第6話 噂(ヴィクトール視点)
第6話 噂(ヴィクトール視点)
時間の問題であることは、薄々気が付いていた。エマがノクス領に来て1ヶ月半が経とうとしていた。
魔獣出現率の低下、騎士の順調な回復のおかげでヴィクトールが討伐に割く時間が減り、結婚に向けた準備も着々と進んでいた。
全てが順調のように思えたが、領外に広まる噂を看過出来なかった。
ノクス領は隣国との境界に位置するため、交易都市としての役割も担っていた。
そのため、異国の商人とのやり取りも多い。
母が懇意にする仕立て屋もその一つで、辺境地といえども、ここでは王都より早く異国の流行品が手に入った。
ノクス領の領民たちは、働き者で、忍耐強く、新たなものを好む領民性が醸成されている。
領民たちの明るさは、領主である父の影響も大きいことはヴィクトールも理解していた。
平和なムードが続いたからか、市井の活気もいつも以上に増していた。
結婚準備もあらかた終わったため、お忍びでエマを市井に連れて行こうと下見に行ったときだった。
妙な噂を耳にした。
「辺境には聖女がいるらしい」
「聖女のおかげで魔物出現率も低下した」
「不気味令嬢は、実は聖女であった」
「王都の聖女よりも、有能である」
そう言った噂が、市井で広がっていた。
騎士たちや診療所関係者には箝口令を敷いたため、闇魔法のことや、エマの開発した薬のことは漏れていないようだが、
エマの来訪と魔物出現率の低下を結びつけるものや、エマを「聖女」と語るものもあった。
エマはその見た目のために、王都ではずいぶんと心無い噂に晒されていたようだった。
しかし、このノクス領では、エマの髪色や瞳の色を忌まわしいものとして見る向きはあまりない。
異国文化を受け入れる土壌があるためか、伝統を重んじる保守的な考えが希薄なのであろう。
診療所でエマがフードを脱いだとき、エマのその美しい銀髪に誰もが目を奪われていた。
この国ではあまり見ない紫の瞳も、神話の女神とは確かに違ったが、非常に神秘的な姿に思わせた。
エマは彼らの視線を誤解しているようだったが、彼らはエマの献身的な行動にも心を動かされていたが、
エマの容姿にも目を奪われていた。
色白の肌に、華奢な身体、柔らかそうな銀髪、感情が表れやすい素直な瞳、桃色の頬、小さな唇、
そのどれもがヴィクトールの庇護欲や独占欲を掻き立てていた。
エマの能力については、しつこいほどに関係者には箝口令を敷いたが、その存在を隠し通すことは不可能だったか。
診療所や騎士と接点のある商人たちから口づてに、尾ひれがつきながら広がっているようだった。
あれだけの力を秘匿するのに限界はあると思ったが…。
まあ、なんとか保った方か。このまま王国内に噂が広まるのも時間の問題だろう。
そのときにどうエマを守るか。ヴィクトールは目的の場所まで歩きながら、考えあぐねていた。
そう、今日ヴィクトールがお忍びで街に来たのは、ただの下見だけではない。
ノクス家が懇意にしている宝石商に入店すると、よく教育された店員がヴィクトールに声をかける。
お忍びの訪問であることは心得ているため、過剰な声掛けはない。
何も言わずとも、奥へ通され注文の品の確認をする。
ヴィクトールが注文した物は銀細工の髪飾りだった。
隣国・ベルディア帝国制の銀細工は非常に質が高いと評判だ。
繊細で精巧な作りの銀細工に、魔石を散りばめたものを誂えさせた。
魔力を封じ込めたルベライトやブルージルコンがキラリと輝く。
魔石の色も濃く、一目で上質と分かる。やはりこの店で作ったのは正解だった。
エマとの婚約が決まったとき、エマの姿絵を見て瞳の色に合わせたネックレスを誂えさせたのもこの店だった。
上品でエマによく似合うのは間違いなかった。
が、良かれと思って瞳の色と合わせたが、エマの様子を見ると失敗だったかもしれない。
驚きながらも、嬉しそうにエマは受け取ってくれたし、ドレスアップするときには必ず身に付けてくれてはいたが、なんとなく本心からではないような気がしていた。
そうであるならば、エマに心から喜んでもらえるもの、
そして、日常的に身に付けてもらえるものと考えて、髪飾りを発注したのだった。
女性のために、自発的に何かをしたいと思ったことは、これが初めてだった。
エマの気持ちを考えて、エマの瞳にも合うピンクのルベライトと、自分の瞳の色に似たブルージルコニアを合わせた。
辺境の聖女か…――。
大層な二つ名で彼女をこの地に縛り付けられるものだろうか。
エマは、もっと…――。
ヴィクトールはエマの姿を思い浮かべた。
「不気味令嬢」という王都で広がった異名は、エマに全く相応しくない。
エマは確かにヴィクトールにとって「聖女」であった。
特殊な力があろうと、なかろうと、それは全く関係のない。
しかし、周囲はそうは思わないだろうということも心得ていた。
こうして噂が立ち始めている以上、備えるに越したことはない。
ヴィクトールは、満足気に髪飾りを見つめた。エマに指一本触れさせるつもりはない。
エマの特殊性が知られれば、エマを利用しようとする輩も増えるはずだ。
公の存在ではないエマを無理矢理拐そうとする者は現れるかもしれない。
もちろん、ヴィクトールがいるときであれば、喜んで彼女の盾となる覚悟だ。
ただ、現実は一日中エマに張り付いていられるわけもいかない。
結婚準備の話が進んだいま、エマはリュクノール侯爵領に戻す日は刻一刻と迫っている。
魔獣の出没率が落ち着いているとは言え、ヴィクトールが長期間に渡ってノクス領を離れるのも現実的ではない。
腹立たしいことこの上ないが、レイヤードは騎士としての腕は認めざるを得ないし、
何よりもエマのことを、身を挺して守る心意気も多少はあるだろう。
しかし、それも万全の守りとは言えない。こういうことは用心に用心を重ねるべきだ。
エマの闇魔法のことも知られれば、教会側からの接触もあるかもしれないのだから。
ヴィクトールは髪飾りを受け取ると、離宮へ急いだ。
◇◇◇
「どうして、あなたがいるんですか」
エマを訪ねると、離宮のエマの部屋で母がくつろいだ様子でお茶をしていた。
エマが着用しているのは先日仕立て屋に作らせた小花柄のピンクのドレスだ。
結局あの後、サックスブルーのものも、小花柄のものも、なんなら母が気に入ったクラシカルな深紅のベルベットのものも注文していた。
エマは遠慮し通しだったが、母の強引さに叶うわけもなく、すべてを誂えることになった。
母は父と同じく豪快な性格ではあったが、普段は質素倹約を旨とする良き領主夫人であった。
こんな風に散財するのは、ヴィクトール同様、エマが可愛くて仕方がないのだろう。
もちろん、ノクス家は、こんなことで傾くような家ではないが。
「だって、もうすぐエマも領地に帰っちゃうでしょ。寂しくて」
「結婚したら、またこちらでの生活になりますから」
「それまで待てって言うの?」
母とヴィクトールは姿かたち以外も、思考も似ているのか。ヴィクトールが胸中に秘めた言葉を毎回口にしてくる。
「あなたこそ、何しにきたのよ。政務にでも行ったらどうなの」
エマとの時間を邪魔された腹いせなのか、自分の息子にひどい言いぐさだ。
「母上、エマは私の婚約者ですから」
「エマには申し訳ないわ。こんな朴念仁が相手だなんて」
エマとナタリーは私と母のやり取りを、楽し気に見ていた。
氷の貴公子と呼ばれるヴィクトールが、母には言われたい放題だった。
