ひねくれ者と、じいちゃんの言葉

桐沢清玄

あの日、腕の中は温かかった

 教室の窓際から、外を眺める。

 うんざりするような曇り空で、小雨が降っていた。

 見ていても、特に面白くは無い。


 ──だったら、視線を教室に向ければいいじゃないか。


 うん、それは論外だな。面倒事に関わりたくないし。

 そんな風に思っているクラスメイトが、大多数。

 こういうの、事なかれ主義って言うらしいけど……俺は少し違うと思う。


 だって、まるで最初から面倒事なんて存在しないような、そんな態度じゃん。

 要するに、コミュニティで起こった問題に対する責任の放棄。

 俺たちみたいな利己的な人間が溢れて、世の中は滅茶苦茶になった。


 心の中でそう思っていても、動けない。怖いから。

 じゃあ、慣れればいい。

 どうせ、大人の世界もこんなもんだろうし。

 

「……おい塚原つかはら、来いよ! お前、こいつに苛められてたよな? 今なら何でもやり放題だぞ!」


 クラス一の不良に指名されたら、無視する訳にはいかない。

 俺は椅子から立ち上がり、教室の一角で盛り上がりを見せている場所へのろのろ向かった。


「さっさと来いっつっただろ、間抜け」


 頭を叩かれた。……くっそだる。

 やっぱ昼休みは、時間ぎりぎりまでどっかで暇潰すべきだな。

 そんな事を考えながら、床に倒れた同級生を見下ろす。


 不良に視線をやると、シャドーボクシングをしている。

 半年前に暴力沙汰でボクシング部を退部したとはいえ、十分鋭い動きだった。


 指示は出さないし、あくまで手本を見せただけ。

 ……俺がやった方が、怪我はしにくいよな。


 ざまあみろ、なんて気持ちは湧かない。むしろ同情。

 この場をやり過ごす為に、不良の喜ぶ行動を取ることにした。


 悪い。

 ちょっと我慢してくれ。


「……広瀬ぇ、今まで散々好き勝手やってくれたなあ!」


 可能な限り手加減して、蹴っては踏みつける。

 腹や頭は避けた。荒々しい動きで、自分なりに怒りを表現してみた。


 原因はよく分からないが、気付けば俺は、この広瀬綾ひろせあやという女に苛められていた。取り巻きの女友達と一緒に。


 暴力的なものは正直、どうでも良かった。

 たまに俺の財布の金で昼飯を買わされるのが、ウザいくらいだった。

 でもそんな広瀬も、今じゃこのザマ。


 噂で聞いた話だ。

 上級生の男にちょっかいを出して、トラブルになったらしい。

 事実関係はどうでもいい。

 今はただ、広瀬が床に転がっている。


「うははっ! おいおい塚原、そのくらいにしてやれよお」


 息が上がり始めたところで、不良に肩を掴まれた。

 振り返ると、周りの奴らも俺の行動に対して言葉を失っているようだった。


 チャイムが鳴り、その場はお開き。

 広瀬は立ち上がり、俺を睨んでから教室を出て行った。

 午後の授業が始まった後も、ずっと窓の外を眺め続けた。


 自分で選んだ高校とはいえ、これが卒業まで続くのか。

 まあ小学生の頃、三角形の面積から逃げた俺が悪いってことで。




 放課後の帰り道を、一人で歩いていた。午前中は小雨だったのに、今じゃ大降り。

 傘を差しながら、歩道の水溜まりを避ける。靴はつい最近、新しいのにしたから。

 考えごとをしていたせいで、反応が遅れた。尻を蹴られたっぽい。


 振り返ると──広瀬だった。

 ずぶ濡れになりながら、ここまで来たのか? 確か、家は正反対の方角だろ……。


「……塚原、てめえ!! 学校じゃよくもやりやがったな!!」


 そんな広瀬を一瞥してから、俺はまた歩き始めた。

 帰って、ゲームでもするか。


 今度は腕を引っ張られる。

 何だよ、苛められて悔しいから憂さ晴らしってか?


