第4話 Side.Kisaki

 新入生歓迎会は、例年通り学内近くの居酒屋で行われた。個室をいくつか繋げただけの、半ば無理やりな空間。声は反響し、笑いは増幅され、誰が誰と話しているのか途中から曖昧になる。紀咲きさきにとっては見慣れた光景だった。


 太玖也たくやは約束通り姿を見せた。入口付近で一瞬だけ立ち止まり、視線を泳がせてから、空いている席を探す。その仕草を確認した瞬間、紀咲は自分でも驚くほど自然に動いていた。

 彼が腰を下ろした、その隣。誰かが声をかけるよりも早く、紀咲はそこに座ったのだった。


「紀咲ちゃん、こっち来なよ。新入生多いし」


 同期の一人が手招きするが、紀咲は首を横に振った。


「ううん、大丈夫。ここでいい」


 理由は言わない。言う必要もない。そのまま、この位置を死守する。


 太玖也はちらりとこちらを見たが、何も言わなかった。困惑はしているようだが、拒絶はされない。少なくとも立ち上がって逃げたりする様子はない。それだけで、紀咲は内心で少しだけ安堵した。

 彼はいてくれるだけで役に立っている。それは本心だった。


 この場において「教育学部の鷹条たかじょう紀咲の隣にいる男子」は、それなりに意味を持つ。だけれど彼は無害で、静かで、変な噂も立たないような男子。場の緊張を和らげる、ちょうどいい錘。


 だからこそ、紀咲は思った。自分も何か返したほうがいい。


 飲み物が空けば、次を聞く。料理が回ってこなければ、取り分ける。話題に困っていそうなら、質問を振る。

 いつも通りの気配り。自分が最も得意としてきたはずの振る舞い。


 ――なのに。


 太玖也の反応は、どれも薄かった。

 嫌がっているわけではない。感謝もしているようだ。ただ、手応えがない。正解を踏んだ時に返ってくるはずの、わずかな反応の変化が、どこにもない。


(違う、のかな)


 そう思って、別のことを試してみる。


「無理して飲まなくていいよ」


「ああ、うん。大丈夫」


「じゃあ、代わりにウーロン茶頼もうか」


「……ありがとうございます」


 間違ってはいない。でも、合ってもいない。


 紀咲は自分が戸惑っていることに気づいて、内心で眉をひそめた。

 相手の最適解を選ぶ。それはずっと自分の強みだった。相手が何を求めているかを察し、それを過不足なく差し出す。その繰り返しで人間関係を円滑に回してきた。


 太玖也はその計算から外れている。


 無害だ。

 特別、誰かを不快にするわけでもない。場を壊すわけでもない。だからこそ、彼が何を望んでいるのかが見えない。「静かにしたい」、「一人でいたい」、そういう単純な話でもなさそうだった。


 歓迎会は時間とともに熱を帯びていった。

 席替えの声が飛び、連絡先の交換が始まり、誰かが失敗談を大げさに語る。紀咲は何度か席を移るよう促されたが、そのたびに曖昧に笑ってやり過ごした。


 私は、ここでいい。


 歓迎会も終盤に差し掛かり、新入生の一人がトイレに立った隙に、紀咲は身を寄せて声を落とした。


「このあと、どうする?」


 太玖也は一瞬、言葉の意味を測るように黙った。


「……このあと?」


「そ。みんなで、じゃなくて。……どう?」


 その言い方に、彼の視線がわずかに揺れた。理解した、という合図。

 そして少しだけ考えてから、太玖也は頷いた。


「まあ、それなら」


 その答えに、紀咲は小さく息をついた。

 正解かどうかはまだわからない。けれど返ってきたのは、少なくとも拒否ではなかった。


 歓迎会の喧騒が、遠ざかり始める。

 紀咲は、自分が久しぶりに「相手が読めない状況」に足を踏み入れたことを、どこか面白がっていた。人は想定外のところで、急に輪郭を持ち始める。


 そうしてどこからともなく二次会の声が上がると、紀咲はあっさり首を振った。


「あー……ごめん、今日は私、帰るね」


 誰かが残念がり、誰かが引き留める。けれどそれも想定内だった。適当にそれらをいなして、紀咲は一人で店を出る。少し早足で駅とは逆方向に歩き、角を曲がったところで立ち止まった。


 その数分後、太玖也が現れる。周囲を確認し、こちらに気づくと、軽く会釈をした。

 合流は、あまりにも自然だった。まるで最初から約束されていたみたいに。


 二人きりの二次会は、駅前の小さなバーで行われた。照明は暗く、音楽も控えめで、歓迎会とは正反対の空間。紀咲はカウンター席に腰を下ろし、太玖也の様子を横目で観察する。


「で、どうだった?」


「……えっと、何が?」


「何って、歓迎会だよ」


 グラスを傾けながらそう聞くと、太玖也は少し考える素振りを見せた。


「楽しかったよ」


 考える素振りは見せても、彼はほとんど即答だった。ただし、この続きがあると紀咲にはわかったから、口を挟まずに待った。


「でも、それは……鷹条さんがいたからだと思う」


「私?」


「そう。気を回してくれてたでしょ? あれがなかったら、たぶん途中で帰ってたよ」


 正直すぎる回答に、紀咲は一瞬だけ目を瞬かせた。褒め言葉ではある。けれど、媚びでもない。

 正直、この答えには驚いた。彼はどこまで気付いているだろう。気付かないだろうと見下していたわけではないが、紀咲は自分の思惑を見抜かれるとは思っていなかった。


「だけど本質的には、ああいう場、やっぱり好きじゃないなぁ」


 淡々とそう言われて、紀咲は妙に納得してしまった。この人は、見ていないふりをしながらちゃんと全部を見ている。

 やっぱり彼は変わっている。でも、輪郭がはっきりしている。


 それに――二人きりになっても、太玖也は何も変わらない。距離を詰めても、声の調子を柔らかくしても、いわゆる「友好的な最適解」を差し出しても、揺れることはない。

 下心がないのだ。あるいは、あっても表に出す気がない。


 紀咲はそこで初めて思った。どうしたら、この人は揺れるのだろう、と。


 それは恋愛的な意味ではない。もっと純粋な、好奇心に近い感覚だった。今までほとんどの人間は、自分の選択に反応してくれた。良くも悪くも、計算の範囲内で。


 でも、太玖也は違う。


「ねえ、連絡先、交換しよ?」


 衝動に近い気持ちでそう言うと、太玖也は一瞬驚いた顔をしてから、素直にスマートフォンを取り出した。

 交換はあっけなく終わる。名前が画面に登録されたのを確認して、紀咲は満足した。


 スマートフォンの画面に表示された時刻を見て、わざとらしくなりすぎないように、紀咲は声を上げる。


「あ、もうこんな時間だったんだ。今日はこのくらいにしよっか」


 時間も遅くなりすぎない。ちょうどいい区切り。


 店を出て、駅前で別れる直前、紀咲はふと思った。

 この人は、安全だ。そして――想定外だ。その二つが同時に成り立つことを、紀咲は今まで知らなかった。

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