第4話

また気を失っていた。

今が起きているのか寝ているのかも分からないほど意識が混濁している。


これは全て悪い夢で、味覚が無くなったのも、同僚に監禁され口の中をめちゃめちゃに蹂躙されているのも全て現実のことなんかではないのではないか。


考えたところでそれを確かめる術は僕にはなかった。


珍しく部屋には紗桐くんの姿が見えなかった。


物音ひとつしない。

なんの反応もしなくなった僕に遂に愛想を尽かして出ていったのだろうか。

部屋にはまだ紗桐くんの甘い匂いが残っている。


紗桐くんは何故僕にあんなことをするのだろうか。


紗桐くんはあれだけ甘くも無いはずの僕の口を執拗に飽きもせずに貪るのにも関わらず、身体のその他の部分には一切触れてこないのだった。


紗桐くんの性的指向、或いは嗜好がどうあれ、僕自身はただ、今現実に紗桐くんから受けている行為、或いは好意に対峙していく以外にどうしようもないのだった。


紗桐くんは僕のことをどう思っているんだろう。それはいくら説明されたところで僕には分かり得ないのだろうけど。


人間の感情は複雑すぎて、好きや嫌いや所有欲や支配欲や性欲や庇護や慈愛や羨望や嫉妬や信仰や、その他に名前の付かない諸々によって形作られている。


僕自身、紗桐くんに対して何を思えば、何を向ければいいのかよくわからなくなっていた。


ドアの開く音がして、甘い匂いが部屋になだれ込んでくる。僕は思わず咳き込んだ。


「蓬澤さん、ただいま。まぁ、ここはぼくの家なんですけど。」

「・・・・・・おかえり。」

「蓬澤さん、最近元気がなかったので、料理を、作ろうと思って。でも蓬澤さん、味覚がないから、満足してもらえるかわからないですけど。スーパーに材料の買い出しに行ってきたんです。簡単なものですが。」

「・・・・・・。」


紗桐くんは買い物袋を持って、ロフトのハシゴからは死角になる玄関ドア横のスペースに消えていく。おそらくキッチンがあるのだろう。


と、玄関とは別のドアの音がした。

まだ部屋があったのか。直後に水の流れる音、シャワーの音だった。


帰宅したのだからシャワーぐらい浴びるだろうとは思ったものの、随分長い時間シャワーの音は聞こえ続けていた。


この部屋に来てから風呂に入っていない。

とはいえ、僕が気を失っている間に紗桐くんは身体を拭いてくれていたり、服を着替えさせてくれているようだったが。

なんでそこまでするんだろうか。


それにしてもさっきから妙なのは、身体を洗っているという気配が全くしないことだった。ただ、シャワーを出しっぱなしにしているというような。


直後、耳を劈く声が響いた。

動物が殺されたときに上げる声かと思ったが、それは、どうやら紗桐くんの声らしかった。

叫んでいる。浴室で。何度も、何度も。

そして、鼻腔に流れ込んできた、強烈な甘さ。


この匂いは、昔社会科見学で行った製菓工場の匂い。


そう。あれはチョコレートの製造レーンを見学するコンコース。

あのときも僕はあまりの匂いに体調を崩し、途中でバスに一人で戻らされた。


それをもっと酷くしたような。

頭が割れそうだった。

鼻の奥が痛い。

ぼだぼたと何かが落ちる。

鼻水かと思ったが、床に落ちたそれは赤い血だった。

流れる鼻血を拭うことも出来ず、およそ考えうるあらゆる体調不良に襲われ、また僕は意識を手放した。



◇◇◇



「・・・・・・蓬澤さん、起きて。」


肩を叩かれて僕は目を覚ます。

目の前に紗桐くんがいた。

相変わらず痛いほどの匂いが部屋を満たしている。


「鼻血、出てますけど、どこかにぶつけたりしましたか? 大丈夫ですか、、、」

「いや、匂いが、、、それよりお前さっき、、、」

「あ、そうだ。蓬澤さん。これ作ったんです。焼肉定食。駅裏の焼肉屋さんよりは全然貧相なものですけど。美味しくは無いかもしれませんけど、蓬澤さんに少しでも元気になって欲しくて、、、」


紗桐くんは白い皿を手に持っていた。

ワンプレートでもやしナムルと白米、そして焼かれた肉が載っている。不格好な盛り付けで、想像していた焼肉定食とは程遠い。


皿を持つ手が震えている。

よく見ると、紗桐くんの顔は苦しそうに歪んでいて、必死に笑顔を作ろうとしているのに上手くいかないような、そんな表情を浮かべていた。酷く汗をかいていて、心做しか青ざめている。しかし、紗桐くん自身からしていると思われる百合の花の匂いはチョコレートの強すぎる匂いに掻き消されてしまっている。


「手、塞がってるから食べられないですよね。口開けてください。」


僕は口を開くことができない。

その肉を食べることを本能が全力で拒否していた。


皿を床に置いた紗桐くんは、焼かれた肉片を手に持って僕の眼前へと運ぶ。


ひどい匂いがした。

鼻に直接チョコレートを流し込まれているようだった。


「あーん。」


まるで子供にそうするかのように口を開けるように紗桐くんが言う。


僕は口を閉ざす。


紗桐くんは諦めたのか、手に持った肉片を自身の口へと運んで咀嚼している。


それを見ていることができなくて、目を伏せると、紗桐くんの穿いている細身のブラックデニム、ふくらはぎの部分が赤黒く変色して、そこだけがごっそり不自然にえぐれていた。


削ぎやすいからか。


薄々感じていた嫌な予感は確信に変わった。

気が遠くなった。


と、急に頭を押さえつけられた。

もう働かない頭でこのあとどうなるのかは分かっていた。

紗桐くんの顔が近づいてくる。

まつ毛、やっぱり長いな。

唇の柔らかい感触に反して、舌で無理矢理にこじ開けられたそこから流れ込んでくる咀嚼された肉。もののけ姫に似たようなシーンがあったけど全然いいもんじゃねぇな。とどうでもいいことが頭に浮かんだ。


紗桐くんのふくらはぎは胃もたれしそうなほど甘いチョコテリーヌに蜂蜜とガムシロップと黒蜜といちごジャムをかけたような味がして最悪だった。

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僕は焼肉定食が食べたい 望乃奏汰 @emit_efil226

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