「なあ、広瀬。俺に構ってる暇なんてあるのかよ? あのアホどもに、仕返しの方法でも考え……て……」


 広瀬は泣いていた。

 肩を震わせながら、まるで小さい子供みたいに。


「あたし……どうすりゃいいんだろ……? 向こうがちょっかいかけてきて、それを追い払ったら、こっちが悪者にされてた。……意味分かんないよ、こんなの……っ」


 気持ちは分かる。

 ……分かるけど、だったら最初から俺を苛めるなよ。

 面倒臭くなった俺は、広瀬の手を引いて歩き始めた。


「ちょっ……なんのつもりだよ、お前!」


「とりあえず、うちに来いよ。母さんがいるから、制服とか洗ってもらえ。……色々透けてるし、風邪引くぞ」


「……っ! こっ、この変態! っつうか、傘に入れてくれねえのかよ!?」


「……お前、今まで俺に何してた? あんま調子乗んなよ」


 ずぶ濡れの同級生を連れて帰ったら、何故か母親に怒られた。

 理不尽だ、全く。




 シャワーを浴びた広瀬には、俺のジャージを貸してやった。

 さっきまでの泣き顔はどこに行ったのか、今じゃゲームのコントローラーを握って楽しそうにしている。意外にも、格闘ゲームが好きらしい。

 ベッドのシーツには、スナック菓子の欠片。やりたい放題だな。


「よっし、またあたしの勝ちぃ! 塚原さあ、オタクの割にちょっと弱くない?」


 ──こいつ、接待してやってんのに。

 また泣かれたら困るし、このまま付き合うか。


 そんな感じでしばらく遊んでいると、広瀬はコントローラーをぶん投げた。

 飽きたらしい。


「別のゲームでもやるか?」


「……いや、もういいわ。手ぇ抜かれてるって分かったし。エロ本でも探そっかな」


「今時、紙のやつなんて置いてねえよ」


「んだよ、つまんねえ!」


 ベッドに寝転んだ広瀬は、黙り込んでしまった。

 んじゃまあ、俺は一人でランクマッチやるか。

 適当な漫画を貸してやって、お互いの時間を過ごす。


 いい感じにランクポイントを稼いでいると、広瀬が話しかけてきた。


「……あんたの母親、いい人そうだったね」


「何だよ、いきなり」


「うちの家、母親が浮気して出て行っちゃってさ。父さんがいるけど、仕事から帰ってくるといつも疲れててさ。……苛められてるなんて、相談出来ないんだよね」


「俺は相談したぞ」


「……普通さあ……苛めてた相手をそのまま家に連れてって、母親に話すとか……出来なくない? あんたの母さん、謝ったら許してくれたけど……」


「うちのシャワー使って、俺のジャージまで着てるんだ。それくらいは受け入れろ」


 窓の外を見ると、雨の勢いは落ち着いてきたらしい。

 傘を貸して、乾いた制服を渡して広瀬を帰らせた。

 自室に戻った俺は、あいつの背中を見送る。


 ……そういえば、じいちゃんの葬式の日もこんな天気だったな。

 足腰が弱いばあちゃんの代わりに、お骨が入った木箱をお墓まで抱えてた。

 肌寒い日だったけど、木箱の中のじいちゃんは温かくて、それが有り難かった。

 

『たまにはな、格好つけるのも悪くないぞ。じいちゃん、それでばあちゃんと結婚出来たんだ』


 じいちゃんはある日、そんなことをぼそっと言った。

 普段から無口だった俺に対し、何か思うところがあったのかもしれない。

 もう少し、話しておけばよかったかも。




 そんなことがあって、しばらく経ったある日。

 放課後、帰る前にトイレに寄った。


 不良に囲まれた広瀬がいた。

 ……ついてないな、俺。


「おおっ? こりゃまた奇遇じゃん、塚原! どうだ、お前もちょっと遊んでくか?」 


 クラスの不良は軽い感じで話しかけてきたが、どう考えてもこの先はヤバい。

 広瀬もすっかり怯えきっていて、俺に対して縋るような目を向けている。


 尿意は引っ込み、さあどう対応すべきか──なんて、考える前に。


「広瀬、来いッ!」


「つ、塚原ぁ!?」


 鞄を不良どもに投げつけ、トイレから逃げ出した。

 ……おいおい。

 ……おいおいおいおい。


 馬鹿かよ、俺!!!!

 わっけ分かんねえぞ!!!!!!!!


 廊下が、やたら長く感じた。教師が何か叫んでいる。

 下駄箱に辿り着き、お互いに靴を履き替えた。


 校外に逃げた。

 ……けど、焦ったせいで家から反対方向。


 荒い息を吐き、広瀬に道案内されながら、彼女の自宅へ。

 うん。なんていうか、庶民的なアパートだった。

 ワンルームの部屋をカーテンポールで上手く区切っていて、住み心地は良さそう。


 ペットボトルのお茶を飲んでいると、広瀬が急に吹き出した。

 俺もよく分からないけど、笑ってしまった。


「ふふっ……はははっ! いやお前、案外根性あんのな! ……お互い、明日からどうすんのか知んねえけどよ」


「しばらく学校行かなきゃいいだろ、お前の場合」


「……あんたは?」


「普通に行くけど」


 信じられないという顔の広瀬に対し、肩をすくめた。

 俺も当事者になったんだから、そっちも腹を括れ。


「俺は親と学校に相談するし、お前も相談しろ。なるようにしかなんないだろ、こんなの」


「……そうかも、しんないけどさ……」


 湿っぽい雰囲気は苦手だ。

 勝手にテレビをつけてゲームを起動させてから、広瀬にコントローラーを渡す。

 コントローラーが二つあるって事は、父親とたまに遊ぶ感じかな。


「いじめっ子の癖に、うじうじしてんじゃねえよ。それと、夕飯くらいは出せよな」


「は、はあっ!? おまっ……いきなり、距離縮めすぎだろ……もしかしてあたし、狙われてる?」


「ふざけんな。人を苛めるような奴、好きになんねえよ」


 最初は困惑気味の広瀬だったが、段々調子を取り戻した。

 帰って来た広瀬の父親に事情を説明すると、凄い勢いで感謝された。

 帰ったら両親に褒められたけど、なんだか不思議な気持ちだった。


 ──少しは孝行できたかな、じいちゃん。

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