第3話 崩壊の序曲、カミンスキーの最期
偽りの栄光
ワルシャワが灰に埋もれつつあったある朝、旅団本部に「吉報」が届いた。
ドイツ軍司令部からカミンスキーに対し、ワルシャワでの功績を称えて勲章を授与するという呼び出しがあったのだ。
「見たか! ベルリンも俺を認めざるを得ないようだ」
カミンスキーは上機嫌だった。略奪した高級車を磨かせ、最高の軍服に身を包んでいる。彼は私を指さした。
「通訳、お前も来い。ドイツ人の連中が、俺にどんな賛辞を並べるか、一言一句漏らさず翻訳しろ」
私は胃が焼けるような思いで頷いた。
数日前に盗み聞きした「掃除」という言葉が、頭の中で警報のように鳴り響いている。これは授与式ではない。死刑場への招待状だ。
静寂の森、消えた銃声
カミンスキーとその側近数名を乗せた車列は、ワルシャワ郊外の静かな森へと向かった。
随行する私は、カミンスキーと同じ車に乗せられていた。彼は将来の野望を熱っぽく語っていたが、私はただ、窓の外を流れる不気味なほど静かな木々を見つめることしかできなかった。
やがて、車はドイツ軍の憲兵隊が待ち構える検問所で止められた。
「将軍、ここからは別々に受勲会場へご案内します」
ドイツ兵の冷徹なドイツ語。私はそれをロシア語に訳す。
「……別々に、案内するそうです、将軍」
カミンスキーは疑いもせず、車を降りた。それが、私が彼を見た最後だった。
数分後、森の奥から乾いた銃声が数発聞こえた。
「……今の音はなんだ?」
残された旅団の兵士たちがざわつく。
ドイツ軍の将校が、何食わぬ顔で私に告げた。
「通訳。兵どもに伝えろ。カミンスキー将軍は、移動中に『ポーランド・パルチザンの待ち伏せ』に遭い、勇敢に戦って戦死したとな」
死者に口なし
私は、目の前の将校の口元が、微かに嘲笑を浮かべているのを見逃さなかった。
パルチザンなどいない。殺したのは、目の前の彼らだ。
「……伝えろ。早くしろ」
催促され、私は震える声でロシア語を絞り出す。
「……将軍は、死んだ。パルチザンの、待ち伏せだ」
兵士たちの間に動揺が広がる。泣き出す者、怒りで銃を空へ向ける者。
だが、私は知っている。これで旅団は「盾」を失ったのだ。
カミンスキーという、ナチスに食らいついていた狂ったカリスマがいなくなった今、俺たちはただの「処分を待つ野良犬」に成り下がった。
泥沼の再編
数日後、カミンスキー旅団は正式に解体され、ウラソフ率いる「ロシア解放軍(ROA)」への編入が命じられた。
だがそれは救いではなかった。
「旦那、これから俺たちはどうなるんだ?」
アザマトが、不安げな顔で私に寄ってくる。カミンスキーが死んでから、部隊には絶望の影が色濃く差していた。
「……移動だ。もっと西へ」
「西? 故郷とは逆じゃないか」
私は彼の目を見ることができなかった。
西へ行くということは、ソ連軍に捕まれば即座に処刑され、かといってドイツ軍からも「証拠隠滅」のために使い捨てられる、長い敗走の始まりを意味していた。
バベルの塔は、崩壊した。
あとに残されたのは、自分たちが犯した罪の重さと、行き場のない異邦人たちの群れだけだった。
極北の迷い子たち
1944年の冬。カミンスキー旅団という看板を失い、ROA(ロシア解放軍)の端くれに編入された俺たちは、崩壊する戦線を西へ、西へと押し流されていた。
もはや略奪する獲物もなく、あるのはただ、骨まで凍るような寒さと、背後から迫るソ連軍の足音だけだ。
夜、廃村の凍てつく納屋で、俺はアザマトと背中合わせに座っていた。
焚き火にくべる薪もなく、俺たちは互いの体温だけを頼りに夜を越そうとしていた。
【2:届かない「故郷」への切符】
「……なあ、旦那。俺、この前拾ったあの銀のブローチ、まだ持ってるんだ」
アザマトが、震える手で懐から布に包まれた塊を取り出した。ワルシャワで奪った、あの血塗られた戦利品だ。
「これを妹に渡したら、あいつ、なんて言うかな。『兄ちゃんはドイツの立派な兵隊になったんだね』って、笑ってくれるかな」
俺は何も答えられなかった。
彼が夢見る「草原の故郷」には、すでに赤軍(ソ連軍)が戻っている。裏切り者の家族として、彼の妹や母親がどのような扱いを受けているか、想像しただけで吐き気がした。
「……アザマト。もし、俺たちがはぐれたら、そのブローチは捨てろ」
「えっ、なんでだよ、旦那。これ、高かったんだぜ?」
「いいから捨てろ。……そして、ドイツの軍服を脱いで、ただの迷子だと言い張るんだ。いいか、絶対に『旅団』にいたなんて言うな」
俺の言葉に、アザマトは暗闇の中で困惑したような顔をした。
「何言ってんだよ。俺たちは英雄(ゲロイ)になるんじゃなかったのか? カミンスキーの親分が言ってたじゃないか。俺たちが新しい国を作るんだって」
【3:バベルの崩壊、最後の嘘】
英雄。独立。国家。
すべては、彼らのような少年を戦場へ駆り出すために、ドイツ人が、そしてカミンスキーが捏造した「翻訳済みの嘘」だった。
俺は、現代の歴史を知っている。
この先、俺たちがアメリカ軍に降伏しても、彼らは俺たちを「ソ連への手土産」として強制送還する。その先に待つのは、銃殺か、シベリアの凍土での死だ。
「……旦那。旦那は物知りだから、本当のことを知ってるんだろ?」
アザマトが、縋るような目で俺を見た。
「俺たち、本当はどこへ行くんだ? どこまで逃げれば、母ちゃんに会える?」
俺の喉が、熱い塊で塞がった。
ドイツ語、ポーランド語、ロシア語……あらゆる言葉を知っているはずの俺が、目の前の少年にかける「本当の言葉」を一つも持っていなかった。
「……西だ。西へ行けば、暖かい場所がある。そこには争いもなくて、みんなが言葉を越えて笑い合える場所があるんだ。そこまで、もう少しだけ頑張ろう」
俺は、人生で最大の、そして最悪の「誤訳」を彼に与えた。
それが優しさなのか、それとも地獄への背中押しなのか、俺にはもう分からなかった。
【4:雪の降る朝】
翌朝、目が覚めたとき、隣にいたアザマトの体は、冷たい彫像のように凍りついていた。
眠るような顔だった。
俺がついた「暖かい場所」の嘘を、彼は信じて眠りについたのだろうか。
彼の懐から零れ落ちた銀のブローチを、俺は雪の中に深く埋めた。
彼の言葉も、彼の罪も、そして俺が吐いた嘘も、すべて雪が覆い隠していく。
俺は、冷たくなった彼に一度だけ語りかけた。
「……ヤフシ(おやすみ)、アザマト」
通訳兵である俺の周りから、また一つ、理解し合える言葉が消えた。
残されたのは、遠くから聞こえるソ連軍の重砲の音だけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます