第7話 診療所(ヴィクトール視点)
第7話 診療所(ヴィクトール視点)
「聖女様…。この度は私どものために、お越しいただいて誠にありがとうございます」
エマに二度命を救われた騎士は、キラキラした眼差しでエマを見つめる。
「ですから、私は聖女では…。起き上がらないでください。まだ、体調も万全ではないのですから」
エマは聖女であることを否定しつつ、騎士の体調を案じていた。
残留瘴気を取り去ったとは言え、それは絶対ではない。
騎士の様子を念のため確認したかったのだろう。
ヴィクトールは、病床の騎士の様子を知りたがるエマを伴い診療所へ赴いた。
騎士たちは現れたエマをキラキラと見つめている。
エマはノクスの騎士たちにとっては、すっかり「聖女」だった。
ヴィクトールは、すっかりエマの信者となった騎士たちを無表情で眺めていた。
いけないと思いながらも、エマの献身を受ける騎士たちにまで嫉妬の炎を燃やしてしまう。
こんな狭量でどうするんだ…。
そう思いながらも、ヴィクトールは最近抗えない思いを頻繁に抱えるようになっていた。
こんな風に心がかき乱されるなんて。
「氷の貴公子」といわれたヴィクトールは、エマのこととなると、独占欲丸出しのただの男に成り下がっていた。
騎士たちは順調に回復をしていた。
「エメリン様、こちらの薬では今回の傷だけではなく、古傷も治り始めております。一体これはどういうことで…」
「ああ、それは瘴気によって受けた傷に効果が高いの。
古傷だから治りは遅いかもしれないけど、繰り返し塗り続ければよくなるわ」
「な、なんと…!」
老医師は驚いてエマと薬瓶を見た。
二人の会話を聞いていた騎士たちも驚きでエマを見る。
エマは周囲の様子は構わず、薬のことに頭がいっぱいになっているようだった。
「もう少し領地で作って持ってくれば良かった」
エマは後悔を滲ませながらも、騎士の快方を安堵して診療所を後にした。
◇◇◇
「信じられない……! 本当にすばらしいわ」
珍しくエマは興奮しながら声を上げて、驚きを表した。目がキラキラしている。
研究所の職員たちは、喜ぶエマを心から歓迎している様子だった。
診療所の近くにノクス家が管轄する研究所がある。
そこにエマを伴ったところ、案の定、エマは喜びを爆発させていた。
研究所は王都に負けず劣らずの最新鋭の機器を備えていたし、さまざまな薬草も育てていた。
そのどれもこれもが、エマの興味を刺激するようだ。
「リュクノール侯爵領の研究所には及ばないだろうが」
「そんなことありませんわ。本当にこちらを私も使わせていただけるの?」
「もちろんです。診療所の医師にも伺いましたが、リュクノール侯爵令嬢の持参された薬はどれも素晴らしいものばかり。失礼ながら、私たちも教えを請えればと思っております」
研究所の所長は、エマに微笑んだ。所長自身も王都で薬学を究めた人物であったが、その人物を持ってしてこうも言わしめるとは…。ヴィクトールは、エマの底力が恐ろしくもなった。
「教えだなんて…。私はずっと祖父と一緒に研究していただけですから。
でも、皆さんと一緒にここで研究ができるようになるなら、私も嬉しいです!」
ノクス領に来て一番ともいえる笑顔を見せた。
研究所を案内したのは成功だったな。
「ヴィクトール様、ありがとうございます」
素直に礼を言うエマに、ヴィクトールの胸中は満たされていた。
「リュクノール家でも薬学の研究をしていたようだし、
何より、こんなに優秀な薬師を家に縛り付けるだけというわけにはいかないだろう。
君が開発する薬は、ノクス領にとっては宝になるだろうね」
興奮するエマににこりと微笑んだ。髪飾りを贈ったときのような恐縮は少し薄れたようだだった。
エマが薬の研究をしていることを知ってからすぐに、ここのことはすぐに思い浮かんだ。
こんなに喜ぶなら領主内に研究室を作ってもいい。
でも、そんなことをしたら、家でもエマはそこに籠ってしまうかもしれないな。
自宅に研究室を増築する案は、一旦保留としようとヴィクトールは内心決意した。
いつまでも離れず名残惜しそうなエマを引きづって、研究所を後にする。
