赤い錆

円つみき

赤い錆

※作中に暴力描写と、軽性描写があります。



 奇術師と手品師の違いをご存じだろうか。

 例えば、ここに一つの箱がある。中身は空だ。タネも仕掛けもない。だが、箱の上に一枚のハンカチをかけて、一度指を鳴らせば……箱の中から一枚のコインが生まれる。

 同じ現象を起こしても、手品にはタネがある。だが、奇術にはタネがない。

 手品にはタネがあるので、コインは準備した枚数しか出てこない。

 だが、奇術にはタネがないので……何度でも、何枚でも箱の中からコインが出てくる。


 ……もし、信じてしまったのなら申し訳ない。先ほどの話は、私が客の気を引くための方便として使っている、嘘、なのだ。


 奇術も手品も、事実、同じ意味でつかわれている。だから、奇術にも同じくタネはある。ただ、そこに違いがあるとするなら、奇術とはエンターテイメントとしての側面が強いものだと私は解釈している。多くの客に披露する際には、あえて”奇術”と、私は呼んでいる。


 私は奇術師だ。

 一組のトランプ、一枚のコインがあれば、どこでも生きていくことができる。真実を隠して客を欺き、その懐から、いくらでも金を落とさせることができる。

 奇術師に会ったら気を付けてほしい。彼らは真実を語ることはしない。


 私が、その街に流れついたときの話をしよう。

 その街は小さく、さびれていた。が、かろうじて駅の周辺にはアーケードがあり、飲み屋が並び、ネオンサインや客引きが路上にあった。臭い息をまき散らしながら酔っ払いたちが行き交っている。

 私はスーツケース一つで路上に立ち、小さなテーブルを設置すると、指先でペンをくるくると回し続けた。

 しばらくそうしていると、その動きにつられて足を止める酔っ払いが現れる。時には、客引きや、露出が高い装いの女どもでさえ、その中に混じることがあった。

 ある程度客が集まると、一瞬でそのペンを一本の花に変える。すると、おお、というため息と拍手が起こる。

 スーツケースから一本のロープを取り出す。客の一人にあらためさせ、別の客にそのロープをハサミで半分に切らせる。だが、その直後、切られたはずのロープは一本につながり、元の長さを現す。

 そして、あの口上を朗々と説明しながら、箱から何枚ものコインを取り出す。その頃になると拍手は大きくなり、客も増えている。

 空になった箱をテーブルの上に置き、”私の技術に見合うだけの報酬をここに”と促せば、一晩で数日食えるだけの金がその中に入った。


 私はそうして、いくつかの町を流れている。酒を飲んで現実から目を背ける客どもから、金を巻き上げて生きていた。


 ある夜。

 ひと稼ぎ終えた私は、ホテルに商売道具を置き、食事をとるために再びアーケードへと足を向けた。

 その時、急に雨が降り出して私の身を濡らした。近くのトタン屋根を見つけ、急いでその下に身を置いた。

 大粒の雨がコツコツと屋根を叩く。見上げると、トタンの波板は内側にも浸食があり、所々赤い錆をにじませていた。

 ふと、視線をアーケードに向けると、一人の少女が立っているのが見えた。雨に打たれたのか、自分の肩を抱きしめるように、壁に身を寄せていた。

 私は、雨が落ち着くのを待ち、その少女のもとへと歩み寄った。

 その少女はうつろな目をしており、明らかに男を誘う装いをしていた。自分の体を売るために、そうして立っているのだ。そのような女はいくらでも見かけられた。

 その少女も、他の女と等しく派手に着飾ってはいたが、顔立ちは特に気をひかれるものではなかった。


 だが、私はその少女を買った。

 特に何かを気に入ったわけはなく、ただの気まぐれだった。この街の客どもは気前が良く、一晩で数日は遊んで暮らすことができた。手持ちに余裕があったわけだ。

 しばらくその少女と遊んだ後、ジャケットに袖を通し、彼女が言う金額よりも少し多めに金を渡した。

 そこで、ようやく少女の顔がほころびを見せた。

 少女は”真由”と名乗った。

 真由はぽつぽつと、身の上を語りだした。父親が病に倒れ、母親一人で生活を支えている。弟たちも学校に通わせながら、自分も専門学校に通わせてもらっている。せめて自分の学費くらいは、自分で稼ぎたい――と。

