後編
カーナビの県境のときのに似た案内音が鳴り、宇宙船が地球圏内に入った。久しぶりに間近で見る地球にしばし見とれてしまう。なんといっても母なる星だから。
でも同時に、あの混乱期の苦い記憶も蘇った。地球を離れる際のトラウマ的な記憶を早く自分の中から消したい。
青がぐんと近づく。──いよいよだ。
大気圏突入の時は惜しみなくワープを使った。大気圏がしんどいからだ。こんなことばかりして楽してたらそのうち大気圏に出禁をくらうかもしれない。
TOKYOは夜だった。音楽なしで夜間飛行。
ライトに照らされた都心は深海の映像みたいに見えた。思ったほどは廃墟化していないようだ。
重点的に超高層タワマンの周りを何度か旋回した。建物の上の方に見たこともない巨大な鳥が巣を作っていた。
地球離脱用の燃料を残しておかなければならないので、常に残量値を気にしながら飛ぶ。
TOKYOのリバー『1』と『2』にはもう水が流れてなかった。『釣り禁止』の看板だけが倒れそうになりながら立っていた。
首都高にはサナギみたいになった廃車の渋滞が当時のままに残っていてなまなましかった。あの時は自家用車で宇宙に行こうとした人までいた。
東京のど真ん中まで飛ぶと、そこには終末期に突如出現した『終末湖』が張り付くように広がっていた。そのエメラルドグリーンの湖面を見ていたら体がブルっと震えた。吸い込まれそうだった。
握っていた制御棒を倒す。西へ。
目標地点が近づくにつれて風が強くなった。
到着音が鳴った。着いたようだ。かなりの郊外。
接地行動に移る。強風注意。わざわざこんな遠い地球で接地失敗なんかしたら笑いものだ。このまえ先輩がやらかしたときは救助船が来るまで半年かかった。いろいろな方面から経費削減の圧力がかっかっているらしく、現に火星の住民のあいだではこの事業に多額の税金が投入されていることに不満を募らせている。
──なんとか接地に成功。そのまま全方位をライトで照らしながら状況を確認する。
約20メートル前方に人工的な大きな岩があり、その下に壊れかけた核シェルターが半地下みたいに敷設されているのがわかった。
ここか……。
モニターに表示された数値が乱れた。遠隔で感度テストしてみると。そのシェルター付近は衛星監視システムの死角になっていた。
そこで再び途切れ途切れの入電。もちろんあの女から。
「マーズキャット、くれぐれも報告を怠らないように」
「了解」
俺は腰を上げると、アームロボのサポートを受けながらどでかい船外服に着替える。別にいちいち報告しなくても服に付いたカメラの映像をリアルタイムで本社も観れている。
念のため、火星銃は持って行く。念のためだ。最後の大戦で猛威をふるった自律型殺戮兵器の残党がまだいるという噂を聞いたこともある。くわばらくわばら。なかなかの重さのこの銃を地球でぶっ放した奴はまだいない。だから火星銃。
ラダーをつたって宇宙船から降りて地球に着地。この一歩は火星人にとっても小さな一歩だ。
用心して近づく。相変わらず広範囲を宇宙船のライトが照らしてくれている。地球での足音の大きさに少し焦る。今の俺のこの緊張状態を生理モニターであの女も確認してるのが癪だ。
ヘルメット内に警告音。どうやらここからさきは通信が遮断されそうなエリアのようだ。ここから先の出来事は船に戻ったときにまとめて報告することになる。「誰もいなかった」ってね。
あと少しで核シェルターの入り口付近というところで、緊張感が爆発する出来事が起こった。俺の頭の上を飛び越えた何かの飛翔物が当たってライトがすべて消えてしまったのだ。
え!? なんだ!?
俺は反射的に銃を構えた。だからやなんだよ、こんな仕事。
──暗い。が、月夜のおかげでだんだん目が慣れてきた。
するとそこに誰かが立っていた。
ひと……。中年の男のようだ。かなりむかしに流行った服を着ている。伸びきった髪が強風になびいている。男の足下にはちょうど投げやすそうな石ころがまだ数個転がっている。
俺が銃を向けて警戒したままでいると、男は『無抵抗だ』というジェスチャーを大きめにしたので、ほっとして銃をゆっくり下ろした。
下りきるのを待って男が歩み寄りながら口を開いた。
「荒っぽい事をして申し訳ない。そのボディカメラに映りたくないのでね」
地球で日本語を聞いたらもっと外国語みたいに聞こえるかと思った。
「俺が何のためにここへ来たかを説明したほうが?」
「もちろん、わかっているよ」
男はとても紳士的な態度だった。髭はきちんと剃っているいるみたいだ。自分が地上生活上の普段着姿の相手と宇宙服を着て対峙していることが著しく敬意を欠いた行為のように思えてきた。
「では、いっしょに火星へ行ってもらえますね」
「それは困る」
ん? それは? 困る?
