第3話 生きているだけの女
朝、優里亜は目を覚ます。
理由はない。
部屋は静かで、時計の音だけが鳴っている。
今日は何曜日か分からない。
分からなくても、困らない。
鏡の前に立つが、そこに意味はない。
名前を呼ばれることがない顔だ。
外に出る。
人はいる。
誰も見ていない。
歩く。
止まる。
また歩く。
何かを失った感覚はある。
だが、それが何だったのかは思い出せない。
後悔も、怒りも、願いもない。
あるのは、続いてしまっている時間だけだ。
夕方になり、夜になる。
それだけの一日。
優里亜は、生きている。
しかし、それだけだった。
朝が来ても、意味はない。
夜が終わっても、救いはない。
まわりの時間は流れているのに、自分だけがどこにも進んでいない。
そんな感覚が彼女にまとわりついていた。
高校は、いつの間にか行かなくなった。
最初は「休んでいる」つもりだった。
次に「行けない」になり、
最後は「行かない」という言葉すら使わなくなった。
学校に行ったとしても、誰ともかかわらず、一日を無為に過ごすだけ。
誰も強く引き止めなかった。
家族は腫れ物に触るように接し、
友人だと思っていた人物は、すでに連絡手段を断っている。
電話をしても着信拒否。
優里亜は、自分が“話題にさえもならない存在”になったことを理解していた。
街を歩いても、誰も見ない。
ぶつかっても、謝られない。
存在していないのと同じだった。
それが、一番きつかった。
夜、スマホを開く。
連絡先は残っている。
健人の名前も、まだそこにある。
消せない。
送れない。
一度だけ、何も考えずに文字を打ったことがあった。
「元気?」
送信する直前で、指が止まった。
――彼は元気だろう。
――でも、そう言える資格は今の自分にはない。
結局・・・画面を閉じた。
健人の人生は、もう自分のものではない。
それを理解してしまったからこそ、完全に終わった。
優里亜は、誰かに傷つけられて壊れたわけではなく、
自分で選び、自分で切り捨て、そして自分で戻ろうとして、
挙句の果てに拒まれただけ。
だから、怒れなかった。
誰も恨めなかった。
健人に怒る資格などない。恨むことも許されない。
世界は、正しかった。
ある日、鏡の前に立った。
そこにいたのは、
清楚だった少女でも、
派手だったギャルでもなかった。
何者でもない女だった。
目に光はなく、
表情は固まり、
「どうなりたかったのか」すら思い出せなかった。
優里亜は、静かに理解した。
――私は、もう誰にも選ばれない。
それは絶望ではなく事実だ。
目の前の自分は抜け殻だ。
そうしたのは自分だ。
健人の忠告に耳を貸さず、選ばれた女だと思い込み、
そして捨てられた。
あの時、彼の忠告を聞いていれば。
こんな事にはならなかったであろうことは、彼女でさえ解ることだ。
彼女は誰かに愛されたいとも、
やり直したいとも、
もう思えなかったし、
思えないこと自体が、自分の破滅だった。
夜、街の明かりの下を歩く。
笑う声が聞こえても、胸は動かない。
幸せそうな人を見ても、羨ましくもならない。
ただ、自分がそこに“混じれない存在”だと分かるだけだった。
健人の記憶は、薄れない。
だが、慰めにもならない。
優しかった人。
拒絶した人。
正しかった人。
そのすべてが、「もう二度と触れられないもの」になった。
優里亜は、今日も生きている。
死ぬ理由もなく、生きる理由もないまま
戻る場所も、
終わる場所も、
赦される未来もない。
それが、
優しさを軽く扱い、選択を誤った者に残された、
完全な破滅だった。
優しさに戻る場所はない てつ @tone915
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