稲葉三兄妹の日常★七草粥★
柊野有@ひいらぎ
なくて七草
天気予報では、今日は晴れだった。
というのに、なぜか関内の空は朝からどんよりと低い雲に押さえつけられ、光が落ちてこない。
雨は降らないが、横殴りの風はびゅうびゅうと吹き荒れ、街の音が遠くにあった。
僕は稲葉モモ。
介護施設で働いていて、今日は関内に引っ越した利用者の初回訪問を終えた帰り。
記録は書き終えた。あとは、夕飯の買い物をして帰るだけだった。
直帰の連絡を入れて、スーパーに立ち寄った。
(七草粥セットは、毎年この時間だとぎりぎり残っているかどうか)
そう思いながら棚の前に立ち、手を伸ばしかけた、そのときだった。
出会い頭に、鏡のようにそっくりな姿を目にして、どきりとした。
(……僕じゃ、ない、な?)
七草粥のパッケージに触れようとした体勢のまま、まじまじと相手を見る。
相手も、同じようにこちらを見ていた。
最後のひとつ。
ユニクロの黒い大きめのシャツにジャケット。モスグリーンのカラーパンツ。
柔らかそうな茶色のマッシュ。
――違いは、右目の下。そこにあるはずの小さな黒子がなく、うっすらとしたそばかすが頬に散らばり、色白を引き立たせていた。
「どうぞ。大丈夫です、失礼」
相手が、先に手を引っ込めた。
「いや、こちらこそ。どうぞ」
その瞬間、店の外で、カラスが鳴いた。
――かあかあかあ。
「お兄ちゃん、ふたりいる!?」
「え?」
「え?」
「あ。こっちだ」
小柄なツインテイルの女の子が、相手の腕に手を絡めた。
ふたりの距離は近く、慣れている仕草だった。十歳くらいだろうか、兄妹とも眉の形が似ていた。
「サキ、どこにいっとったんな。えれえ探したぞ」
「ごめんごめん。おやつ見てた〜!」
(……きょうだい、か。でも、兄の方、ものすごい方言だな)
「ああ、これ、最後ですけど。僕の近所にスーパーあるから、お譲りします」
「わあ、ありがとうございます!」
「そうですか。ありがとうございます」
僕と同じ顔をした男が、ぺこりと頭を下げ、七草粥のセットをカゴに入れた。
背筋を伸ばし、身体を前に進めるような、不思議な歩き方。
「お兄ちゃん、七草粥つくるの?」
「ああ。今回は昆布だしにするけん、土臭うならんけえな」
「前は、そのへんの草、引っこ抜いてきてたもんね」
「母上殿に買うてもらうのも良いんじゃが、商品を見てみとうてのう」
(……母うえ殿? 侍みたいだな。どこのお国言葉だよ)
そう思った、そのとき。
店の入口に置かれた招き猫の置物が、かちりと音を立て、黒眼がくるりと移動した。
(気のせいかな)
そう思ったが、猫の目は、こちらを見ていた。
(んん?)
••✼••
その店を出たとき、空は相変わらず曇っていた。
眼の前の電線にカラスがとまっていた。こちらを向いている。
船の警笛音は、五回だ。三回鳴るときは、出港の報告。
カラスの鳴き声も、何か意味があるのだろうか。
••✼••
家の近くのスーパーには七草粥キットは、なかった。
ガックリして、ユズに電話した。
「ユズ? あのさ、七草粥キット、なくてさ」
『モモにい?』
いつもの、少し低い声。
『もういらねえよ? ふたつあるから』
「ふたつ?」
『オレが買って帰ったら、イチゴもひとりで出かけて買ってきてた』
「ひとりで?」
『ああ、ひとりで。去年は、売り切れで七草粥なかったからな、俺ら今年こそはって買いに行ったんだ』
電話の向こうで、元気な声が割り込む。
『家にいる私が買うのが、正解でしょ?』
「……すごいな」
『お小遣い持っていったんだよ』
胸の奥が、じんわり温かくなる。
「頑張ったなあ」
『モモにい、泣いてるでしょう?』
「泣いてない」
すんすん。
『いーや、泣いてるもんね』
『早く帰ってこいよ。もう七草粥できてる』
通話が切れる。
その瞬間、また、カラスが鳴いた。
今度は、五回。
••✼••
アパートの前で立ち止まる。空は相変わらず、晴れているのに落ち着かない。