馬車の中でもエマの興奮は冷めやらない様子だった。
◇◇◇
「ノクス領の研究所は本当に素晴らしいですね、ヴィクトール様。
薬草の種類も豊富で、リュクノール領で見たことないものもありました」
エマはもうすぐリュクノール家に戻る。
結婚してここで暮らすようになったときに、彼女には心からここでの生活を楽しんでもらいたいと思っていた。
リュクノール家に戻ったときに、やっぱりノクス家に戻るのは嫌だなどと思われては叶わない。
エマが喜ぶものは何かと考え、これしかないと閃いたのだが本当に良かった。
ヴィクトールは、エマが自分に興味を抱いているとは思っていなかった。
大方、ただの政略結婚と思っているのだろう。
婚約期間が短いせいもあるだろうが、二人の間はまだぎこちない距離を感じる。
まあ、それは結婚をしてから関係を築けばいい。
どれほど、エマがヴィクトールの心を占めているかも、これから嫌というほど分からせればいい。
贈り物をしてもいつも遠慮がちなエマだが、今回こそは喜びが爆発した瞬間を見ることができた。
サプライズの楽しみとは、まさにこの
ヴィクトールは、そんなことを人生で初めて知った。
エマの髪には、ヴィクトールが贈った髪飾りも輝いていた。
ヴィクトールは不意に立ち上がり、向かいに座るエマの髪飾りにそっと触れた。
ヴィクトールの甘い視線に気が付いたようにエマが顔を上げた。
「よく、似合っている」
ヴィクトールは、どさくさ紛れにエマの柔らかな銀髪にも触れた。
想像していたよりも柔らかな髪にそっと口づけると、エマの頬が赤く染まるのが分かった。
エマの髪からは、ヴィクトールが使っているものと同じ、柑橘系の爽やかな香りがした。
同じものを使っているはずなのに、エマの髪からはヴィクトールのものよりも、ずっと甘い香りがする。
「ヴィクトール様…」
エマの髪に口づけるヴィクトールに、エマは恥ずかしそうに声を上げた。
ヴィクトールとエマの瞳が絡み合う。エマの瞳は吸い込まれるようだ。
エマはじっと見つめるヴィクトールの視線に、耐えられないというように俯いてしまう。
もう少し触っていたかったが…。ヴィクトールは名残押しそうに、エマの髪を離した。
「失礼」
「いえ、嫌ではないのですけど…。恥ずかしくて……」
顔を赤らめながら、エマが私を上目遣いに見る。
しかし、その視線は王都で出会った淑女たちの戦略的な上目遣いとはずいぶんと違った。
恥ずかしさで潤んだように見える瞳にも、小さな唇にも、口づけをしたい衝動にかられたが、さすがに理性を保った。
代わりに、エマの頭上に小さく口づけた。
このくらいは許してもらおう。
エマの顔は、首まで見る見るうちに赤くなってパクパクと口を開けていた。
小動物のような可愛らしさに思わず笑い声をあげると、エマは真っ赤な顔でヴィクトールを非難した。
「ヴィクトール様、揶揄うなんてひどいです」
揶揄ったわけではなかったが、笑ったのは事実だ。
「すまない」というと、「お人が悪いです」と怒ったようにそっぽを向いた。
この二カ月で、エマの自然な姿を多くみられた。
結婚準備に婚約者に領地に来させるのは無礼とは思ったが、来てもらって良かった。
おかげで、エマを手放すことができなくなってしまった。
エマは気づいていないだろうが、私はもう、後戻りできない。
この婚約が政略で始まったことなど、もはや関係ない。
エマを、愛している。
ヴィクトールは、自分の思いの深さに改めて驚いていた。
本音を言えばこのままノクス家に留めてしまいたかったが、
リュクノール家に残る彼女の家族や彼女のことを思うと、そうするわけにはいかなかった。
ああ、しかし、母ではないが、こんなに愛らしいエマと、しばしと言えど離れなければならないなど…信じがたい。
ヴィクトールは、この静かな幸福が、嵐の前触れでないことを祈った。
次の更新予定
不気味令嬢は、氷の貴公子に溺愛される 青海きのこ @kinoco_ohmi
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