かいぶつのいるところ 02
夫の性分に悩みながらも、わたしは毎日を懸命にのりこえていた。
「今日も手抜きかァ」
擁護する気はないが、彼は文句を言いたいわけではない。何かとガッカリしてみせるクセがあるだけだ。いつでも譲歩しているスタンスをとるだけだ。
平時であれば、亭主関白というわけでもけしてなかった。なんならよく気のつく性格だ。その証拠に、今も箸やレンゲを並べてくれている。
食事がはじまると、蒼士は麺をすすりながら笑った。
「こんなの五分でできそうだな。本当に毎日忙しいのかな、お母さんは」
反応を窺うようにわたしを一瞥し、続いて子どもを味方にしようとパスを出す。
「たまにはちゃんとした料理が食べたいよな、藍莉」
たぶん、ランチタイムの和やかな談笑のつもりなのだろう。外では「料理に口出しなんてとてもできません」と吹聴しているのを、わたしは知っていた。
藍莉は気のない返事だった。
「昨日の夜はハンバーグだったよ。美味しかったよ」
冷めた目つきで麦茶を一気飲みしている。
蒼士は忘れてしまったのだろうか、あるいはたいしたことではないと思っているのだろうか。
先週、彼は玄関に転がっていた藍莉のスニーカーのひもをハサミで切り刻んだ。
靴はそろえた方がいい、それはそうだけど、ブツ切りにされたひもを眼前に突きつけられ「お前のせいだ。二度と靴を脱ぎ捨てるな。約束するなら新しいひもを買ってやる」と迫られた藍莉は、まだわだかまりの渦中にいるのだった。
ひもとはいえ、自分の持ちものに損傷を加えられることは苦痛だったろう。
そのときもわたしは蒼士にお願いした。また怒鳴られると思いながらも、激昂する夫と対峙する恐怖を抱きながらも、「心に傷を残しかねない懲罰的な叱り方はやめてほしい」と伝えた。
「口で言っても聞かないだろうッ!」と蒼士は怒り、あとはいつも通り大声のスコールを浴びせられて終わった。
「ハンバーグなんて俺でもできるよ? お母さんはずっと家にいるのにさァ」
蒼士は、冗談めかしてニヤニヤと目を細める。
こねたり成形したり、ハンバーグだってそこそこ手間はかかる。碧のために野菜を細かく切って入れ、サラダ、スープ、副菜、蒼士の酒のつまみも作っている。そもそも冷麺だって五分ではできない。
しかし不十分と言われると、わたしも強い気持ちを保てなかった。まだ足りない、もっと努力した方がいいと気安く煽られ、ゴールのない世界で先行きを見失いがちだ。
母親の無限の愛情を、子どもよりも夫が求めている。
献身と謝罪を示せばいいことは分かっている。煽られた罪悪感に従順となり、「ごめんね、お母さんの努力が足りないよね。次はもっと頑張るね」と答えれば蒼士の理想に沿う。
自分が上の立場に立つ快感で1ポイント。指導に従う妻を見ることで1ポイント。愛情を搾取する満足感で1ポイント。そんなところだろう。
碧のみじかい指にフォークを握らせながら、どこまで心を売れば円満な家庭が維持できるのか、わたしは自尊心の在庫と相談していた。
誰も何も返さないので、黙々と食事が進んだ。せっかく作っても、些細なことで食卓の雰囲気は悪くなる。
家族団欒を演出したかっただけであろう蒼士は、ノリが悪い妻のせいで気詰まりしたのかカレンダーを指さした。
「もうすぐ藍莉の誕生日だな」
「そうね」
金曜は藍莉の十一歳の誕生日である。
「豪華なデリバリーでも頼むか」
「デリバリーってなに?」
藍莉がわたしの顔を覗いて小首をかしげた。
「出前のことよ。ごはんを配達してもらうの」
「本当の美味いやつを食べさせてやる」
蒼士は自信満々だ。
「え、やったあ」
「たァー!」
藍莉のまねをして碧まで両手を上げたので、麺が飛んでいった。食べてるときにバンザイしないのと苦笑し、床に落ちた麺を拾う。
楽しそうな様子は微笑ましいが、同時に不安もよぎった。何かを「してやる」と意気込んだときの蒼士はデリケートさが増す。いい思い出がない。
「よかったね、藍莉。それに家でデリバリーなら碧が飽きちゃっても安心だわ」
口調から察するに予約も蒼士がしてくれるのだろう、わたしは慎重に情報を共有した。
「ケーキはもう予約してあるから外してね。あと、午後は藍莉のおともだちが来て誕生日会をするからたくさんは食べられないと思う」
水を差されたと感じたのだろう、蒼士は顔をしかめた。
「はァ、そう……」
必要な連絡ではあるけれど、言うタイミングが悪かったかもしれない。
「ありがとう、楽しみにしてる」
努めてあかるい雰囲気を出す。
お願い。怒らないで。
なるべく長い時間、穏やかな蒼士でいて。
次の更新予定
モラハラ離婚とふたつの家族|「かいぶつのいるところ」「シンデレラが去ったあと」 一月 @Ichi_gatsu
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