第7話 百貨店おかゆ定食物語

 小生の名は、文谷修蔵ふみやしゅうぞう

 胃が痛い日と、心が痛い日は、同じ日にやってくる。

 そして、そういう日は決まって、脂ではなく、言葉が重たい。


---


 その日は、朝から、削られていた。


 会議室。

 閉め切ったドア。

 プロジェクターの音。

 そして、大杉。


「で、これは誰が確認したの?」


 静かな声。

 逃げ場のない声。

 小生と光石は、並んで座っている。


「……私です」


 光石の声は、蚊ほどの音量だった。


「私です、って言えば済む話じゃないよね」


 そこから、長かった。

 構成。

 認識。

 責任の所在。

 過去の事例。

 今後の再発防止。


 人格を否定されているわけではない。

 だが、生き方を問われている気がする。

 小生も、途中から何度か謝った。


「申し訳ありません」


「確認不足でした」


「以後、徹底します」


 そのたびに、大杉は頷く。

 そして、続ける。


 会議室を出たとき、

 もう昼を少し回っていた。


 胃が、鳴らない。

 重たい。

 沈んでいる。


「……文谷くん」


 光石が、廊下で立ち止まった。


「今日……脂、無理ですよね」


「……ですね」


 そのとき、ふと、昨日のことを思い出した。

 第二営業部の寺島課長。

 そう、同期の寺島だ。

 コピー機の前。


『あ、そうだ。駅前の百貨店にさ、最近おかゆ専門店できたらしいんだよ』


『……おかゆの、専門店?』


『そう。胃にやさしそうだろ。俺は行かないけど』


 その言葉が、浮かんだ。


「係長」


「はい?」


「……おかゆ、行きませんか」


 光石は、一瞬考えて、小さく頷いた。


「……それが、いい気がしますね」


 百貨店は、明るかった。

 明るすぎた。


 平日の昼。

 エスカレーター。


 香水。

 焼き菓子。

 小生と光石は、明らかに場違いである。


 スーツ。

 疲労。

 無言。


 店は、すぐ分かった。

 看板には、やさしそうな文字で「おかゆ専門」と書いてある。


 中を覗く。


 ……女性ばかり。


 買い物袋。

 一人客。

 母娘。


 小生と光石は、同時に、止まった。


「……文谷くん」


「……はい」


「ここ……僕たち、入って大丈夫でしょうか」


「……胃は、たぶん、大丈夫です」


 一瞬の沈黙の後、二人で、暖簾をくぐった。


「いらっしゃいませ」


 柔らかすぎる声。

 席に案内される。

 カウンター。


 隣も、前も、後ろも、女性。

 会話は、スイーツと服と旅行。


 営業部の居場所はない。

 小生と光石は、自然と、背中が丸くなった。


 メニューを見る。


 ・鯛だし粥

 ・鶏白湯粥

 ・季節野菜粥

 ・大葉と鯛のおかゆ

 ・薬膳粥


「……全部、優しいですね」


「……それに、なんだかやけにお洒落です」


 だが、今の二人には、それしか無理だった。


 小生は「鯛だし粥」


 光石は「大葉と鯛のおかゆ」


 小鉢。

 香の物。

 ほうじ茶。


 まず、匂いがしない。

 出汁の、ほのかな気配だけ。

 湯気が軽い。


 小生は、匙を入れた。


 米が、ほどける。

 口に入れる。


「……熱い」


 だが、刺さらない。

 広がる。


 塩。

 鯛。

 水。


 それだけかと思うほど、シンプルである。

 噛まなくていい。

 飲み込むと、そのまま、胃に落ちる。


「……ほう」


 思わず、息が出た。


「係長」


「はい……」


「これは……」


「……怒られた人間の、公式食だね……」


 光石も、ゆっくり食べている。

 顔が、少し、緩んだ。


「……文谷くん」


「はい」


「さっきの会議さ」


 来た。


 反省会。

 と思った。


「……途中から、自分が怒られてるのか、鯖味噌煮が怒られてるのか、分からなくなって」


 なぜ、鯖。


 光石も、あの定食屋で鯖味噌煮を食したのであろう。

 大杉と。


「……頭が、真っ白になってた」


「……はい」


「でもね」


 光石は、匙を置いた。


「今は……鯛、だね……」


 小生も、少し笑った。


「……ですね。圧倒的に、鯛です」


 二人で、黙って食べた。

 さっきまで胃の中に石のように沈んでいたものが、少しずつ、溶けていく。

 食べ終わる頃には、背中がわずかに伸びていた。


 会計を済ませて、店を出る。

 百貨店の明かりは、相変わらず眩しい。

 だが、さっきほど、痛くない。


「……文谷くん」


「はい」


「次に大杉課長に怒られたら……」


「はい」


「……また、ここ来よう」


「……はい」


「……一人だと、心細いから」


「……それは、ぜひ」


 エスカレーターに乗りながら、小生は思った。

 脂は、戦う食事だ。

 おかゆは、生き残るための食事だ。


 そして今日、二人は生き残った。





 - 完 -

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続・続・小生さんがゆく 釜瑪秋摩 @flyingaway24

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