第2話
※注意 遠巻きな性表現のニュアンスがあります。
*
アルファの仕事は決まっている。
向こうから仕事が歩いてやってくるまで、部屋にいる。自分からいそいそと出掛けて行ったりはしないのだ。
遅くに起き、夕方近くまでソファで過ごしている。それからおもむろにシャワーを浴び、のそりと別室にこもる。
「何をしているんですか」
問われて色素の薄い目を向ける。
「ネズミが、回し車に乗るだけだ」
「運動、ですか」
「体がなまるだろう」
「散歩とかはしないんですか。外の空気は」
面倒だ、と肩をすくめる。
息をするだけでも怠いご時世、ほかのことなどやっている余裕があるか。
返事はしなかった。
猫は黙ってくすくす笑う。なにがおかしい。
「あなたほんとうにアルファですか。あまりにも低い。…その、気力とかエネルギーとかです。もっと圧倒的なものかと」
「…疲れているんだ」
周期がくれば、それらしくなる時もくるだろう。
それまでは、半分死人のように息継ぎをしているだけの。求められる以上のことはしない、生存要件に入っていない。
「…名前を言え。住み続けるならな。すぐ出てゆくなら、訊きはしない」
「…オメガです。知っているんじゃないんですか」
「おれは知らん。なにも」
何も知らされぬまま、閉じこめられているような暮らしを続けている。
明日はまた、同じ灰色に塗りこめられた壁を見つめる日、新しきことなど何もない。
「あなたの、オメガですよ」
無言で見返し、関心のないことを伝える。
「…まだ、しませんか」
「しない。おまえとは」
残念です、とうそぶくのを聞かないふりをした。
誠意のかけらもない声だ。からかっているのか、目的はなんだ。
問うこともせず…、見つめた。
闇がいっそう深くなる。細められ、引き絞られて的を射る。
「あなたの心臓に…入りたい」
「入れてやらん」
笑いをドアで遮った。
アルファは固い靴を鳴らし、歩みゆく。
肩に注ぐのは過ぎゆく時のかけらに似た、水の結晶だ。水のくせに、なぜ白いのか。その理由を、今も知らない。
今日は検診と撮影のために部屋を出た。指定の医療センターまで迎えの車に乗った。
肉体の組成や脳をスキャンされ、異常の有無を調べる。
無事であることが確かめられれば、検査の後の食事が出る。エネルギーバーでもかまわないが、食事の体裁をとっている。
噛み締めるが、いつも味が感じられない。いつからか、いつでもか。
味覚を感じたことがない。だから、栄養剤の定期摂取と変わらない。
兄弟の統治するビルにも顔を出す。健康であることを報告するための儀式に、撮影がついてくる。
おまえはそのぐらいしか能がないのだからと、プラチナのゴーグルに遮られた視線がささやく。
顔立ちは、アルファによく似ていた。筋肉量を八割落としたような、痩せかたで。コードに繋がれた指が触れ、顔の輪郭を確かめてきた。
おまえはおれの出先機関だ。変わったことはなかったか。
祈りを聞き流すように、黙っていた。
返す言葉など、ないからだ。迷ってきた猫を部屋に入れたことなど、些細ささいすぎて変化のうちには入るまい。
兄弟は満足そうに手を離した。もういい。次の定期交信まで大過なく過ごすように。
余命は残りいくつと数えるような体に、危うく接木するシステムで生き延びている。この街も、人も。
タスクが終わり、ビルを出た。
スキャンの折にすべてが終わり、体にフィットする衣服までもすべてが供給される。
エネルギーバーも送られてくる。それでかまわないと言ったからだ。冷凍食を開けることさえ手間に感じられ、部屋の中央に倒れていたことがある。
医療センターへ緊急コールが発信され、死ぬことはできなかった。飼い殺しの灰色の闇よ。
無機質な回廊を渡ってドアを開けると、待っていたような顔が出迎えた。笑顔だった。
「ああ、おかえりなさい」
スープの香りに迎えられた。
「なにをしている」
「なにって、料理を。鶏肉と野菜を煮ました」
形ばかり整えられたダイニングテーブルに、二つのスープ皿が並べられる。
「材料はどうした。なにもなかっただろう」
「買いに出ましたよ、暇なもので」
オメガと名乗った黒髪の主は、後ろでひとつにゆるく束ねた髪型のままで笑う。別人に見えた。
コートを脱いで、フックに掛けた。
そんな習慣は生まれつきなかったのだが、兄弟にひどく叱られたのだ。
神経質なプラチナゴーグルは、だらしなさを嫌っている。自分であることが許せないと、こめかみに筋を立てていた。
躾けられた行儀のよさで、椅子を引き背筋を伸ばして腰掛ける。
「良い子ですね」
オメガは何を知っているのか。
透明なスープを曇らせる、湯気の向こうの意図が見えない。体液に近い組成の塩分に、タンパク質がほどよく解けて揺らめいている。
ハーブの香りは、最低限の生存条件には必要ないものだ。コショウも、パセリも。
「だって、おいしいでしょう」
悠然と微笑み、スプーンを口に運ぶ。
はじめて味覚を刺激されたとき、後ろ髪に隠れた地肌が総毛立った。
「ほら、その顔。じきに、もっといい顔になりますよ」
「おまえは何を知っている」
「それは言わない約束でしょう」
約束など…と言いかけて皿の中身が空であることに気づいた。こんなものでは、足りない。もっと、もっとだ。
瞳の奥に、点火された。
さては周期が満ちたのだ。
〈続ク〉
【散文詩】サイバーパンク夢十夜 イエロウ @yellow_snap_dragon
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