第二章 〜根は深く、そして強く〜 前編
ーーーワイローズ領 南街道外れ
焚き火はない。
だが、人はいた。
闇の中に溶け込むように立つ影が、
一つではないことだけは、すぐに分かる。
――慣れている。
ガルムは足を止めた。
剣には触れない。
盾にも手を伸ばさない。
「そこまでだ」
若い声だった。
だが、軽くはない。
闇の奥から、一人の男が前に出る。
年若い。
それでも、その場を預かる立ち位置にいるのが分かる。
「この先は通り道じゃない。引き返せ。」
ガルムは、その男を見た。
「承知している」
短い返答。
男は、眉をわずかに動かす。
「迷ったにしちゃ、
真っ直ぐ来すぎだな…用件は?」
「交渉だ」
即答。
周囲の気配が、一段階だけ張り詰める。
だが、刃の音はしない。
男は、数拍、黙ってから口を開いた。
「……剣は?」
「抜かない」
「殺しは?」
「望まない」
迷いのない声。
男は、小さく息を吐いた。
「珍しいな。
この辺じゃ、抜かずに来る奴は久しぶりだ」
ガルムは、一歩だけ前に出る。
敵意ではない。対話の距離。
「この地が、動き始めた」
その一言で、
彼の目つきが変わった。
「新しい主が立った」
沈黙。
周囲の気配が、ざわりと揺れる。
だが、彼は制した。
「……そうか」
それだけで、理解が共有された。
「それで?あんたは様子見か?」
「確認だ。貴様らがどう動くかをな」
正直すぎる物言いに、
彼は口の端を吊り上げた。
「爺さん。
随分と踏み込んだ言い方だな」
ガルムは視線を逸らさない。
「剣の――」
彼が言いかけ、ふと止まる。
「……いや」
「今は、盾だったか」
その小さな言い直しに、
場の空気が、ほんのわずか緩んだ。
ガルムは、顎を引く。
「そうだ」
「だから斬らない。
止めるために来た」
沈黙。
彼はしばらくガルムを見つめていたが、
やがて低く笑った。
「面白いな、あんた」
「普通は、
俺たちみたいなのに対しては
力を見せたがる。なのに…
最初から対話を差し出すか」
「信じているわけではない」
ガルムは静かに言う。
「だが、無駄に血を流す気もない」
彼は、肩をすくめた。
「話は分かった」
そして、はっきりと言う。
「ここで決める話じゃない」
「頭がいる」
その一言で、
“誰が本命か”が明確になった。
「案内しよう」
「爺さん」
ガルムは、わずかに頷く。
――こうして。
ワイローズ領の夜の底で、
盾と、盗賊の牙が、初めて向き合った。
これは、敵対ではない。
まだ、同盟でもない。
ただ――
根が触れ合った瞬間だった。
彼は、少しだけ視線を伏せる。
考えているのではない。
決めた目だった。
「……ひとつ、確認だ」
そう前置きしてから、彼は腰に手を伸ばす。
周囲の気配が瞬時に張り詰めた。
だが、抜かれる気配はない。
彼は、ゆっくりと剣を外した。
鞘から抜くことなく、
ただ――手を離す。
鈍い音も立てず、
剣は地面に横たわった。
次いで、短剣。
さらにもう一本。
順に外し、足元へ置く。
「俺はあんたを斬らない」
視線を上げ、まっすぐに言う。
「試す気もない。
囲んで殺すつもりもない」
ガルムは動かない。
剣にも、盾にも触れない。
「信じろとは言わない」
彼は続ける。
「だがこれ以上…
敵意があるふりをする理由もない」
夜風が、二人の間を通り抜ける。
ガルムは、ようやく一言だけ返した。
「……受け取った」
それ以上は言わない。
評価も、礼もない。
だが、彼はそれで十分だった。
「じゃあ、行こうか」
そう言って、彼は踵を返す。
武器は拾わない。
背を向けるという選択。
それが、彼なりの誠意だった。
ガルムは、その背中を見送り、
一歩、同じ方向へ踏み出す。
剣ではなく、
盾として。
――こうして。
夜の底で交わされたのは、
契約ではない。
誓約でもない。
ただ、
斬らないという選択だった。
