僕の最推しは、看護師さん

かんざし こころ

第1話 元最推し

 2年間の研修医生活を終え、今日から専攻医として配属になった愛連総合病院。肩書きだけは、やっと一人前になったはずだった。

 医師どうしの挨拶も早々に、病棟に上がる。今季から新しく入った者たちで、看護師さんたちに挨拶に行く。消毒液の匂いと、独特の慣れない雰囲気。まずは、ここが大切だ。信頼を勝ち取れなければ、使えないやつ扱いになる。

 研修医あがりは僕だけ。先輩たちは、スラスラと自己紹介を済ませていく。この待ち時間は、どこに視線を置けばいいのか、いつもわからない。

 そわそわしてるうちに、僕の番がきた。

 ゆっくり息吐いて、口を開く。

「専攻医1年目の進藤学です。研修は大河内病院で――」

 挨拶の途中で、嵐がやってくる。

「やばい、やばい。あと何分?オペ出し行かないと――」

 慌ただしくナースステーションに入ってきた看護師さんと、目が合った。

――それは、僕の最推しだった。

「……かお」

 しまったと思った瞬間、かおるたんは、キッと睨みを効かす。絶対、言うんじゃないぞという無言の圧を感じる。

 先輩が心配そうに「進藤?」と、呟く。

「ああ、すみません。一年目として馬車馬のように働くので、よろしくお願いします。」

 温かい拍手のなか、頭を下げる。僕の頭のなかは、彼女のことでいっぱいだった。


 特に何もしていないのに、すごく疲れた。結局、あのあと彼女と話す機会は訪れなかった。家の鍵を開け、靴を脱ぐ。引っ越したばかりの、1DK。すぐに、シャワーを浴びたかったが、寝室の扉を開ける。サイドテーブルに置いた数枚の色褪せたチェキ。

 内向的だったが、勉強はそこそこできた。医学生になれば、無条件にモテると思ってた、あの頃。実際は、そんなことなくて、大学デビューも大失敗。勉強でヘトヘトだったとき、高校時代の唯一の友人に連れられて行ったライブハウス。

 耳をつんざく爆音と、非日常的な空間から現れた彼女。

 一生懸命なダンスに、元気をもらった。

 まだまだ、伸び代を感じる歌声を応援したくなった。

 最後まで貫く笑顔は輝いてみえた。

 恋とか、愛とは違った。

 世にいう『推し』という言葉の意味がわかった気がした。


「おはようございます。」

 僕の声に、ナースステーションにいる看護師さんや、リハビリ師さんたちが明るく挨拶を返してくれる。この挨拶が返ってこなくなったら、たぶん、そういうこと。

 すでに働き出している看護師さんを横目に、デスクトップパソコンの前に座って、担当患者のカルテを開く。前任の医師から、引き継ぎは受けていたが、まだまだ名前と病名が一致しない。

 いったん、顔でも見て回ろうかと思っているときだった。

「あの、進藤先生。」

 この声は知っている。ただ、ライブでは聞いたことのない、ドスの聞いた声色。

「……はい。」

 画面から目が離せないでいると、彼女は隣に座りカルテを開く。

「その患者さんの退院処方入ってないんで、今、入れてもらってもいいですか。前任の先生が、入れないまま異動されてしまったので。」

 そう言った彼女は、全く僕の顔を見ようとしない。

「……はい。入れさせていただきます。」

 お金も払わずに推しと話せるなんて、あのときの僕が聞いたら発狂ものだろう。

 それっぽいところにカーソルを合わせてカチカチするが、入力画面に辿り着かない。カルテも病院によって全然違うからなぁ……。

「あの、看護師さん……。」

「なんですか?」

 相変わらず、トゲトゲしい……。

「どこから処方出せばいいのか、わかりません。すみません。」

 軽く頭を下げる。あー、終わった。溜め息の一つで済めばいいなと思っていたら、彼女はクスッと笑った。

「なよっとした感じは全然変わんないですね。」

「え?」

 顔を上げて、彼女の方を見る。ロングだった髪をバッサリ切ったのは職業柄だろうか。スクラブの胸ポケットに付けられた職員証、名前は西宮香凛というらしい。

 驚きで動揺しながらも、小さく呟く。

「……覚えてくれてたんですね。」

 大勢のファンの一人。認知されたいなんて思ってはいなかった。

 ただ、それでも、彼女の心に残っているファンの一人であれたことが嬉しかった。

 西宮さんは、ボソボソと口を開く。

「何枚もチェキ撮って、最前列でペンライト振ってた人のことを。」

 キーボードを打ち込む手を止めずに続ける。

「忘れるわけないじゃん。」

「……かお」

 感極まって言いかけたところで、脛にめがけてダンス仕込みの蹴りが入る。

「いってぇ……。」

「先生。私たちは、患者さんのことで精一杯なので、自分の治療は自分でお願いしますね。あと、早く薬入れて。」

 正面を向いたまま、コソッと笑って、小さく舌を出した。

 懐かしいその仕草は、まさしく僕の追いかけていたアイドルだった。

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