第14話 境界を往く者、あるいは不滅の旅路
黄金の神槍『ブリュム・ゲイ』が放つ燦然たる光は、
澱んでいたサルナスの空を一時的に白銀へと塗り替えた。
ヌトセ=カームブルは、その重厚な槍の柄を握り締め、
ゆっくりと廃墟の出口へと歩を進める。
背後では、主を失った象牙の神殿が、
まるで役目を終えたかのように音を立てて崩れ、
泥の海へと沈み込んでいった。
その時、背後の湖面が不気味に膨れ上がった。
かつてサルナスの都を一晩で地図から消し去った、
巨大な水蜥蜴の神――ボクルグが、
数千年の
「……女神様、後ろに! あの禍々しい気配……
イブの守護神が目覚めようとしています!」
従者の少女が、悲鳴に近い声を上げた。
湖底から這い出そうとする巨大な影は、
今やこの死に絶えた都に残った『異物』――
すなわち女神たちを排除しようと、
津波のような殺意を放いながら迫って来ていた。
ヌトセ=カームブルは、過去の遺恨であるボクルグに興味がないが、
墓標を荒らすのをただ見逃すのは心苦しい。
「ああ、分かっている。
滅びた場所で、滅びを司る神が咆哮を上げている。
私たちがここに訪れることはもうないだろう、だが…」
女神は神槍ブリュム・ゲイを握り願う、
もう眠らせてやってくれと。
主、女神の思いを託され、
神速の雷光となってボクルグへ向かって行く。
音もなくボクルグは動きを止め、静かに消えていく。
「………」少女は声にならないため息を漏らした。
女神は足を止めると、傍らで震える少女に向き直った。
彼女の指先が微かに動き、少女を縛っていた『旧神の眷属』、
としての見えない鎖が、パラパラと光の欠片となって霧散した。
「……? 女神様、これは……」
「呪縛は解いた。お前はもう、私に従う必要はない。
ニャルラトホテプの影からも、私の意志からも自由だ。
このドリームランドのどこか、
平穏な地を見つけて生きるがいい。……ここから先、
私が往く道は、神々の楽園などではないのだからな」
ヌトセ=カームブルの言葉は、
突き放すような冷たさではなく、静かな慈愛に満ちていた。
彼女がこれから向かおうとしているのは、
アリオン・シーが愛し、そして今まさに巨大な『悪意』の影に、
複雑で混沌とした人間たちの世界――。
しかし、少女は動かなかった。
彼女は自分の胸元に手を当て、力強く首を振った。
「……いいえ。
私は、あなたの後ろ姿を追いかけると決めました。
主から逃げ出したかった私が、
初めて『自分の意志』で選び取った光が、あなたなんです。
……お願いします、ヌトセ=カームブル様。
私も連れて行ってください。人間の世界がどれほど醜く、
どれほど眩しいものなのか……私もこの目で見てみたい」
少女の澄んだ瞳。それはかつてアリオンが見せた、
『不屈の輝き』の萌芽のようにも見えた。
女神の唇に、わずかな、しかし確かな微笑が浮かぶ。
「……愚かな娘だ。神の巡礼に付き合えば、
二度と安息など訪れぬぞ」
「承知の上です。……あなたの眷属としてではなく、
『一人の同行者』として、お側においていただけますか?」
「……勝手にしろ。それなら、自分の名を名乗れ」
「…………」
「女神様、私が従者だった証、名前を付けて下さい……」
目をつぶるとすぐに思い浮かぶ。
「――『リネット』この先はそう名乗るといい」
「素敵な名前です。
ありがとうございました。女神様は?」
「そうだな…私はエルダ、『エルダ・アリス』と呼んでくれ」
短いやり取りのあと、二人の間に確かな絆が結ばれた。
ヌトセ=カームブルは、
右手の神剣『ラグナ・シー』を抜き放ち、
左手の神槍『ブリュム・ゲイ』を高く掲げた。
「星の輝き、深淵の真理。我が意志に応え、因果の壁を穿て!」
女神が槍を一閃させると、
黄金の雷光が空間の『継ぎ目』を、無残に引き裂いた。
間髪入れず、白銀の神剣がその裂け目を押し広げ、
時空を越える『道』を切り拓く。
ドリームランドの呪いも届かぬ次元の彼方へ――。
「さあ、行こう。 人間と、移ろいゆく時代の風が待っている」
女神は少女の手をとり、
光の渦巻く次元の裂け目へと身を投げた。
彼女たちの視線の先にあるのは、数千年の時を越え、
悪意の影で、それでも静かに、逞しく、
己の生を謳歌しようとする人間たちの世界。
かつて冷徹な守護者であった女神は、今、
一人の『監視者(オブザーバー)』として、
新たな神話を綴るために現代へと降り立つ。
その背負った剣と槍は、絶望の時代を生き抜く『個』への、
静かなエールのように輝いていた。
「雷光の神槍~廃都サルナスの残照」完 ――第15話へ
哀慈の瞳 ~ 旧神の女神は何を観るのか |【アリオン・サーガ前日譚】 NOFKI&NOFU @NOFKI
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