プラレール三四郎 ――最適化された勝利は、誰のものか。

五平

第1話:青白いレールの開幕

放課後の体育館に満ちているのは、熱気というよりも、電子機器が発する独特のオゾン臭と、何万回と繰り返されてきたプラスチックの摩擦音だった。かつてここは、バレーボールの乾いた音が響き、中学生たちの未熟な歓声が木霊する場所だったはずだ。しかし今、広大なフロアを占拠しているのは、幾何学的な狂気を孕んだ「青い迷宮」——競技用プラレールの特設コースである。


「総延長、八百四十二メートル。高低差、最大一点二メートル」


三四郎は、観覧席の最前列に陣取り、手元の専用端末『ABACUS-Link』の画面を見つめていた。画面上には、体育館のフロアを三次元スキャンした青いワイヤーフレームが投影されている。

「湿度、四十二パーセント。気圧、一〇一三ヘクトパスカル。空調による気流の乱れ……誤差の範囲内だ」


三四郎の視線の先、スタートラインに鎮座する愛機『アバカス』は、静かだった。外見は市販の通勤電車を模したありふれた青い車体。だがその内部には、三四郎が独自に開発したAI制御エンジン『XM3』が搭載されている。四つの車軸に張り巡らされたセンサーが、一秒間に数千回の頻度でレールの表面状況を読み取っていた。


「おい、三四郎! またそんな暗気臭い画面と睨めっこか?」

背後から、鼓膜を震わせるような太い声が飛んできた。レンジだ。彼が抱える『アイアン・ルシファー』は、肉厚のアルミ削り出しボディに高電圧電池を積み込んだ、まさに「走る鉄塊」だった。


「データだの計算だの、そんなもんでレースができるかよ。プラレールってのはな、このレールの『鳴き』を聴いて、魂でねじ伏せるもんなんだよ!」

レンジが愛機をコースに置くと、青いプラスチックのレールが「ギ、ギ」と嫌な音を立てて撓んだ。

「魂では、レールのジョイントによる0.02秒の接地不足(スリップ)は解消できない。僕のAIは、その0.02秒を予見し、モーターの回転数を15rpm単位で補正する。君のルシファーがパワーでレールを叩いている間に、僕はレールの『意志』に同期するんだ」


シグナルが点滅を開始する。赤、赤、赤。そして——。

「行け、アバカス」

三四郎が端末をスワイプした瞬間、体育館の床を揺らすほどの駆動音が爆発した。


アバカスはスタートと同時に、文字通り「弾け飛んだ」。AI制御によるトラクション・コントロール。タイヤが空転するわずかな兆候すら許さず、すべての電力を推進力へと変換する。アバカスは、先行するレンジのルシファーを、第一コーナーに到達する前に音もなく抜き去った。


三四郎の視界(AR)の中で、青白いラインが鮮烈に輝く。アバカスはそのライン上を、まるで氷の上を滑るカミソリのように、滑らかに、そして無慈悲に疾走し始めた。第一コーナー、第二セクション。XM3は、マシンの挙動からレールのわずかな歪みを検知し、瞬時に車体の安定化を図る。完璧だった。走行データはシミュレーションと九十九パーセント一致している。


しかし、その静寂を、背後から迫る地響きが蹂躙した。

「らぁぁぁあああ!! 逃げてんじゃねぇぞ、三四郎!!」

視界の隅に赤い残像が躍り出た。ルシファーだ。

「馬鹿な……。ルシファーの重量では、今のコーナーをその速度で曲がれば、遠心力でコースアウトするはず……!」

三四郎の端末に表示されたのは「Error: Physical Logic Defied」の文字。ルシファーは曲がっていたのではない。圧倒的な自重により、レールの側壁を削りながら強引に向きを変えていたのだ。


「計算? 効率? そんなもんは、この『重さ』の後に言いやがれ!」

レンジのマシンが、アバカスの側面に接触する。ガツン、という鈍い衝撃音。

「くっ……!」

接触による外乱。AIが即座に姿勢を制御しようと、各輪の出力を狂ったように調整し始める。だが、レンジの攻勢は止まらない。ルシファーはストレートであえてアバカスに車体をぶつけ、相手の計算を「ノイズ」で汚しにかかっているのだ。


「三四郎、お前のAIは『正しい走り』は知ってるだろうが、『喧嘩の仕方』は知らねぇようだな!」

急勾配のバンク。アバカスは接触のダメージを避けようと、安全な外周ラインへと逃れようとする。AIの判断だ。だがその瞬間、レンジはプロポのレバーを限界まで叩き込んだ。ルシファーのモーターが断末魔のような悲鳴を上げ、バンクの頂点からアバカスの前方へ「落下」するように割り込んだ。


「前を……塞がれた? この重量で、そんなリスキーな……」

三四郎の脳内で、青白いラインが激しく点滅し、ついにはプツリと途切れた。予測モデルの崩壊。レンジは、勝つための「最適解」を選んでいるのではない。三四郎の「計算」を破壊し、自分と同じ泥沼の物理現象の中へ引きずり込もうとしている。


(……これが、レースなのか?)

三四郎の指が、端末の画面上で泳ぐ。これまではAIがすべてを導いてくれた。自分はただ、その正しさを確認する「監査役」でしかなかった。だが今、目の前にあるのは、計算では導き出せない「意志の激突」だ。


「レンジ……!」

三四郎の瞳に、初めて計算以外の色が宿る。

「AI、再構築を急げ。……いや、いい。僕が直接介入する」

三四郎は端末の「自動最適化」ボタンを解除し、手動介入モードを起動した。


アバカスは、前方を塞ぐルシファーの隙間を縫うように、不規則な再加速を開始する。AIの警告アラートが赤く画面を染めるが、三四郎はそれを無視した。

「理屈じゃない。……届かせるんだ」


青いプラスチックのレールの上で、二つの異なる哲学が火花を散らす。三四郎は今、初めて自分の足で、この終わりなきレールの深淵へと踏み込んだ。

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2026年1月12日 18:00
2026年1月13日 18:00
2026年1月14日 18:00

プラレール三四郎 ――最適化された勝利は、誰のものか。 五平 @FiveFlat

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