彼は、地面に置いた武器から一歩離れた。
そして、改めてガルムを見る。
「そういえば、
まだ名を聞いてなかったな」
軽い調子だが、視線は真剣だった。
「俺はリオン。
ここじゃ、俺が話を預かってる」
役職は言わない。
肩書きも出さない。
それで十分だと、彼自身が分かっている。
ガルムは、すぐには答えなかった。
名を名乗るという行為が、
どれほどの重さを持つかを知っている男だ。
一拍。
「ガルムだ」
リオンが、ほんの少し目を細める。
「姓は?」
「要らん」
即答だった。
「今は、それで足りる」
リオンは鼻で小さく笑った。
「だろうな。口では言ってないが。」
少し間を置いてから、続ける。
「……あんた、剣士だろ」
「元だ」
「今は?」
ガルムは、腰の剣に一瞬だけ視線を落とし、
すぐに戻した。
「盾だ」
短い言葉だったが、
その意味を量りかねて、リオンは黙った。
「……なるほど」
やがて、納得したように頷く。
「だから抜かない。だから斬らせない」
「そうだ」
それ以上の説明はしない。
沈黙が落ちる。
だが、先ほどとは違う。
探り合いではない。
理解を測る間だった。
「よろしくとは言わねぇ」
リオンが言う。
「だが、話が出来る相手だとは分かった」
ガルムは、わずかに顎を引いた。
「それで十分だ」
名を交わし、
立場を明かし、
それでも踏み込みすぎない。
それが、この夜の限界だった。
「行こう」
リオンは踵を返す。
「頭が待ってる」
ガルムは、その背を追う。
名を知ったからといって、
距離が縮まったわけではない。
だが――
刃を向け合う理由は、確実に消えた。
歩き出して、しばらくは言葉がなかった。
枝を踏む音も、衣擦れも、
互いに無駄を削ぎ落とした歩調だった。
先に沈黙を破ったのは、リオンだった。
「……頭のこと、気になってる顔だな」
振り返らずに言う。
「名はリナルド。」
あえて姓は言わない。
それが、この界隈での距離感だった。
「俺たちの頭。パック強盗団をまとめてる」
ガルムは、頷きも否定もしない。
ただ、聞いている。
「誤解しないでほしいんだが…」
リオンは、少しだけ言葉を選ぶ。
「ある意味、怖い人だ」
即答だった。
「怒鳴らないし、脅しもしない。
むしろ、笑ってることの方が多いな。」
一拍。
「……だから、余計に怖い」
ガルムの歩調が、わずかに揃う。
「人の欲も、嘘も、弱さも
全部見透かされてる」
「利用はする。
だが、無駄に切り捨てない」
リオンは、夜の向こうを見るように続ける。
「殺しを嫌うわけじゃない。
ただ、“要らない”と思ってる」
それが、最も危険な種類だと、
言外に滲んでいた。
「だから、団は生き延びてる。
だから、俺もここにいる」
少し間を置いて、付け足す。
「……あんたみたいなのも、
嫌いじゃないはずだぜ。」
「理由は?」
ガルムが初めて、問いを挟んだ。
リオンは、短く笑う。
「自分の強さを振りかざさない。
斬れるのに、斬らない」
「それを“縛り”じゃなくて、
“選択”として持ってる」
足を止め、振り返る。
「そういう奴を見ると…
あぁ…あれだ。頭は…大抵こう言う」
少し声色を真似る。
「――危険ねぇ……でも、嫌いじゃないわぁ」
それだけで、
どんな人物かが、はっきりと立ち上がった。
「気に入られたら、面倒だ」
「だが、敵に回すよりは、ずっとマシだ」
再び歩き出す。
「覚悟しときなガルム。
頭は確実に、あんたを試す。」
「試されるのは剣じゃない。あんたで言う盾。
生き方の方だ」
ガルムは、静かに答えた。
「望むところだ」
リオンは、振り返らずに口角を上げた。
「だろうな」
夜はまだ深い。
だが、その奥で――
獣は、すでに目を覚ましていた。
窮救の野薔薇 葉月ケイ @Kei-Haduki
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