第2話 魔王、異世界人に遭遇する

 その日、俺は謁見の間で報告を聞いていた。

 

「――以上、今年の収穫予測でございます」

 

「ふん、豊作か。まあ良かろう」

 

 正直、農作物の収穫など、俺にとってはどうでもいい話だ。

 魔王たる俺が気にすべきは、勇者の動向と軍事力の強化だ。

 だが、民が飢えれば反乱の種になる。最低限の関心は示しておかねばならん。

 

 退屈な報告を聞き流していた、その時――。

 

 突如として、謁見の間に暴力的なまでの魔力が吹き荒れた。

 その重圧に床は軋み、空気が爆ぜる。

 

「な、なんだ? 何が起こった!?」

「防衛陣を張れ!魔王さまをお守りしろ!」


 不測の事態に、精鋭であるはずの兵士たちが狼狽える。

 その喧騒を、一筋の雷鳴が切り裂いた。


「――鎮まれ!」 


 ゼインの一喝が、雷鳴のごとく広間に轟いた。


「魔力こそ膨大だが、それだけだ。マナの波動も安定している。――これは攻撃魔法では無い!総員、怯むな!」


 雄々しく響く声。

 威風凛然いふうりんぜんたる姿を兵士たちに示し、荒れ狂う魔力の奔流を正面から見据えている。

 その堂々たる佇まいに、浮足立っていた兵士たちも落ち着きを取り戻していく。

 

 「総員、持ち場を死守せよ! 無暗に動けばマナの流れを乱す。落ち着いて対処せよ!」


 精鋭達は「ハッ!」と短い応諾を示し、警戒態勢を取る。

 俺はそれを眺めつつ、吹き荒れる魔力の渦に注意を向けた。

 

 ゼインの分析通り、攻撃魔法の可能性は低い。

 だが、この奇妙な波長……この魔王たる俺も知らぬ魔法に、密かに眉をひそめる。

 

「魔王様、念の為この場を離れた方が……」


「馬鹿を言え。魔王たるこの俺が、危なそうだから逃げろと?」


 ゼインも万が一を考えての進言だろうが、そんな事を出来る訳がない。

 何が起ころうとも、力でもって道を切り拓くのが魔王たる姿だ。


「そんな事をしてみろ、あっという間に下剋上が起こるぞ。弱い魔王に誰がついてくる?」


 ゼインの進言を鼻で笑って退け、未だ暴力的な魔力の渦を睨みつける。


「……そろそろ、何か起きそうですね。防御結界で御身をお守りします!」


 ゼインが両手をかざすと、その周囲に蒼と黒の魔力が迸った。

 宙に描かれた神代文字が術式を刻んでいく。

 幾重にも重なり合い、玉座を包み込むような堅牢な半透明のドームを形成する。

 術式が完成すると、結界は空間に溶けるように不可視となった。

 

 張り詰めた静寂の中、誰かが息を呑む音が聞こえた。

 謁見の間を満たしていた膨大な魔力が、中央の一点に向けて収束していく。


 ガラスを指で弾いたような高く澄んだ音が耳を打つ。

 目に視えるほどに凝縮した魔力の塊が、空間を軋ませている。


 ――来る。

 

 その瞬間、視界を全て塗りつぶす、純白の閃光が炸裂した。




 ――眩しい。

 

 くそっ!目を開けることすらできない。

 200年の魔王としての経験の中でも、これほどの光を見たことは無いぞ。

 

 攻撃魔法でないのはわかっていたが……いきなり強烈に光るとは予想外だった。

  

 徐々に光が収まり、霞む視界の中に、一つの人影が浮かび上がる。

 

 魔力が爆発した場所には女性がひとり、目を閉じて立っていた。

 

 あれは……角が無いな、人間か。


 漆黒の髪が、月光のように艶めいている。

 閉じられた瞳は切れ長で、すっと通った鼻筋、紅い唇。

 

 ――違う、今は容姿など問題ではない。

 

 だが、視線が離せない。

 紺色の奇妙な衣服。短い腰巻きから覗く白い足。

 

 魔族の女とは違う、人間特有の柔らかな雰囲気。

 

 ――くそ、何を見ている!?

 

 自分を叱咤するが、目は女の姿を追い続けていた。


 この女は、明らかに異質だ。

 目を閉じて佇む姿は神秘的で、目を惹きつけられ――


「――は?」


 ――いや、違う!

 今、この女の容姿など問題ではない!!

 なんだこれは? 突然人が現れるなど……はっ!まさか、神の時代の転移魔法だとでもいうのか!?

 

 まずいぞ、それほどの使い手となると、俺でも厳しいか?

 

 心の中で戦々恐々としていると、ふと気付いた。


 ――こいつ、魔力が無い?


 そんな馬鹿な! 全く魔力を感じないぞ。

 では、転移自体はこいつの仕業ではないのか?


 混乱しながら現れた女を見ていると、わずかに指が動いた。

 ゆっくりと瞳を開いていく。


 喉が渇く。

 口の中がカラカラだ。


 耳鳴りがするほどの静寂の中、その女が目を開けた。

 

 ゆっくりと室内を見回す。

 

「――は?」


 女が何かを呟いた。

 どうやら意識が戻ったようで、慌てたように周りを見回している。

 動きがあったからか、兵士達も警戒態勢を取り直す。

 

「どこから入ってきた!?」

「人間め!魔王城に直接乗り込んでくるとは!」


 突然の怒声に、びくりと肩を揺らしているが……それだけだ。

 魔族の兵士に取り囲まれているのに、随分と冷静だ。

 やはり、かなりの実力者なのか?

