから。
あの夜の蛍光灯の光も、台風の嵐も、もはや私を脅かすことはなかった。私は今、完全に自由だった。
(…中略:主人公が写真を受け取り、ドレッサーの引き出しにしまい、夫の隣に座るところまで)
私は微笑んだ。その笑顔は、真夜中の自撮りで見せた作り笑いとは違い、心からの、穏やかなものだった。
「ええ。もう大丈夫」
私は深く息を吐き、静かに言った。
「気が済んだわ」
夫は私の穏やかな表情を見て、安堵したように頷いた。長かった妻の「戦い」が、ようやく終わったのだと理解したようだった。
数秒の静寂が流れた後、夫は立ち上がり、キッチンへ向かった。夕食の準備を始めるようだ。
私はソファにもたれかかり、完全にリラックスしていた。もう武装の必要はない。この静けさが、何よりも心地よかった。
その時、ふと、心の中の最後の微かな「残滓」が疼いた。
私は、目を閉じている夫に、悪戯っぽい口調で尋ねた。
「ねえ、あなた」
「ん?」夫は手を止めずに答えた。
「やっぱりわたしきれい?」
それは、もはや承認を求める質問ではなかった。これまでの激しい闘いを経て、自分自身で得た確信を、ただもう一度、この親愛なる共犯者の口から聞きたかっただけだ。
夫は料理の手を止め、振り返った。その顔は、呆れたような、しかし優しい笑顔だった。
「当たり前だろ。もう何百回言わせるんだ、君は。その着物姿も、もちろん……」
夫は言いかけたが、次の瞬間、言葉を飲み込んだ。
私が微笑んだまま、無言で指さしたのは、彼の目の前に置いてあった夕食の献立表。
その献立表の上には、夫が今まさに手に取ろうとしていた、大きな包丁が置かれていた。
夫は、私の静かで、全てを見透かすような笑顔と、手元の包丁を交互に見た。彼は、あの日のホームセンターの屈辱的な記憶と、ドレス姿の私に恫喝された朝の記憶を、瞬時に脳内で再生しただろう。
そして、彼は叫んだ。
「ぎゃゎああ!」
夫は包丁を放り投げ(幸い、音はしなかった)、両手を上げて、キッチンから飛び退いた。
「わ、分かってる!きれいだ!君は、世界で一番、不屈の女帝だ!その着物姿は、国宝級だ!もう二度と、君に逆らわない!だから、その笑顔と、その包丁を、俺の視界から遠ざけてくれ!」
私は満足した。もう、言葉で戦う必要はない。私の強さは、日常のこの一瞬の「圧」の中に、永遠に定着したのだ。
私は静かに微笑み、夫を指差した。
「さあ、夕食の準備を再開して。冷めちゃうわよ」
夫は恐怖と愛憎が混じった目で私を見つめ、震える手で包丁を拾い上げた。
この日から、我が家のパワーバランスは永遠に確定した。私の戦いは終わった。そして、夫の「服従」という名の平和な日常が始まったのだった。
「やっぱりわたし、きれい?」 志乃原七海 @09093495732p
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