 私は一笑に伏せた。

 そんな話だけなら誰だって喋れる。街に立つ女どもは、それぞれのストーリーを作り、客に気持ちよく金を払わせる理由を作っているのだ。

 真剣な表情の真由は潤んだ瞳をしていた。しかし、そんな顔に私の心は動かされることはなかった。



 私は、街の顔役につながりを持ち、その街の賭場に出入りをしていた。

 もちろん非正規のものだ。公になってしまえば、ここに関わる者全員がなんらかの罪に問われることになる。

 その賭場は、意外にも大きいものだった。ホテルの地下に設けられたその賭場は、さながらカジノのように、ルーレット、バカラ、シックボー、ポーカーなどの遊戯ができた。

 タキシードに身を包んだディーラーが場を回し、きわどいコスプレをした女が酒をもてなしていた。

 私はブラックジャックのテーブルに腰を据えた。

 しばらく様子を見てからゲームに参加した。

 何回かのゲームの中で、数枚のトランプを懐に隠すことができれば、ゲームに勝つことは簡単なことだった。

 自分の優位になるようにすり替えをすることは、普段の酔っ払いを相手にすることよりも容易なものだった。

 ただし、勝ち続けていれば、そのうちに気がつかれてしまう。

 ある程度負け、そして少しだけ勝つ。それを繰り返し、徐々に手持ちを増やした。



 私はその金で、再び真由を買った。

 同じ場所、同じ時間に真由は立っていた。

 彼女を気に入ったわけでも、あのストーリーを気にしたわけでもない。

 ただの気まぐれだった。

 気まぐれに、私は賭場に出入りし、少しだけ稼ぎ、その金で何度か真由を買った。

 いつも多めに金を渡し、そのたびに真由は顔を緩ませていた。


 だが、その日。

 スペードの6とクローバーのKをすり替えた瞬間、私は手首を掴まれた。

 パラパラと、手の内に隠したトランプが床に落ちるのが見えた。

 私は数人の男に囲まれ、外へと連れていかれた。

 体は路上に投げ出され、男どもから容赦のない暴行を受けた。顔も体も、その形が変わるまで何度も殴られ、足蹴にされた。が、自分の手だけは必死でかばった。唯一の商売道具だからだ。

 しばらくその時間は続き、衣服以外は全て抜き取られ、私は冷たいアスファルトの上に捨てられた。


 全身に痛みがあり、苦い血の味を覚えた。気絶をすることも、体を動かすこともできなかった。ただ、壁に背を預けながら、行き交う無関係な人間たちを眺めることしかできなかった。


 やがて、そこに。


 真由の姿を見た。

 彼女は、若い男の腕に自分の腕を回しながら、男に体を預けて微笑みを向けていた。

 男は派手な髪色をしていて、明るい色のタイトなスーツに身を包み、その腕と指にはアクセサリーが光っていた。

 二人は私に気がつくことなく、雑居ビルの中へと消えていった。


 くく……と、笑いが込み上げた。

 客から巻き上げ、イカサマで増やした金は、真由を経由してあの男に流れていくのだ。

 体の痛みは治まることはなかったが、笑いをこらえることが私にはできなかった。

 やがて雨が降り出した。

 全身にこびりついた泥と血を洗い流すかのように、雨が全身を濡らした。

 コツコツという雨音が聞こえた。

 私は真由と初めて会った時の雨を思い出していた。


 トタン屋根の赤い錆が、いつまでも脳裏に焼き付いていた。



 私はその街を離れることにした。

 次に訪れた街は、海に面した漁師町だった。

 駅前にはアーケードはなかったが、改札を出たところには人通りがあった。そこにスーツケースを脇に置いて小さなテーブルを立てると、いつものように指先でペンを回した。

 日は落ちているはずだが、足を止めるのは子供ばかりだった。子供は客ではない。

 この種類の人間たちは、たとえ高校生であったとしても、感嘆の声を上げるばかりで私に何も還元しようとはしない。

 だが、一通りのセットアップをこなした。予想通り、箱の中には小遣い程度のはした金しか入っていなかった。

 やはり、金を落とすのは酔っ払った男どもに限る。


 駅前を少し歩くと、居酒屋が建ち並んでいた。ここに私の客がいる。

 スーツケースを手に、一軒ずつ顔をのぞかせた。

 店員は私を客だと間違えて愛想をまいてくるが、流しのマジシャンだと伝えるとあからさまに怪訝な顔をする。

 店先で追い返されることもよくあった。

 だが、いい余興だ、と受け入れる店もあった。

 私を追い返すのは、考えが足りないとつくづく思う。客が喜ぶことは、店の収入になるに違いないのに。

 居酒屋のような場所での、少ない客向けの見せ物があった。

 トランプマジックでは、客にカードを引かせ、別の客にそのカードを当てさせる。そんな、古くからよくある物が評判がいい。

 客が持っているたばこを拝借し、目の前で消失させる。

 風船の中に、客のスマートフォンを閉じ込める。

 こういった、客を巻き込むものが都合がよかった。店内の別の客に、同じ演目をしたとしても通用するからだ。

 だが、アーケードの大勢の客を前にすることに比べて、時間対効果が低い。それでも、やらないよりはましだった。


 今日はここで最後だ、とその居酒屋から外に出た。星空が視界に入る。懐には数日食べていけるだけの金ができていた。

 そのまま、宿となる古びたビジネスホテルに荷物を置くと、再び夜の街を歩いてみた。

 いったん駅から離れてしまうと、そこは民家ばかりが並んでいた。

 街並みも古びている。客も少ないだろう。この街には、長居はできそうにもない。

 そう思いつつ、ぶらぶらと当てもなく夜を歩いた。


 小さな神社があった。

 立ち並ぶ民家の中にひっそりとそれはあった。

 大きな鳥居が一つだけあり、すぐその奥には拝殿が見えた。その扉は閉ざされ、暗く、拝殿の中の様子を見ることはできなかった。

 ――そのときは、その神社を気にもしていなかった。


 ぽつりと、額にしずくが一粒当たった。

 空を仰いだ。先ほどまで星空が見えていたはずなのに、今は暗い雲がそれを覆っていた。

 雨だ。

 踵を返し、ビジネスホテルへと急ぐ。

 次第に、雨脚が強くなっていった。


 雨宿りのために、軒下に身を隠すと、手で体にまとわりついた雨のしずくを払い落とした。

 そのとき――。

 コツコツと、雨粒が屋根を叩く音が聞こえた。

 はたと手を止めた。

 見上げると、それはトタンの波板だった。そこに、赤い錆がにじんでいる。


 突然、真由の姿が脳裏に走り、同時に口の中には苦い血の味が蘇った。



 私は、数日の間、その漁師町で日銭を稼ぐことにした。

 まとまった金にはならなかったが、この客どもが私の奇術に飽きるまでは、もう少し稼げそうに思えたからだ。

 しばらく、居酒屋を巡っていると顔なじみが出てきていた。それは、よい意味でも。悪い意味でも。

 悪い意味では、居酒屋の扉を開けただけで、水をかけられることがあった。いい加減にしろということらしい。それなら、その口で伝えればいいだろう。

 私を隣に座らせて、食事をとらせる客がいた。彼は私を気に入ったようだ。

 彼はその店の亭主とともに、私にこの街についていろいろと語った。水害の悲劇、不漁の時期、映画のロケ地として俳優が闊歩していた過去。

 私は適当に相槌を打ちながら、話を聞き流した。私にとっては金にもならず、将来の糧にもならない不要な話ばかりだった。


 だが、一つだけ、私の興味をそそる話があった。


 この街の神社には”龍神の八咫鏡やたのかがみ”というものが祀られてあり、その鏡は、覗いた者の真実の姿を映し出すということだった。

