安倍晴明84歳「雨を降らせよ」と帝のひと言で命をかける

大隅 スミヲ

第1話

 いにしえの頃より、天気を操ることができるのは神のみと決まっていた。

 雨は神からの贈り物であり、それが途絶えてしまうのは神罰が下ったのだとされてきた。

 特に干ばつなどが続くと、作物に影響が出ることから人々は雨乞いの儀式などを行い、雨を降らせるよう神に祈りを捧げるなどしてきていた。


 日本で文献に残された最古の雨乞いとされるのは、日本書紀に記された極天皇元年(六四二年)の蘇我そがの蝦夷えみしによる雨乞いの儀であり、その時の儀式では小雨程度にしか雨は降らなかったとされている。

 なお、そのあとで帝であった皇極こうぎょく天皇(斉明天皇)が天に祈ると大雨が降ったとされており、この時に民は帝の力を称えたとされているが、これには政治的な事情も含まれていたりする。

 先に雨乞いの儀をあげたのは、当時の大臣であった蘇我蝦夷なのだが、蘇我蝦夷は後に大化の改新で中大兄皇子たちに殺害される蘇我入鹿の父であり、大化の改新後に蝦夷は自害していることから、雨乞いは帝の力で雨を降らせたということになったのではないかと考えられる。


 雨乞いといえば、平安時代にも多くの雨乞いの儀が行われてきた。

 後の弘法大師として有名な高僧・空海も雨乞いの儀を行った一人であり、空海は神泉苑という帝の庭園で雨乞いの儀である『祈雨きうの修法』を行い、雨を降らせたとされている。この時の祈雨の修法は真言宗で代々雨乞いの儀の際に行われる術として伝承されている。

 また有名なところでは、平安中期の陰陽師である安倍晴明の雨乞いの儀も記録として残されている。


 ここでは安倍晴明が行ったとされている雨乞いの儀について少し深掘りしていこうと思う。


 安倍晴明は、言わずと知れた平安時代の陰陽師である。

 陰陽師と言うとファンタジー要素の強いものと思われがちだが、実際に平安時代に存在した朝廷の役職であった。


 陰陽師は陰陽寮という役所で働いており、陰陽寮は、星を見る天文博士、陰陽道の教えを伝える陰陽博士、こよみを見る暦博士、時刻を見る漏刻博士などが在籍しており、占いなどを行い、その結果を朝廷へと伝えるということを仕事とする現代ではちょっと考えられないようなことを仕事としていた機関である。


 そんな陰陽寮に所属していた安倍晴明であるが、安倍晴明は天文博士を務めたこともある星占いのエキスパートみたいな人物であり、その的中率などから上級貴族たちに重宝されていたそうだ。


 ここを読んでいる方々はわかっているとは思うが、安倍晴明というと式神しきがみという得体の知れない霊的なものを使役させて、様々な難事件などを解決するといったイメージがあるかもしれないが、もちろんそんなものは使えるはずがなかった。安倍晴明だって人間だ。ただ、その占いがものすごく当たることから、人ではない何かが教えているのではないかなどと思われていた節はあったのかもしれない。


 さて、安倍晴明の紹介についてはこのくらいにして、本題である雨乞いの儀について語っていこう。


 安倍晴明が雨乞いの儀を行ったのは、一〇〇四年の事だった。

 時の帝である一条天皇は、自ら雨乞いの儀を行ったりもしていたが、一向に雨が降らず干ばつが続いていたため、伝説的な陰陽師である安倍晴明を呼んで、雨乞いの儀を行わせた。


 安倍晴明については、先にも述べているが、小説などが存在していることから歴史上の超有名な人物と思われているが、平安時代の正史などでは、ほとんど名前が登場することはない。そもそも陰陽師という役職は下級役人の職であり、あまり歴史的には注目されていない存在だったのだ。


 その安倍晴明が正史に登場するのが、この一〇〇四年の雨乞いの儀である。

 驚くことに、この時の安倍晴明の年齢は八四歳だった。当時の平均寿命は三〇歳から五〇歳くらいであったそうなので、晴明はかなりの長寿であり、そしてかなりのお爺ちゃんだった。現代では八四歳でも元気な老人はいたりするが、この当時で八四歳って、もうヨボヨボのお爺ちゃんだったんじゃないかと想像してしまう。


 そんな晴明が一条天皇に呼び出されて、雨乞いの儀をやれって言われたもんだから、さあ大変。一度は健康上の理由で断ったのだが、もはや晴明しかいないということで、雨乞いの儀をやらざる得なかったようだ。


 帝が雨乞いの儀を行っても、雨を降らせることが出来なかったわけだが、なんと晴明は雨を降らせることに成功した。それは、干ばつが始まって三〇日後のことだった。もうね「やったぜ晴明!」って感じでしょうね。


 実際に、雨乞いの儀を行ったお陰で、雨を降らせることが出来たのかどうかは不明であるが、当時、雨乞いの儀を行う人々は命がけでこの儀式を行っていた。

 儀式が成功するかどうかというよりも、雨が降らなければ、みんな飢え死にしてしまうのだ。そのため、雨乞いの儀は何日間も続けて行うこともあり、人々は命がけで雨が降るように天に祈りを捧げ続けてきたのである。


 晴明が何日間祈り続けたことで雨を降らせたのかは不明であるが、もう少し帝ががんばって雨乞いの儀を続けていれば、自然と雨は降った……かもしれない。


 そもそも、雨乞いの儀というのは、雨が降るまで続けられる、いわば体力勝負なのだ。その体力勝負の儀式に出てきた老人・晴明は本当に命がけだったのだろう。


 なお、この雨乞いの儀で晴明は帝より多くの褒美をもらったとされているが、その翌年には鬼籍に入ってしまっている。

 この雨乞いの儀が堪えたのか、それともただの寿命だったのかはわからない。

 ただ、安倍晴明という陰陽師が雨乞いの儀を行ったことにより、三〇日ぶりに雨が降ったという記録はしっかりと現代まで残されていることだけは確かだ。


 このように雨が降らないというのは危機的状況なのである。

 それは現代でも同じで、猛暑が続くと米の値段があがってしまう。そのことは読んでいる方々の記憶にも新しいことだろう。


 天気予報なども無かった時代に、空を眺めて雲の流れを見て雨が降るかどうかを判断していた人々。そして、雨が降らなければ、文字通り祈り続けた人々。

 そういった人々の苦労があり、それは現代にも繋がっている。


 あーした、天気になーあれ。そんな風に言いながら靴をポイッと蹴り上げていた子どもの頃が懐かしく思える。



 おしまい。

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