第5話 花火と絶滅と粋な引き際
消防車のサイレンが校門をくぐったのは、全てが終わってから十分後のことだった。 屈強な消防隊員たちがホースを抱えて温室になだれ込んだ時、彼らを出迎えたのは、猛火でもなければ銀色の怪物でもなかった。 床一面に広がる、ドス黒いヘドロのような汚水と、ツンとする薬品臭だけだ。
「……なんだこりゃ? ボヤ騒ぎじゃなかったのか?」
隊長らしき男が、呆気にとられた声で無線に連絡を入れている。 無理もない。極低温で凍結粉砕されたナノマシンは、解凍される過程でその複雑な構造を失い、ただの有機炭素の混合物――要するに「汚れた水」へと変質していた。 俺とさくらが仕掛けた「証拠隠滅(オーバーキル)」は完璧だったわけだ。
「まったく! ネットで見た怪しい肥料を試すなんて、何を考えているんだ田中!」
職員室前の廊下で、数学教師の怒鳴り声が響いている。 田中はしおらしく頭を垂れ、涙目で謝罪を繰り返していた。
「す、すみません……まさか、あんな化学反応が起きるなんて……」 「スプリンクラーが誤作動したから良かったものの、一歩間違えば大惨事だぞ! 反省文五枚! あと、温室の掃除は君が一人でやること!」 「は、はいぃ……」
その様子を、俺は少し離れた踊り場から眺めていた。 大惨事、という言葉の解像度が違いすぎる。 先生にとっては「ボヤ騒ぎ」だろうが、実際は「文明崩壊(アポカリプス)」の一歩手前だったのだ。 だが、その真実は誰にも知らされない。田中は一生、自分が世界を滅ぼしかけた大罪人であることなど知らず、ただの「ドジな園芸部員」として生きていくのだろう。
(……ま、その方が平和でいいか)
世界を滅ぼしかけた罪が、反省文五枚と温室掃除で済んだのだ。安いもんである。 俺は一つあくびを噛み殺し、重たい鞄を肩に担ぎ直した。 アドレナリンが切れたせいで、全身に鉛のような倦怠感がのしかかっている。 帰ろう。 誰も知らない平和な日常へ。
学校を出る頃には、空はすっかり茜(あかね)色に染まっていた。 通学路沿いの河川敷を歩く。 カア、カア、とカラスが鳴きながら巣へ帰っていく。川面には夕日が反射し、長く伸びた俺の影が、ゆらゆらと水面で揺れていた。 ポケットの中で、スマホが短く振動した。 俺は立ち止まり、画面をタップする。 通知の差出人は『FATHER』。 期待と、少しの緊張を込めてメッセージを開く。そこに表示されたのは、たった四文字のテキストだった。
『ご苦労(Good work)』
……それだけかよ。 俺は思わず、画面に向かって溜息をついた。
「……もう少し褒めてくれてもいいだろ。死ぬかと思ったんだぞ」
誰に聞かせるでもなく、ボヤく。 命がけでナノマシンと戦い、即席の化学兵器を作り、学校を、いや世界を救ったのだ。 「感動した」とか「お前こそ我が息子だ」とか、そういう熱い言葉があってもバチは当たらないはずだ。
『へっ、野暮なこと言うねえ』
不意に、視界の隅から煙管(キセル)の紫煙が流れてきた。 ARウィンドウの中に、さくらが腰掛けている。 彼女はガードレールの上に(実際にはデータの座標上に)器用に座り込み、夕日を背にしてプカリと煙をふかした。 その横顔は、いつものふざけた様子とは違い、どこか大人びて見えた。
『誰かに褒められたくてやったのかい? 違うだろ』 「それは……そうだけど。達成感とか、承認欲求とか、あるだろ普通」 『だから、野暮だって言うんだよ』
さくらは口元をニヤリと歪め、煙管の雁首(がんくび)で俺の鼻先を指した。
『誰にも知られず、見返りも求めず、仕事だけきっちりこなす。誰も気づかないうちに、何事もなかったかのように日常を守る』
彼女は着物の袖を振って、沈みゆく夕日と、その下に広がる街並みを示した。 家路につくサラリーマン。スーパーの袋を提げた主婦。笑いながら自転車を漕ぐ学生たち。 誰も、数時間前に自分たちが消滅しかけていたことなど知らない。 明日も当たり前に今日が続くと信じている。
『それが「粋(いき)」ってもんでしょ? ヒーローってのは、影法師みたいなもんでありんす』
粋、か。 最先端のAIが、江戸の美学を語るとは。 だが、不思議と嫌な気分ではなかった。 誰にも知られない戦い。評価されない功績。 けれど、この景色を守ったのは、間違いなく俺とこいつだ。
「……へいへい。お説教は分かったよ、江戸っ子AI様」
俺はスマホをポケットに突っ込み、再び歩き出した。
『分かればよろしい。さあ、早く帰って時代劇の続きを見るよ! 今日は「暴れん坊将軍」の神回なんだ!』 「お前、本当にAIか? 中におっさんが入ってるんじゃないだろうな」 『失礼な! あたしゃ正真正銘、花の美少女AIだよ! ほら、もっとシャキッと歩きな!』
脳内で騒ぐ相棒の声を聞きながら、俺は夕焼けの中を歩く。 破壊技術の民主化。 誰でも世界を壊せる時代。 今日のような事件は、きっと氷山の一角に過ぎない。明日また、どこかの教室で、あるいはどこかの路地裏で、世界の終わりのトリガーが引かれるかもしれない。
だが、心配はいらない。 この街には、俺たちがいる。 誰にも知られず、誰にも称賛されず、けれど誰よりも「粋」に、世界を守る準備はできている。
「……腹減ったな」 『あたしは電気があれば十分さ。あ、でも柏餅のデータなら食べてもいいよ』 「却下だ」
俺たちの日常は、まだ始まったばかりだ。
コード・サクラ:江戸前AIと高校生エージェントの事件簿 時空院 閃 @tw29092
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