男の目がはっきりと見えた。俺じゃなくてもっと大きなものを見ていた。少なくともそういうふうに俺には見えた。
「我々は地球から逃げ遅れたかたの捜索を国から委託されて……」
「私を救ってくださる気なら、どうかこのままこの星に置いてください」
手を合わせたままで男はさらにその理由を説明してくれた。
男はかつてこの土地でたくさんの家族やペットに囲まれて幸せに暮らしていた。それがいかに幸せだったかを事細かく話した。
でも……、あの混乱のなかですべては消えてしまった……。だから、せめて思い出といっしょにここで生きていきたいのだ、と。その権利を奪わないでほしい、と。
正直、俺は弱った。もはやこの地球の環境下では長く生きられないことは男も重々承知のはずだ。
自分の胸の中に、『故郷』という言葉と『惑星』とを繋げる感覚が蘇ってくるのがわかった。それはずっと押し殺してきたものだった。結局は正義はどこにもなかったじゃないか。ただ単にそれを見つける前に地球が終わっただけなのかもしれないが。
あの時……、地球脱出順を巡って世界大戦が勃発したあの時……、俺もいろいろなものを失った。幸せをつかみかけてた。でも、もうない。
俺は男に火星産のタバコを勧めた。とんでもなく不味いタバコだが、地球で吸ったらうまいかもしれないと思い、持ってきたものだ。
男はゆっくりと受け取って口にくわえた。
火星銃でお互いのタバコに火をつけて吸った。不味かった。
夜空には星が瞬いている。今ならTOKYOでこんなにも星が見れる。男の気持ちが痛いほど分かった。だがもしも、発見した人間を故意に火星へと連れて帰らなかった場合、火星国家法で俺も厳しく罰せられる……。
──タバコを吸い尽くした。
帰る時間がきた。俺が言うべきことはひとつだった。
「それじゃあ、行きますので」
俺は体の向きを変えた。
「感謝します」
そう言い終わるとすぐ男は姿を消した。風が凪いでいるのにそれまで気づかなかった。
宇宙船に戻ると、やかましいくらいに催促の通信音や、警告音が鳴りまくっていた。
コックピットでどかっと腰を下ろして、わざと焦らしてから応答する。
「こちらマーズキャット、目標地点には人間はおろか猫一匹おりませんでしたよ」
「きちんとマニュアル通りの捜索行動をとりましたか?」
「俺が読んだマニュアルがマニュアル通りならね」
──少しの間があった。
「あの地点にはかなりの高確度で反応があったので、その報告では審議対象となってしまいますが」
「ならその前に、うちの生体反応検知システムの方を審議したほうがいいかもね。エラーだよ、エラー」
俺は船外服の脱ぎ忘れていた部分を後方へ投げ捨てた。
先ほどよりもさらに長い間があった。上層部にお伺いをたてているんだろうか。AIの場合ならこの手のタイムラグはないはずなので、あるいは、この女は……。
「ではマーズキャット、概ね了解しました。これより火星帰還プログラムに移行します」
「了解」
概ね、ってなんだよ。
カチっと締めたシートベルトがきつく感じた。向こうはまだ何か言いたいみたいだった。言いたいことはだいたいわかった。
「マーズキャット、よいですか、もしも今回のミッショ
ンに虚偽の報告あった場合、あなたは火星国家法により厳しく罰せられることになります……。もう一度伺いますが、間違いなくあなたは真正な報告を……」
「虚偽の報告の場合は、だろ!」
食い気味で突っかかってしまった。あの男の深い悲しみに満ちた目を思い返した。女はそれ以上はもう追求してこなかった。
「……それではプログラム移行のサポートに入ります。安全な帰還をお祈りします」
もしかしたら、この女は本当に人間かもしれない、と、ふと思った。
カウントダウンが始まり、そして終わる。
──リフトオフ。
なるべく振り返らないように地球を離れた。地球がどんどん小さくなっていく様は何度見ても見慣れないもんだ。
帰りではワープをを多用した。そのせいで、地球に何か大事なものを置き忘れた気分が強まった。
静寂に耐えられなくなって、70年代のディスコミュージックをかけた。
──こんな仕事、好きでしてるわけじゃない。
宇宙船の外は暗い暗い宇宙。旅番組なら放送事故だ。コクピット内の明かりを落としたくなかった。
地球からどれくらい離れたときだろう、なぜか急に人恋しさに襲われた。
通信システムでこちらからオペレーターに尋ねた。
「ひとつ聞いていいかい? この仕事を辞めるときって人事課? それとも総務課?」
すると今度はAIだとすぐわかるような言い方で女が返してきた。
「退職をご希望の場合は人事課へお願いします。人事課は火星にあります」
火星の氷河期世代 ブロッコリー展 @broccoli_boy
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