きのうは雨ってことで

shiso_

きのうは雨ってことで

 本当は、今日は晴れの予報だった。


 だから傘を持たなかった。持たないまま、駅まで歩いた。空は薄く白く、光は硬く、雲の形はあいまいで、あいまいなものほど「晴れ」に数えられるのだと、朝の私は勝手に思っていた。


 改札を抜けたところで、雨が落ちてきた。


 最初は、ひと粒。次に、ふた粒。アスファルトの上で跳ねて、黒い点が増える。点は線になり、線は膜になり、膜は世界を一段だけ暗くした。雨はいつもそうやって増える。段階がある。どこかの誰かが、量を調整しているみたいに。


 濡れた袖の冷たさが、遅れてきた。


 駅前のバス停まで走ることもできたけれど、走ったところで濡れる量が変わる気がしなかった。雨は走る人間に合わせてくれない。濡れるという結果だけが、速度に従って増える。だから歩いた。歩いて、屋根の下に入った。


 屋根の端から水が糸になって落ちている。一定の間隔で、落ちる。濡れた地面に小さな穴を開ける。穴はすぐ埋まる。埋まって、また開く。繰り返し。ここだけが機械みたいだ。


 バス停の表示板は、数字のまま止まっていた。「遅延」という文字だけが点滅して、肝心の到着予定が更新されない。雨でセンサーが濡れたのか、通信が途切れたのか、ただの気まぐれか。いずれにせよ、私の帰宅は、ここで一時保留になった。


 屋根の下に人が集まってくる。濡れた髪、濡れた鞄、濡れた靴。人は濡れ方で、その人の焦りが見える。走った人は肩が濃い。歩いた人は膝が濃い。傘を持っていた人は、まるで濡れていない顔をしている。


 私は、顔の代わりに袖を見た。袖はまだ、晴れのつもりでいる。薄い布が、濡れることを前提にしていない膨らみ方をして、肌に貼りつこうとしている。貼りつきかけて、離れる。貼りつきかけて、離れる。その曖昧さが、朝の予報みたいだ。


 隣で、女性が電話をしていた。歳は分からない。髪が濡れて、耳に張りついている。片手でスマホを持ち、もう片方の手は、濡れたままポケットに入れている。雨の日の電話は、声が小さくなる。周囲の音が大きいからじゃなく、声が濡れるからだ、と私は思う。


 内容はほとんど聞き取れない。相槌の「うん」と、笑いの形だけが拾える。言葉の骨だけ。肉は雨に削られて流れていく。


 それでも一言だけ、妙に鮮明に届いた。


「天気って、誰が決めてると思う?」


 その女性は誰に向かって言ったのか分からない。電話の向こうかもしれないし、向こうの誰かが言った言葉を反射しただけかもしれない。あるいは、自分に向けて。自分の声で、自分の思考のスイッチを後押しただけかもしれない。


 私は、その一言を聞いてしまった。


 聞いてしまう、というのは変だ。聞くつもりはなかった。盗み聞きしたいわけでもない。ただ、雨の中にその言葉だけが浮いていて、耳に刺さった。刺さったものは抜けない。抜けないから、血の代わりに考えが出る。


 誰が決めている?


 天気予報士が「雨」と言ったから、雨が降ったのではないか、と一瞬だけ思った。晴れた顔の空に向かって「雨が降るでしょう」と言い切る、あの口。あの口が決めたのなら、口には責任がある。言葉には責任がある。天気は言葉に従う。


 けれど、別の日を私は知っている。雨の予報が出たのに降らなかった日。傘を構えて、構えたまま乾いた夕方に帰った日。予報士が決めているなら、あの日も降るはずだ。降らなかったという事実は、予報士の決定権を否定する。決めていない。少なくとも、完全には。


 では、市役所前の掲示板だろうか。


 私は思い出す。通勤路の途中にある、古い掲示板。「本日の天気 晴」。紙が色褪せ、テープの跡が何層にも重なっている。あれは、いつ見ても晴だった。晴の札を剥がして、曇に貼り替えている人を見たことがない。誰も見ていないのか。見ているけれど、見なかったことにしているのか。あるいは、掲示板を担当している人の晴れであってほしいという願いが、あの紙に集まっているのか。


 願いが集まると、天気が決まる。


 そんなことはない、とすぐに否定する。願いが集まって天気が決まるなら、雨の日が説明できない。雨の日にだって、人は晴れを願う。みんなが晴れを願っても雨は降る。願いは、万能ではない。願いが無力であるという事実の方が、日々の手触りに近い。


