第2話 新参と最古参

 日曜日、午前9時45分。

 呼び出しもなく、よく眠れた。ただ、どうにも常に緊張の糸を張っているせいで、疲れがないかと言われれば嘘になる。土曜日の当直を終えて、帰り支度を済ませる。

「はぁ……。」

 基本的に週5日間の平日勤務。看護師さんはシフト制。必然的に、西宮さんとは毎日会えるわけではない。……というか、そんなふしだらな気持ちをモチベーションにするのも違う。

 階段を下り、病院を出ようと外来受付を横切ろうとしたときだった。

「……げっ。」

 左から、めんどくさいモンスターとエンカウントしたかのような彼女の声が聞こえる。

 マスクに眼鏡、目元には夜勤の疲れが滲み出ている。

「あっ……。かお、じゃなくて西宮さん。お疲れ様です。」

 鉢合った僕たちの足が止まり、背筋が伸びる。……なんだか、芸能人のプライベートを覗き込んだような、今までにない感覚。

 なにか気の利いたことでも言えたらよかったのだが……。

 僕が次の言葉を探していると、西宮さんは誰もいない外来受付を、キョロキョロと見回す。

 僕の方に向き直る。半分隠れた顔からは、なにかの企みを感じる。あまり良くない方の。

「ねえ、先生?」

「はい?」

 脈絡もなく僕の首根っこを掴んで引っ張る。

「推し活だと思って?」

 ずるずると身体が引っ張られていく。前傾の身体が倒れ切らないように足が出る。……推し活?

 自動ドアを抜けて、西宮さんは病院の前に停まるタクシーに向かい手を挙げる。

「駅まで、お願いしまーす。」

 快活に、僕の意見など聞かずにタクシーに引きずり込まれる。

「あの……。僕、家逆で……。」

「ワンドリンクで、30分お話でもいかがですか?」

「駅前のスタバまでお願いします。」


 そこそこ賑わう店内の端。病棟で初めて会話したときのように、カウンターに横並びで座る。

 西宮さんは、マスクの下からストローを通して、生クリームもりもりのフラペチーノを啜る。

 ストローを咥えたまま彼女が呟く。

「先生、ごち。」

「ああ、うん。」

 ホットコーヒーに口をつける。

 えーっと、こういうときは何を話せばいいんだ……。

 沈黙を誤魔化すように口を開く。

「……最近、暖かくなってきましたよね。」

「なに言ってんの?」

 顔を向ける彼女に、目が合わせられない。

 女性経験のなさが、浮き彫りになる。いや、ただの女性ならば、ここまで緊張はしないか。

「すみません。こういうとき何を話せばいいのか……。」

「撮影会では、あんなにベラベラしゃべってたのに?」

 いや……。あれは、しゃべってたというか、ライブの興奮で意味のない単語が口から出てきてしまったというか……。

「……じゃあ、一つだけ聞いてもいいですか。」

 たぶん口に出さないのが正解だ。でも、もしも話す機会が訪れたなら聞きたかったことがある。

 彼女のフラペチーノは、すごい勢いで水位を下げていく。

「ん。」

「なんで、あのタイミングで辞めちゃったんですか。」

 ピタっと、飲む口が止まる。

 僕は続ける。

「メジャーデビューとかの噂もあったじゃないですか。」

 彼女の所属していたグループは、結成3年目にして破竹の勢いで新規ファンを獲得していった。小さな箱には収まりきらず、そろそろ表の舞台に立つのではと言われ始めた頃、突然の卒業発表だった。

 彼女は、大きく息を吐いて、天を仰ぐ。

「何年前の話?」

 目線を落として、ストローの先で生クリームをいじる。

「ちょうど、1500日ですね。卒業から。」

「きも。」

 どうしても、すっぴんは見せたくないようで、マスクをつまみ、すくい上げた生クリーム口へ運ぶ。

 彼女が、僕に聞く。

「……もしも、今まで続けていたなら、私たちは天下を取れていたと思う?」

「……。」

 口を紡ぐ。

 迂闊に肯定できるような問いかけではなかった。

 市場の競争率、そのときの流行、年齢、時の運、それらの全てが嚙み合ったとしても咲き続けられる花はわずか。盲目的に応援していた僕でさえ、彼女らがのし上がっていくビジョンは見えなかった。

「もともと、就職と同時に辞めようと思ってたし。

 学生の頃でさえ、ひいひい言いながらアイドルやってたのに働きながらなんて無理でしょ。」

 夜勤明けで情緒が不安定になっているのだろうか、どこか自分に言い聞かせるように話す、未練を断ち切れない声色。

「スポットライトは浴びれなくても、私のことを必要にしてくれる人だっているし。」

「……。」

 現実的な意見だった。

 周りの客の声が、やけにうるさい。

 ――そうだな。そうだけど。

 そんな歓声を掻き消してきた彼女の歌声が、もう一度聞きたかった。

 僕の中で、まだ小さくくすぶっていた火種が口を走らせる。

「……僕は、みんなに自慢したい。」

「は?」

「日の目を浴びなかった薄暗い地下には、こんなにすごいアイドルがいたんだぞって。」

「なに言ってんの?」

 友達もいなかった、勉強だって周りの天才たちと比べると何倍もやらなきゃ張り合えなかった。ただ、自分勝手だけど、あなたのおかげでしんどいときだって踏ん張れた。

 たしかに、アイドルは厳しいかもしれない。

 だけど。

「もう一度、天下を目指してみませんか。僕と。」

「はっ。」彼女の、それは失笑だった。

「……いやいや。」

 アイドルには似つかわない態度で一蹴し、数秒目を落とす。

 彼女は、小さく溜め息をついて、バックからスマホを取り出す。

 Xのアプリをタップして、アカウント切り替える

 フォロー0、フォロワー0。

 アイコンすら空白。

 ただ、プロフィール欄には、『歌って、踊れる、コスプレイヤーを目指します。ただいま、準備中。』の文字。

 なんの投稿もされていない、1年以上前に作られていたSNSアカウントだった。

 画面を見ながら、ポツリと漏らす。

「……背中を推してほしかったのかな。」

 まだ、諦めきれないのは彼女も同じようだった。

 そっぽを向き、スマホを指さして続ける。

「……今なら最古参、名乗れるぞ。」

 心臓が強く鳴る。初めて見たときの、あの感覚と同じだった。

 急いで、スマホを取り出しIDを打ち込む。

 リン@新人コスプレイヤーのフォローをタップするときには、彼女は荷物を持って立ち上がっていた。

 テーブルからスマホを取りあげる。

「先生は、明日も朝から仕事でしょ。」

「あ、ちょっと待って……。」

 僕も急いで残りを飲み干そうとする。

 構わず、踵を返す。

 雑踏にもみ消されそうなほど小さな声で彼女が言った。

「ごちそうさま。ファン1号くん。

 ……これから忙しくなるよ。」

 それだけ言い残して、彼女は店を出た。

 太陽がスポットライトのように照らし、きめ細かく光る髪の毛。

 泣きながらステージを去った面影はどこにはなかった。

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僕の最推しは、看護師さん かんざし こころ @kokoro_kanzashi

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