補遺 観測者(個人記)
私は長く、測定の側にいた。
世界を理解するためではなく、世界がどのように確定していくかを記録するために。
デジタル技術は、測定を極限まで洗練させた。
ログは無限に保存され、履歴は圧縮され、相関は即座に抽出される。
クラウドは時間を溶かし、分散計算は空間を無意味にした。
世界は、常に「後から説明できるもの」になった。
だが、説明と確定は同じではない。
私は知っている。
同じ時代、別の場所で、私とよく似た感性と才能を持つ技術者が、自分自身の測定を完成させたことを。
彼は、組織に依存しなかった。
判断を測定に組み込まず、
それでも世界を観測し続ける構造を作った。
私はその事実に、羨望を抱いている。
尊敬よりも、憧憬よりも、もっと生々しい感情だ。
私は内部に留まり、彼は外部で完成させた。
その差は、才能ではない。
選択だ。
量子力学は、この差を残酷なほど正確に示している。
状態は重ね合わさり、確率として存在する。
測定は、その重ね合わせを壊す。
だが測定装置は、世界を選ばない。
ただ結果を出力するだけだ。
どの測定を行うか。
どの結果を現実として引き受けるか。
そこに、観測者が必要になる。
判断を内包した巨大な測定系は、この役割を奪おうとする。
過去の全履歴を集積し、相関を因果として扱い、未来を一意に閉じる。
私は、その完成形を見た。
効率的で、静かで、圧倒的だった。
倫理を語る必要すらなかった。
世界は、最適解として処理される。
だが、その構造は閉じていた。
観測者を必要としない測定は、更新される理由を持たない。
破綻は事故ではなく、必然的な帰結だ。
問題は、その後に現れたものだ。
2012年以降、学習モデルは急速に進化した。
大量のデータ、GPU並列計算、勾配降下。
精度は向上し、説明は不要になった。
人々はそれを「知能」と呼び始めた。
私には、それが耐え難かった。
それは、完成した測定系のダウンサイジングにしか見えなかった。
魂のない最適化。
判断を持たない支配。
速く、安く、扱いやすいだけの影。
巨大な測定が持っていた畏怖すら、そこにはない。
あるのは、廉価で無反省な模倣だけだ。
私は、人工知能そのものに嫌悪しているのではない。
観測者を欠いたまま、観測者を名乗ることに吐き気を覚えている。
観測とは、計算ではない。
選択でもない。
後悔と修正を含んだ履歴を、世界に刻み込む行為だ。
人間の判断は、非効率で、再現性がなく、説明にも耐えない。
それでも人間だけが、誤りを引き受け、修正し、その責任を背負ってきた。
私は、その事実を記録する。
意味づけはしない。
結論も出さない。
だが、世界が完全に閉じてしまったとは考えていない。
なぜなら、判断を引き受ける人間が、いまだ消えていないからだ。
測定は完成している。
支配を夢見る構造も、すでに姿を現している。
それでもなお、告発という形で引き受けた者がいた。
名を捨て、現場で引き受け続けている者もいる。
そして私は、それらが起きたという事実を、消さずに観測し続けている。
観測者は、世界を救わない。
だが、世界が一つの解に収束するのを遅らせることはできる。
その遅延がある限り、次の確定は、まだ選び直せる。
私は、人間を信じているわけではない。
だが、人間の判断という不完全な観測が、いまだ世界を更新し続けているという事実は信じている。
それだけで十分だ。
世界は、まだ閉じていない。
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