そして伝説へ
互いにもう、指一本動かす力も残っていなかった。 勇者の胸には魔槍が突き刺さり、魔王の心臓は聖剣によって貫かれている。 致死量を超えた出血。急速に冷えていく体温。
「……なあ勇者よ。世界は、美しかったか?」
魔王ヴェルタールの低い声が、静寂を破った。それは憎悪の声ではなく、まるで旧友に酒の味を尋ねるような穏やかさだった。
勇者アレインは、かすむ視界で空を見上げたまま答える。 「ああ……。うるさくて、残酷で、不条理で……それでも、守る価値があるくらいには、美しかったよ」
「クク……そうか」 魔王は喉の奥で笑い、ごぼりと黒い血を吐いた。 「余が見た世界は、常に灰色だった。奪わねば奪われ、殺さねば殺される。……貴様が見ていた景色を、余も少しは見てみたかったものだ」
二人は敵同士だった。誰よりも互いの首を欲し、誰よりも互いの強さを研究し、誰よりも互いのことを考え続けた。 皮肉なことに、この世界で最も互いを理解していたのは、愛する者たちではなく、殺し合う宿敵(あいて)だったのだ。
「……お前も、孤独だったんだな」 勇者が呟く。 「ああ。……数千の軍勢も、最強の魔法も、余の孤独を埋めることはできなかった」
魔王の命の灯火が、揺らぎ、消えようとしている。 その瞳が、隣で同じく死にゆく勇者を捉えた。
「だが、最期に余の心臓に届いたのは、貴様のその冷たい刃だけだったとはな」
魔王は残った最後の魔力を練り上げた。それは攻撃のためではない。 勇者の傷口を塞ぎ、生力を活性化させる「治癒」の光だった。
「……! 何を、する気だ……」 「黙っていろ。……これで貴様は死なん。人間一人が寿命を迎えるくらいまでは、生きながらえるだろう」
勇者の体に温もりが戻ってくる。それは魔王自身の命そのものだった。 「馬鹿な……なんで、俺を助ける! 俺はお前の敵だぞ!」
魔王は満足げに笑い、その体を灰へと変え始めた。
「勘違いするな。これは呪いだ」
魔王の声が、風に溶けていく。
「行け、英雄。貴様は生きろ。余の命を奪った責任くらい、幸せになって果たしてみせろ」
「平和になった退屈な世界で、余のことを思い出しながら、しぶとく老いていくがいい……。それが、勝者への罰だ」
「待て! ヴェルタール!!」
勇者の手が空を切った。 魔王城の頂上には、ただ一人の男が取り残されていた。 どこまでも広がる美しい夕焼けが、勇者の涙を照らしていた。
星屑たちのエピローグ Algo Lighter アルゴライター @Algo_Lighter
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