 

「いえ、乗り込んだ訳ではなくて、突然ここに連れてこられたんですけど」


 まるで、日常会話のように気負いなく兵士に返事をしている。

 警戒して女を観察するが、やはり魔力は感じない……


「状況を把握したいので、ここの住所と、今日の日時を教えて貰えますか?言葉が通じるという事は、ここは日本でしょうか?でも、角が生えた人間なんて日本には居なかったし……あっ!コスプレか映画の撮影ですか?」

 

「……なに?」


 ゼインが思わずといった感じに反応した。

 気持ちはわかる。この女、何を言っている?


「コスプレじゃないなら、もしかして異世界ですかね?それなら、もしかして家に帰れない?じゃあ、どこかで仕事を探さないと……あ、ここがどういう組織なのか教えて貰えますか?労働法とかはありますか?」

 

「……魔王様」


 ゼインが小声で囁く。


「この人間、おかしいのでは……」


「いや、肝が据わっているのかもしれん。この俺の前に立って、震えていない人間など初めてだ」


 眉根を寄せながらあの女を見ているが、考えている事は恐らく同じだろう。


「あの人間から魔力は感じませんが……何か、只者ではない気配を感じます。あの落ち着きは、訓練されたものではない。まるで、生まれつき恐怖を知らないかのような……」


「ふん、お前もそう感じたか」


 俺もゼインと同じ印象を抱いていた。

 この女は、恐れを知らないのではない。

 ――恐れる必要が無いと、本能で理解しているのだ。


 俺はもう一度その女を観察する。


 その瞳には、恐怖の色が無い。

 いや、それどころか――好奇心すら感じる。

 

 200年間、この俺を前にして震えなかった者など一人もいなかった。

 人間も、魔族も、魔獣すらも。

 

 なのに、この女は違う。

 まるで、俺が魔王であることなど知らないかのように……いや、知っていても気にしていないかのように、平然としている。

 

 ――面白い。実に、面白い。

 

 俺の中で、何かが動き始めた。

 それが好奇心なのか、それとも別の何かなのか――この時の俺には、まだわからなかった。


「多分、貴方がこの中で一番偉いんですよね?返事を頂けますか?」


 ほぅ、面白い。この俺に正面から意見までしてくるとは。

 なんとも命知らずな女だ。


「ふん、面白い。仕事を探すと言っていたな。よかろう。お前、ここで働いてみるか?」


 ただ、この俺の威圧を受けて失神するようなら、この話は無しだ。

 威圧の度にいちいち気を失われては面倒だからな。

 

 暑苦しい兜を脱ぎ捨てる。

 頬に涼やかな空気を感じていると、そいつが驚いたように目を見開いている。


 ……なんだ? 俺の顔に何かついているのか?

 まぁいい。とりあえず軽めに威圧をしてみるか。


「……え?就職のお誘いですか?」

 

 こいつ……何も感じないのか?

 魔王の威圧だぞ! この圧倒的な魔力を感じないのか!?

 くっ……なんだこの負けたような気分は!

 

「……命を助けてやるというのに、随分な返事だな。お前、ここが何処かわかっているのか?」


 仕方ない。さっきより強めに威圧するとしよう。

 安心するがいい。脆弱な人間でも死なない程度に抑えてやる!

 

「いえ、ですからさっき言ったでしょう。突然ここに連れてこられたと。ここが何処なのか教えて欲しいとも言いました。聞いてなかったんですか?それと、就職についてですが、こちらの就業規則はどのような内容でしょうか?勤務時間は?福利厚生は?休日日数と有給休暇についても説明が欲しいです。あと――」


「待て待て!」


 思わず玉座から身を乗り出して制止する。

 

 ――何も感じていないだと?

 

 この俺の威圧が、全く効いていない。

 

 200年間、この魔力を前にして平然としていた者など一人もいなかった。

 なのに、この女は……

 

 ――面白い。

 

 悔しさと、好奇心が入り混じる。

 この感覚は、一体何なんだ?


 好奇心で前のめりになっていたが、兵士達が騒めきだしているのが目に入った。


「魔王様……どうしたんだ?」

「あの女は一体……」


 ま、まずいぞ、この雰囲気はよくない。とりあえず勢いで押し切るしかない!

 

「いっぺんに言われてもわからん!とにかく、面白そうだからお前を雇ってやる。見習い近侍としてな!」


 兵士達に合図して、謁見の間から退室させる間も何やら言っていたが、もう勘弁してくれ。

 静寂が戻った室内を眺めて、椅子にもたれかかる。

 

 ふぅ……何かどっと疲れたぞ。

 

「魔王様、本当によかったのですか?人間達の間者かもしれませんよ?」

 

 心配性のゼインが聞いてくるが、まぁ大丈夫だろうさ。

 

「はっ、間者だろうと、あんな魔力も無い人間が、この俺に何ができる?むしろ、あの恐れを知らぬ態度……興味深い。しばらく観察させてもらおう」


 

 ――俺は、沙良の事を『面白い人間』くらいの気分で傍に置いた。

 

 だが、この時の俺は知らなかった。

 

 この出会いが、俺の全てを――

 200年間築き上げてきた魔王としての在り方を、根底から覆すことになるとは。

 

 そして、この胸の高鳴りが何を意味するのか、気づくまでにそう時間はかからなかった。

 


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魔王城でお仕事【魔王視点】~異世界人を雇ってみたら、魔王軍が劇的に変わったんだが~ 名雲 @watawata04165

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