タダ春ノ夜ノ夢ノ如シ

3



紅葉は熟考していた。


―――まず、記憶というのはとても曖昧なものである。

それを定義しようなどという根も葉もない、虚言を吐く者も居る。

妄言多謝なんて言うのはその代表例だ。


悪守はこれに縋らねば生きられない。

―――だが、それが不可であるとするのなら⋯⋯。


自他ともに忘我してしまおう。

それが一番だ。

―――というのが建前ではなく、結論である。

無情だとか、非情だとかそういう感情論を抜きにしても、そう変わるものではない。

人ならざる少女自身が覚えていたところで意味がない。

繰り返しにはなるが、

名がわからないという、致命的な欠陥を持っているという事実こそが曲げられない現実だ。

記憶という曖昧なものと、事実という現実。


これは、悪守だけの問題ではない。

当然相容れるはずもなく。

崩れゆく信仰対象、そのものである妖を繋ぎ止めておくことはできないのだ。

アニミズムとはそういうものだ。

―――もとより存在していた八百万の神々は、大和の大衆を従えし新興宗教と対立し、

―――飛鳥時代に成立した神仏混淆というのは、

蘇我氏の助力の甲斐あり、徐々に本地垂迹に結びつけられた。


それが、数千年後、戦前期に国家と結びつけられたことで、地方の土着信仰は忘れ去られていった。

 

その歴史を二文字で示すのなら、『因果』と言う他無いだろう。



―――名は体を示す。

―――名は体を縛る。


運命の悪戯か。

彼は人を喰らってきた。


―――それは、時代錯誤で人肉を喰わない紅葉からすれば、本来考えられない者だった。


しかし、母、それまた先祖は喰らっていたというのも事実だろう。

―――何せ『肉吸い』などという穢れた種族なのだから。



閑話休題。

―――結局、自嘲混じりな脳内からは答えはでなかった。

『とっぴんぱらりのぷうへの懐疑』

より正確に言うのなら『答えという概念そのものが、懐疑的になった』というほうが正しいだろう。


寂寥と呼ぶに相応しい。

まさか、土蚯蚓との会話で孤立を一層際立たせることになるとは。思いもしなかったのだ。



それを踏まえると、通りゃんせにもある通り、『行きは良い良い帰りは怖い』というのは正しい。

生半端な気持ちで乗り込んだ少女は、元の場所へと帰る為の『代償』を支払わされているのだから。



4



「吾の事を思うことは、お主の為ならぬ。―――それでも老耄を看取るか?」


悪守は少女へ問いかける。


かつて栄華を誇ったことなど無かったからこそ、底なし沼に飲み込まれるのを畏怖しての行動。


『色は匂へど 散りぬるを』

これほどまでに童歌に踊らされる小さき存在であったことを示した感情。


『井の中の蛙大海を知らず』

紅葉の吐き捨てた言の葉を反芻しての結果。


蚯蚓という族。

それは乾くことを常日頃恐れていた。


―――乾くという表現は、瑞々しさとは対局に位置する。

それすらも花鳥風月に並び趣とするか。


即ち、悪守なりの美学の集大成なのだ。

彼のみの力ではない。⋯⋯というよりも、少女の助力なくしてあり得なかった。


悪守へと変貌した自身の『今』を薊の如く、はっきりと伝えたのは彼女なのだ。


『事』とは即ち『過去』である。

『奇跡』とは即ち『非現実』である。

『現実』とは即ち『今』である。

過去の『奇跡』とは即ち『跡』である。

今の『奇跡』とは『刻む瞬間』である。

『救い』とは即ち『証』であり、『証』とは即ち『事』である。


―――救われていたのだ。既に、悪守は。

紅葉は、既にしがみついた蜘蛛の糸を知らせ、『救い』という『過去』を肯定し、否定し、知見とした。


――――レトロスペクティヴ。

⋯⋯彼女が考えるまでもなく。『解』は出ている。それを彼女は『解せぬ』という。

何故か? 

救いというのは一方のみが得られる『権利』ではないからである。

『享受』という言葉がこれほどまでに嫌らしく、意地汚いと誰が理解できただろうか?


―――紅葉は救われてなどいない。掬われたのだ。


魚の骨にも満たぬモヤが、速やかに思考を蝕んでいる。


だから、こそ「看取るか?」。という問い掛けを悪守は無意識に選んだのだ。



―――紅葉は震えていた。嫌悪感とそれに有に勝る『珍妙』な回路。


脂汗が身体を過る。

汗線の刺激などという生易しいものではない。

『我』とはなんなのか?

『穢』という離れられない『ケ』との乖離。同義。

それは彼女の『存在』の根幹を揺らす。



だが、両者ははっきりと、『暗黙の了解』というものを理解しかけていた。



『答えなどというのは、最早無意味であること』を。

『同じ土俵には、絶対に立てぬこと』を。



5



『あやかし』


その語源は、太古より『あやし』とされる。

文言の意味は『不可思議』を指す。


『不可思議』


人知を超えた。

そう、人々が思い込む存在を『神』と、『妖』と呼ぶ。



『ハレの日』

 

それは、非現実。特に催事を指す。

雅のみならず、神との交流機会を設けるその日を。


『穢』


血などの『根底』にあるものを指す。


『穢とハレ』


それは表裏一体。同一であり、思慮分別は不可能である。



『神』と『妖』


一体何が違うのだろうか?


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