ピンポン、とチャイムを鳴らした。
すぐに、ばたばたと足音がして、ドアが開く。
「モモちゃーん! おかえり」
イチゴが顔を出すより先に、猫たちが飛び出してきた。
ダイフクは足もとをぐるぐるまわり、キナコは靴をかいだあと、ぶわりと毛を逆立てた。
黒猫のワラビだけは、なぜか遠巻きに扉の陰から、こちらを見上げている。
「ただいま」
そう言った瞬間だった。大股でユズが玄関先まで歩いてきて、背中に、ばしっ、と軽い衝撃を受けた。
「なに?」
ユズが、無言で、もう一度、背中を叩いた。
「なに、どうした?」
「……なんか、ついてきてる」
「え?」
ユズは、もう一度、今度は肩のあたりを強めに叩いた。
まるで、埃を落とすみたいに。
ぐるぐる足もとを警戒して回っていたダイフクが立ち止まり、目を細め甘えてにゃあんと鳴いた。
キナコは、太いままの尻尾を揺らしながら、再度近づいてきた。
ワラビは、扉の前に全身をあらわし行儀良く座り、こちらをじっと見ている。
「ユズ」
「……いや」
ユズは、僕の顔を見て、首を傾げた。
「あれ?」
「なにが」
「……モモにい、だよな」
「当たり前だろ」
しばらく、沈黙していたが、ユズは、ぶっきらぼうに言った。
「何くっつけてきたんだよ。入れ入れ」
「なんだったんだよ」
ドアが閉まる直前、カラスの鳴き声が、近くで三回聞こえた。
大急ぎで仏壇前に座り、「りん」を三回鳴らし、手を合わせた。
(イチゴがひとりで買い物に出かけられました。見守りありがとうございます)
一呼吸おいて、ユズから声が届いた。
「七草粥、もうできてるぞ」
「おおー」
「イチゴが刻んだ」
「えへへ」
湯気の立つ鍋からは、ふんわりと昆布だしの匂いが流れてきた。
猫たちは、仕事は終わったとばかりに定位置のストーブ前に戻っていった。
ユズは、鍋を覗き込みながら、ぽつりと言った。
「……今日は、天気いいな」
「ね。めっちゃ晴れてたね。お買い物も天気がいいから行ってみたよ」
「ああ。そうか、天気で良かったな。関内は曇ってたけどな」
「モモちゃんのとこ晴れてなかったの? 晴天だったよ」
「そういえば、船の警笛が聞こえたぞ? 五回鳴ったから、ぶつかりそうだったのかな、珍しい」
「あ。ユズにいも? 私も聞いたかも」
「ふたりとも? 俺は、カラスが五回鳴いてるのを聞いた」
「カラス?」
「なんか意味があるのかな」
「警告音か? 何かと出会ったんだろう、モヤっとしたもん連れてきてたからな」
「えー。俺、霊とか見えない人よ? そうそう、俺そっくりの人がいた。最後の七草粥にさ、同時に手を伸ばして、譲ったんだよな」
「それだ!」
「似た顔は三人いるっていうしな」
「私も会ってみたいなぁ」
「関内に行ったらいるから。俺の右目の黒子のないバージョン」
「その人に何か憑いてて、もらってきたんだろ」
「ええ? もうついてない?」
「うん。家の外で払ったから」
「天気が悪かったのもそのせいかな。ゴロゴロ言ってたからなあ」
「桑原桑原」
「何それ、ユズにい」
「雷が鳴ったら、くわばらくわばらって唱える。菅原の道真公がおさめてた領地の名前さ。雷神である道真公に祈りを捧げて呪いを鎮めてくれるんだ」
••✼••
どうやら、利用者の引っ越した先の家に、いくつも霊が溜まっていると知ったのは、しばらく経ってからだった。
あの不思議な歩き方をする僕に似た男と、ツインテイルの女の子とは会うことはなかった。
七草粥は邪気払いをしてくれて、次からは何も連れてこず、猫たちも穏やかに迎えてくれるようになり、カラスは僕と顔を合わせても鳴かなくなった。
かわりに、ベランダでユズがエサをやるようになり、ただ静かに待っている。
了
稲葉三兄妹の日常★七草粥★ 柊野有@ひいらぎ @noah_hiiragi
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