ヴィクトールは、レイヤードが庭で鍛錬をしている時間を狙って訪問したというのに、次から次へと邪魔ばかり…。
このタイミングを逸すると、今度はあのレイヤードがべったり張り付いていることだろう。
全く、婚約者同士二人にしようという配慮のあるまともな者はこの家にいないのか。
母には構っていられないと思い、ヴィクトールはエマに髪飾りを手渡した。
エマは予期せぬヴィクトールからの贈り物を驚いたように目を見開いた。
「魔道具だ。今日街を巡回していたときに見つけた」
嘘だ。数週間前から準備をしていた。
エマは箱を開け、銀細工の髪飾りを見た。
ナタリーが感嘆の声を上げた。エマは、驚いているのか、髪飾りを持つ手が微かに震えている。
「この色石には魔力が施されている。君の身に何か起こったときに、発動するようになっている」
そう、その魔石にはヴィクトールが力を施した。
「ま、魔石…――」
ナタリーは思わず声が漏れてしまったとばかりに、口を押えた。魔力を施した石は高級品だ。
しかも、ヴィクトールが用意した髪飾りはどこからどう見ても一級品だと分かるものだった。
「あなたね、折角女性に贈り物をしているというのに、魔道具だ、魔石だと、ロマンの欠片もない…」
母は呆れたように、頭を押さえた。
ロマンチックに渡させてくれなかったのは、誰のせいだと思っている、とヴィクトールは母を一瞥した。
エマは繊細な銀細工の髪飾りを手にしながら、ヴィクトールを怯えたように見た。
「私、どうしたら…。ヴィクトール様には、婚約の証としてネックレスまでいただいてしまっておりますし…。このドレスだって…」
エマならそういうと思っていた。だから、なるべく軽く説明したつもりだったが…。
「エマ、これは護身用なんだ」
「――護身用…?」
「君は診療所で多くの騎士を救ってくれた。
君が開発した薬で救われたものも多い。私としては非常に有難く思っている」
「それは…――」
「君がノクス領の騎士たちにしてくれたことは、ドレスや髪飾りなどでは変えられないものだ。……それに、怖がらせるようで申し訳ないが、君の力を狙うものも、現れないとは限らない」
ヴィクトールの言葉に反応するように、エマの瞳は揺らいだ。
今までも、危険な目に遭ってきたのだろうか。
エマはヴィクトールが予想した未来を心得ているようだった。
「君に何かあったときに、この魔石が反応する。君を守ることに、多少の役には立つだろう」
エマは手の中の髪飾りをぎゅっと握った。ヴィクトールの思いが伝わったのだろう。
「つけてくれるか?」
エマは小さく頷いた。
「ヴィクトール様、本当にありがとうございます」
ヴィクトールは小さく微笑んだ。
ヴィクトールの笑みを見た瞬間、エマも、ナタリーも、驚いたように言葉を失った。
氷の貴公子と呼ばれるようになってから、こうして笑顔を見せることも、そういえば減っていた。
エマがノクスで暮らすようなってから、自然と笑顔がこぼれることも増えた気がする。
黙って二人の様子を見守っていた母が、エマが手にする髪飾りを覗き込んだ。
ヴィクトールの心中などお見通しなのだろう。
ヴィクトールの瞳の色に似た、ヴィクトールの魔力が施された魔石。
「まあ、ずいぶん独占欲の強い魔道具ね」と、呆れたように口にした。
エマは意味が分からず、きょとんとしていた。
「エマ、ヴィクトールは不器用な子だけど、正直なの。
嘘のないところは、彼の長所ね。ちょっと重いかもしれないけど、毎日つけてやってくれると喜ぶと思うわ」
母はエマの手から髪飾りを取ると、エマの髪を飾った。
思った以上に、エマの髪に映えていた。エマは照れたように笑った。
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