そして、夜が来る。
蒔文歩
08:00
「あれ、
僕の静寂を、切り裂く声がした。誰もいないクラスルーム。世界から自分以外の人間が消えてしまったのかと思うほど、静かな休日。冬の世界で、季節外れの向日葵が咲いている。
彼は笑う。声をかけられて、僕は唖然としていた。
「今日、振替休日だぞ?」
死んだはずのクラスメイトが、僕の席に座っていたから。
天国への切符と引き換えに、一日だけ現世に蘇ることのできる世界の話。
唐突な出来事だった。
『昨日、このクラスの
そう告げた担任教師の目元は、赤く腫れていた。一番後ろの席に座る僕にもわかるくらい酷く。
生前の彼は、太陽のような存在だった。いつも廊下側の一番前の席にいた。苗字が「藍原」だから。彼の周りには、たくさんの人間がいた。彼は「勝ち組」だったのだ。僕はそうやって、誤解していた。
『死因は、睡眠薬の過剰摂取で、今、詳しい経緯を警察が調べています。もしも、何か事情を知っている人がいたら、先生に言ってください。』
死因だけで、大体の事情はわかってしまう。オーバードーズ。誰もが、唖然とした。クラスの太陽が、自殺。
彼はたくさんの友人に囲まれていたにも関わらず、誰も彼が自殺した理由を知らなかった。謎が多く残されたまま彼の葬儀が行われ、僕たちは棺に花を添えた。白い花と白装束が似合わない、金髪の死体。花が増えていくごとに、参列者の感情も昂っていく。泣いたり、叫んだり、泣いたり。
僕は、至って冷静だった。彼を別の世界の人間だと思っていたから。そんな自分が嫌いになったけど、しょうがないことだと心のどこかで諦めていた。
そんな彼が、教室に存在していた。まるでそれが、当たり前であるかのように。
「藍、原くん。」
「よお、渡良瀬。久しぶり。」
頭が追いつかない。どうして。彼は、自殺したはずじゃ。
「悪いな、席借りてる。」
「いや、僕の席って廊下から一番遠い席でしょ。自分の所に座ればいいのに。」
例によって、僕の席は教室の最果て。彼の席は、遅刻してもギリギリ駆け込めるくらいの近さなのに。
「ちょっと憧れてたんだよ、ヤンキー席。」
「ん?」
「窓側の一番後ろの席って、不良が棲んでそうじゃん。」
「失礼な。」
異常なくらい言葉がスルスルと出てくる。なぜだ。
「別にいいよ、座っても。今日は誰もいないし。」
「………お前、何でそんな冷静なんだよ。」
ようやく突っ込んでくれた。自分でも自分が怖くなっていた所だ。
「いや、俺、死んでるんだからな。もっと驚けよ。」
「それは、ごめん。」
「謝るなよ。」
ずいぶん長い前置きである。
「んー、話すとちょっと長くなるんだけど………」
人間は死後、相当の悪事を働かなければ「天国」へ行くことが約束されるらしい。しかし、その約束には例外がある。天国へ行く権利を放棄する代わりに、一日だけ現世に実体として戻ることができるのだ。彼は実際、天国への切符を手放した。
「そこまでして現世に戻りたかったの?」
それは、至って平凡な問いだったと思う。だけど。
「いや、そうでもないよ?」
返答は、想像の真逆を行った。だったら、どうして天国を捨ててまで、現世に戻ってきたのか。質問を重ねる前に、彼は答えた。
「天国に行くって、逆に言えば『意思』として生き続けるってことじゃん?嫌なんだよね、俺。………もう、疲れた。」
「あー。そっか。」
太陽である彼には相当似合わない、随分投げやりな答えだけど。僕には理解できた。
「じゃあ、友達とかに会ったほうがいいんじゃない?みんな寂しがってるし。」
「だったら尚更まずいだろ。俺なんかが会いに行ったら、みんなもっと寂しくなるだろ。」
「僕はいいの?」
「まあな。渡良瀬とは、話したこともほとんどないし。まずいか?」
まあ、まずくはないな。
「っつうか、『渡良瀬』ってさあ。最強の名字じゃね?」
………薮から棒に。何を言い出すのかと思えば。
「何で?」
「だって、出席番号99.9パーセント一番最後だろ。万年ヤンキー席じゃん。」
「『ワタリ』さんとかの名字には負けるって。それに、『藍原』も大体一番最初の番号じゃん。」
「『アイカワ』とかの方が強いだろ。でもさ、なんだかんだ言って、俺たち今の番号以外の出席番号になったことなくね?」
「………」
「「ないな。」」
声が重なる。何となく、笑顔が滲み出た。なんだ。
違う星に住む人だと思っていたけど、似ているところもあるんだ。
「渡良瀬さあ、今日暇?」
「まあ。これから帰る予定もないし。」
「じゃあ、今日一日俺に付き合ってくれね?」
こちらに拒否権はない。けど、悪い気もしない。
「いいよ。」
教室を飛び出して、近くのショッピングモールに来た。