 その話を聞いたときは、ばかばかしいことだと気にも留めなかった。

 そんなものが本物であるはずがない。――だが、彼だけでなく、店の亭主でさえもその話を信じて疑っていない様子だった。


 その彼らの表情に、私は興味を持ってしまった。

 ――もし、私がその鏡を覗いたら、何が映るのだろうか。

 私の中には、私の知りえぬ、何かが隠れているのだろうか――。

 そう思ってしまったが最後、彼らの話は、一寸たりとも私の耳に届くものはなかった。



 一日の終わりとも、そして始まりともどちらにも属さない時間がある。

 人の多くは眠りにつき、世界は止まったような闇に包まれた時間だった。

 私はその時間を待ち、ビジネスホテルを抜け出していた。

 数日前、街中を徘徊したときに見かけた、あの神社へと歩みを進めていた。


 その神社に”龍神の八咫鏡”が祀られている。

 私は八咫鏡について調べた。

 ”八咫の鏡”――それ自身は、”草薙の剣くさなぎのつるぎ”と”八尺瓊勾玉やさかにのまがたま”とともに三種の神器と呼ばれ、国宝として扱われている物のようだ。

 神話では、神の力によって真実を映し出す鏡とされている。

 だが「龍神の八咫鏡」となると話は別だ。

 こんなものは、この土地にだけ都合よく残された、後付けの伝承に過ぎないだろう。


 静まり返る闇の中、大きな鳥居が私を待っていた。

 私にはためらいがあった。

 私のこれからの行為が正しいものではないと感じていたからだ。

 好奇心は、罪だ。

 だが、私はその一線を越える。


 鳥居から拝殿までは石畳が敷かれていて、その周りには小粒の砂利がまかれている。

 一歩踏むだけで、砂利の音が大きく響いた。

 呼吸を整え、大きな音が立たないように、慎重に拝殿へと足を進めた。


 私はポケットから手袋を取り出し、静かに指を通した。

 案の定、拝殿の扉には鍵がかけられており、開けることはできなかった。

 私は拝殿の窓に手をかけた。

 木製の引き戸で、昔ながらのねじ式の留め具がはめられている。

 窓は四つある。

 ひとつずつ、指で確かめた。

 そのうちの一つだけが、施錠が甘い。

 スマートフォンのライトをかざすと、留めねじが緩んでいるのが見えた。


 窓に、わずかに力を入れる。

 留め具が、外れそうだった。

 もう少しだけ、力を入れた。

 その瞬間――

 ガリッ。

 鋭い音が、深夜の境内に走った。

 とっさに、私は身を縮めた。

 そのまま動かず、周囲の気配に神経をとがらせた。


 犬の遠吠えが聞こえた。


 しばらく息をひそめてから、音をたてないように、慎重に窓を開けた。

 靴を脱ぐと、蛇のように拝殿の中へと身を滑り込ませた。

 拝殿の中へ、窓から差し込む月の光が一筋だけ伸びていた。

 ごくり、と喉が鳴った。

 その一筋の光が、拝殿の中央に祀られている、丸い鏡を照らしていた。

 私を導いているように見えた。

 私は吸い込まれるように、その鏡の元へと歩みを進めた。


 一度、両手を合わせ、頭を深く下げた。

 頭を上げ、ひざまずくと、そっとその鏡を両手で持ち上げた。

 重い。

 月の光に鏡を照らし、その表に刻まれている装飾に目をやる。

 そこには猛々しい龍の姿が描かれてあった。

 それが龍神であろう。


 私は、あの客の言葉を思い出していた。

 ――「その鏡は、覗いた者の真実の姿を映し出す」


 震える手と荒れる呼吸を抑えつつ、そっと鏡を裏返した。

 そこに映っていたものは……自分の顔だった。

 だが、その顔は薄くにじみ、はっきりとその輪郭を表さない。

 私は何度も目をこすった。視界を疑った。

 しかし、いくら目を凝らしても、私の顔はにじんだままだった――。



 雨が降っていた。

 私は漁師町を後にして、電車に身をゆだねて次の街を目指していた。

 車窓には雨粒がいくつも張り付き、流れる景色をにじませていた。


 雨が降るたびに、トタンの波板ににじむ赤い錆を思い出す。

 鉄に、亜鉛をメッキしたものをトタン板という。

 鉄を守るために、亜鉛は自らを犠牲にする。

 その内側にある鉄は、錆びることなく、姿を隠したまま強度を保つ。

 汚れているのは表面だけだ。

 中にある真実の姿を、誰の目にも触れさせない。


 奇術も同じだ。

 表面にある華々しい現象の裏側には、必ず隠された仕組みがある。

 それが暴かれた瞬間、奇術は奇術ではなくなる。


 あの鏡に映った、自分のにじんだ顔。もし、あれが真実だというのなら、真実はにじみ、自分自身でもそれを正しく認識ができない。

 もしかしたら、真実の自分というものはそういうものなのかもしれない。


 きっと、私も、真由も、誰もが同じなのだ。

 奇術と嘘とイカサマを重ね、真実を隠し、他人を欺き続けている。

 汚れているのは表面だけかもしれない。

 本当の自分を、誰にも見せることなく。


 この話でさえも、私は、私の胸の中の真実を、すぺては語ってはいない。




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