第4話 初めての「人間」
鎌じいによる「孫修行」が始まってから、さらに数ヶ月。
ラキの成長は留まるところを知らず、
その背丈はすでに鎌じいの腰を優に超え十歳程度の童(わらわ)ほどになっていた。
黄金の髪はますます輝きを増し、琥珀色の瞳には知性の光が宿り始めている。
しかし、知性が育てば育つほど、鎌じいを悩ませたのは
「鬼の業」とも言うべき、らきの底知れぬ飢えであった。
「じい、お腹すいた。……あそこの牛、食べてええか?」
竹林の影から、里の共有地で草を食む牛をじっと見つめながら、
ラキが物騒なことを口にした。
言葉を覚えるのが早かったのは喜ばしいが、
最初に覚えた言葉の多くが食い物に関するものだった。
「アホ! 何言うてんねん! あれは里の皆の大事な働き手やぞ。
あんなん食うてみろ、
わしどころかお前も石投げられて里から追い出されるんやぞ。
……ええか、飯はわしが作ったるさかい、勝手に狩りしたらあかんぞ」
「でも、お野菜だけじゃ力が余るねん。お肉、赤いお肉が食べたいなぁ」
ラキは不満げに牙を鳴らした。
鎌じいは、ラキの中に眠る「血」を求める本能が、
教育だけでは抑えきれないほど強大であることに気づき始めていた。
「しゃあないなぁ。ほな、今日は少し遠出して、
山の奥まで猪(しし)を狩りに行くか。
その代わり、里の近くでは絶対に爪も牙も出すな。
……これが、人間の中で生きるための契約や」
「けいやく……って何なん?」
「契約ゆうたら……守らなあかん約束の事や」
「そのけいやくっちゅーの 守ったら、お肉食べさせてくれるのん?」
「ああ、約束したる。わしは嘘はつかん主義や。
都におった頃も、それだけで生きてきたようなもんやからな」
鎌じいは、ラキの頭に深く笠を被せ、人目に付かない山道を選んで歩き出した。
道中、鎌じいはラキにこの世の成り立ちを説いて聞かせた。
「ええか、ラキ。人間っちゅうのはな、一人じゃ何もできん弱い生き物や。
せやから、群れて、決まり事を作って、必死に生きてるんや。
お前はその群れの外におる力を持ってる。
でもな、その力を誇示したら、人間はお前を『敵』やとみなす。
守るんや。その強さは、自分より弱いもんを守るためにあるんやぞ」
ラキは鎌じいの言葉を反芻するように、小さく頷いた。
だが、その平穏な教えの時間は、予期せぬ遭遇によって破られた。
「……あ、おい! 待て!」
山道の向こうから、一人の少年が血相を変えて走ってきた。
里の若者の息子で、名は三吉といったはずだ。
その後ろからは、腹を空かせた野犬の群れが、牙を剥いて迫っていた。
「助けて! 鎌じい、助けてぇ!」
三吉は鎌じいにしがみつこうとしたが、足をもつれさせて転んでしまう。
野犬の先頭が、今まさに三吉の喉笛に飛びかかろうとした。
「ラキ! あかん、手を出すな……!」
鎌じいの制止よりも早く、らきが動いた。
それは、目にも留まらぬ速さだった。
黄金の髪が笠の下から一瞬だけはみ出し、ラキの拳が野犬の鼻先をかすめた。
ただそれだけの風圧で、野犬たちは悲鳴を上げて吹き飛び
這々の体で逃げ去っていった。
三吉は呆然と、自分を助けた「笠を被った少年」を見上げていた。
「……すご、い。あんた、誰?」
ラキは一瞬、三吉の怯えた目を見て、鎌じいの言葉を思い出した。
自分は人間とは違う。敵だと思われる。
ラキは三吉の手を引き寄せ、泥を払ってやると、鎌じいがいつも自分にするように
その頭をぎこちなく撫でた。
「……三吉、怪我はないか? こいつはわしの孫の、ラキや。
ちょっと力が強いだけで、何も怖うない」
鎌じいがあわてて言い繕う。
三吉はまだ震えていたが、ラキの琥珀色の瞳に見つめられ、
不思議と恐怖が消えていくのを感じた。
「ラキ……。ありがとう。助かったわ」
三吉が差し出した手を、ラキはおそるおそる握り返した。
それは、ラキが「鎌じい以外」の人間と、初めて心を通わせた瞬間だった。
しかし、その様子を遠くの茂みから冷ややかな目で見つめる男がいた事を
二人はまだ知らなかった。
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