「すまん渡良瀬、金を貸してくれ。無一文なんだ。」
「どっちにしても返せないじゃん。あげる。」
現実問題である。まあ、元々金銭に対する興味も物欲もない僕にとって、お金のやり取りほど適当に済ませるものはない。一千円の出費。
「頼みます渡良瀬様!もう一度だけ。」
「流石に怒るよ。」
一千円。藍原は全てクレーンゲームに溶かしてしまった。もう誰にも金銭は貸与しまいと決心した瞬間である。まず、クレーンゲームで景品を手に入れても、使い道がないのでは。そんな含みのある質問は、口から出る前に彼の言葉に消化されて消えてしまった。
某ハンバーガー大手チェーン。
「死人でもお腹は空くんだね。」
「ほんと。そこんとこの仕組みよくわかんないよな。」
これもまた僕の意味のない出費である。が、死人に餓死された時の面倒を見越して、流石にここは文句一つ言わず奢ってあげた。
「いただきます!」
「いただきます。」
人と顔を合わせて昼食を取るなんて、いつぶりだろうか。少なくとも、新型コロナのクラスター以降、ちゃんと人と会話をした記憶がない。
「渡良瀬、マスク取るとそんな顔してんだな。」
「え?」
「いや、いつもマスクしてて、素顔しっかり見たことなかったからさ。案外イケメンじゃん。」
ふざけた口調で、自分の頭の中を覗き込まれた気がした。恐怖と羞恥が同時に襲ってきて、投げやりに「そんなことないよ。」なんて適当な答えを返した。食欲のままに貪ったハンバーガーは、味がしなかった。
遊ぶだけ遊んで、公園に来た。
「久しぶりに来たなー。ブランコちっさ!」
「初めて来た。」
「あ、お前住んでる場所が遠いからな。俺は近かったから、よく来てたけど。」
「いや、そうじゃなくて。」
公園自体、来たことが初めてだ。そう言った時、藍原は心の底から驚嘆したようだった。
「嘘?!え、友達とかと、行ったりしない?普通。」
「友達いないから。」
まあ、本当はそれだけじゃないけど。
「なんかすまん。」
「謝らないでよ。」
「よっしゃ、遊ぶぞー!」
謝罪もそこそこに、仕組みのわからないエネルギーで駆け出す享年十七歳。こっちの方が、余程生者らしいな。
「疲れたー。」
「そうだね。流石に疲れた。」
何時間動いただろう。誇張する訳でもなく、人生で一番歩いた日だと思う。きっと今までも、これからも。今日以上に忙しい日はない。
「あとどれくらいだろーな。」
「今、午後四時ごろ。」
「冬だから、もうあと一時間くらいか。」
藍原が現世にいられるのは、日没まで。日が沈んだ瞬間、彼は現世から消えてしまう。
「本当に、やり残したこととかない?家族とか、会わなくていいの?」
「あー………それは、マジでない。」
失言だった。大体の事情は、その口調でわかる。
「なあ、渡良瀬。」
「うん。」
「『どうして自殺したのか』とか、聞かないのか?」
その瞬間。一瞬だけ、彼の顔が薄暗い影に包まれた気がする。
「聞いて、欲しかった?」
「いや。できれば言いたくない。」
「そっか。」
そりゃ、そうだ。
残り、一時間。急に、一秒一秒が体に重く染み込んでくるようだ。
「………ごめん、嘘ついた。」
「え。」
「やり残したこと、あるわ。」
彼が急にそう言い放って、僕が唖然としている間に、少しずつその場から離れていく。そして、噴水の前。こちらを向いて、弾けるように笑った。そして。
「え、ちょっと?!」
噴水に、生身で飛び込んだ。
「つ、めたっ!うわあ、心臓バクバクする。耳痛っ。死ぬ死ぬ。」
「いや、もう死んでるでしょ!」
死人でも、三途の川でなくても、冬の水は冷たいのか。
「いや、でも一回やってみたかったんだよ。川とかに服着たまま飛び込むやつ。あ、でも川は流石に溺れるから、噴水でな。」
「やり残したことを恐怖心で捻じ曲げるなよ。」
ツッコミが止まらない。けど当の本人は、本当に楽しそうだ。
「渡良瀬も、来いよ!」
「いや、本気で死ぬでしょ。」
絶対に、やらない。前までの僕なら。前までの。
「死んだらどうせ、全部忘れるんだから。」
そう、彼が呟いた。それが、僕の背中を押した。ああ、もう。
マスクをとった。カバンを地面に落として、走り出す。意思はない。体が半脊椎反射的に動いた。水の温度を足に感じて、思わず叫んだ。藍原が水をかけてきたから、やり返した。体が震えて仕方ない。顔に水が当たって、メガネが飛んだ。だけど、どうでも良かった。楽しかった。
この時だけは、どうかしていたのだ。僕も、彼も。
次の更新予定
2026年1月12日 16:30
そして、夜が来る。 蒔文歩 @Ayumi234
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