 では、国家か。


 国会のどこか、地中深く。窓のない部屋。地図。レーダー。雲の模型。水蒸気の流れを示す光の線。そこに「晴」「雨」と書かれたスイッチが並び、誰かが押す。押した瞬間、全国の空がわずかに歪む。雨が必要な地域に雨を、晴れが必要な日には晴れを。農業のため。祭りのため。経済のため。政治のため。責任を分散するため。


 そう考えると、世界は急に整って見える。整って見えるのは、嘘の兆候だ。現実は整っていない。現実は、表示板の数字みたいに止まる。止まって、理由を教えない。だから私はその想像を、握りしめる前に手放した。


 手放して、次に来るのが、いちばん嫌な仮説だ。


 私かもしれない。


 昨日、私は雨が降ればいいと一瞬だけ思った。例えば、予定が流れてほしいとか、早く帰りたいとか、誰かに会いたくないとか、そういう小さな理由で。雨が言い訳になるから。雨は、責任のない免罪符だから。


 その小さな思いが、今日の雨を呼んだのかもしれない。


 そう思った瞬間に、胸の奥が冷える。雨より冷える。もしそうなら、私は天気を決めたことになる。決めた責任が生まれる。天気には責任がないはずなのに、責任がこちらへ移ってくる。雨雲ではなく、私の中に。


 でも、私の願いが天気を動かすなら、私はもっと賢く生きている。今朝、傘を持って自宅を出たはず。私は今、傘を持っていない。だから私は、決めていない。決められていない。決めるほどの力はない。


 では、誰が決めている?


 決めているのは誰でもいいのかもしれない、と、思いが逸れる。決めている主体を特定したいのではない。責任を押し付けたいのでもない。むしろ逆だ。責任がないものが、勝手に決まってしまうことが怖い。


 晴れか雨か。


 どちらかに確定するだけで、他の可能性が死ぬ。曇りのままの世界、霧のままの世界、降りそうで降らないままの世界。そういう中間の気配が、決定によって消えてしまう。消えることに、誰も責任を取らない。


 雨が降った。予報は晴れだった。だから私はここにいる。


 その因果が、あまりにも簡単に成立してしまうこと自体が、不気味だった。世界はいつも、何かを決めてしまう。決めて、私を移動させる。決めて、私の手を空にする。傘を持たない手に、濡れた袖を貼りつかせる。


 隣の女性は、まだ電話をしている。さっきの一言の後、少し笑った。笑いの理由は分からない。笑いは雨に濡れて、軽く見える。軽いものほど、遠くへ飛ぶ。


 私は、その女性に話しかけたくなった。赤の他人に。名前も知らない人に。自分の中でだけ膨らんだ問いを、他人の口で測りたくなった。


 でも、話しかける理由がない。傘を借りたいわけでもない。バスの時刻を聞きたいわけでもない。私はただ、「決めてほしい」と言いたいだけだ。それは、頼みごとではない。告白でもない。責任の投げ渡しだ。


 卑怯だ、と自分で思う。


 それでも、思考は止まらない。止まらないから、短い時間が長く感じる。雨が降る数分は、世界が決まっていく時間だ。決まっていくのを、ただ見ているしかない時間だ。


 表示板が一度だけ点滅して、「まもなく到着」の文字を出した。唐突に現実が戻ってくる。濡れた靴の重さが、また足元に降りてくる。


 バスが来る。誰かが決めたとおりに、来る。


 女性は電話を切った。スマホをポケットに入れて、濡れた髪を指で払った。その動きだけが、なぜか晴れの日の人みたいに見えた。


 バスのドアが開く。人が乗り込む。私は最後に乗る。背中に雨が当たる。屋根の外側から、糸の水が落ち続ける。


 乗り込む瞬間、私はその女性の横顔に向かって言った。


「誰が決めてもいいけど、私はあなたになら、決めてほしい」


 彼女は振り向く。

 晴れた日の高い空みたいに。


「じゃあ、昨日は雨ってことで」


 彼女はそれだけ言って、何事もなかったみたいに視線を戻した。


 昨日は晴れだった。

 たぶん。恐らく。

 でも、その「たぶん」が、いまほど頼りなく感じたことはない。


 私の喉の奥で、ありがとう、が形になりかけた。

 それは感謝じゃない。


 それなら今日は晴れにしよう。

 雨は降っている。袖は濡れている。

 それでも——今日は晴れでいい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きのうは雨ってことで shiso_ @shiso_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画