雪椿

 椿もまた当時を思い出していた。焼ける家々、逃げ惑うひとびと──もっとも、それらの記憶が勝手に頭の内側に割りこんでくるような具合だったけれど。

 その記憶から抜けだすと、今度は雪に非礼な振る舞いをしたことに意識が向かった。

「ごめんなさい、ごめんなさい!……」

「落ち着いて、椿。大丈夫、こっちへおいで」

「いいえ、いいえ雪さま……私は、雪さまのそばにいるのに、ふさわしくありません」

 雪が困った顔をした。悲しそうとか、寂しそうといってもいい。

「私は、私は醜いのです、雪さまとは違う、私は、醜い化け物なのです、雪さまにこんな姿をみられたら、私は!……」

「私はみない」

「でも感じるでしょう!」

「おまえのいう醜さなら、感じもしない。おまえを醜いなどと、一度も思ったことがない。おまえはいつだって、私の愛しい相棒だ」

「いいえ、雪さま!……」

「さあ、こっちへきてくれるかい。私に抱擁を許してくれ」

 椿は動けなかった。近づけば、水に映った姿を知られてしまうかもしれないと恐れていたことを、気づくように思い出した。

 雪の体が動いた。足元で、白がつぶれる音がした。湿った音だった。それと同時に抱きしめられた。みれば、雪の膝が着物の内側で冷たい白を踏んでいた。

「雪さま、脚が!……」

「かまわない。かまわない、今はただ、こうしていたい」

 椿はたまらなくなって、少し泣きそうになった。このひとはなんてやさしいのだろうと思った。そしてそのやさしさを、いや、ほかの部分も全部、ほしくなった。ひとりじめにしたくなった。「雪さま、私は、あなたが好きなのです」

「ああ。私も、おまえが好きだよ」

 雪の背をおおう着物を、ぎゅうと掴んだ。「いいえ、これは恋です、私は雪さまに、恋しているのです」

 雪がなにかいう前に「だから」とつづけた。

「対等でありたいのです、あなたが美しいぶん、私も美しくありたいのです。だけど、だけど全然、そうはなれない!……」

「私はおまえに助けてもらってばかりだから、たしかに対等ではないかもしれないね」

 椿は洟をすすった。「そうじゃなくて……」

「おまえには私がみえて、私にはおまえがみえない。私たちの間にある差は、おおきなものだ」

「そうじゃないんです!……」

 大好きな手が、背中をとんとんと叩いてくれた。「私は、おまえがどんな姿であろうとかまわないといってるんだ」雪がちいさく笑った。そして髪をなでてくれた。「ああ、こんなことなら、たしかに……この目が役立たずでよかったんだ」

 椿はもうなにもいえなかった。

「たとえば私のこの目が生活の役に立っていたなら、おまえは私の言葉を信じてくれなかっただろう。そんなことなら、これでよかった」

「雪さま」

「なんだい」

「好きです」

 雪は静かに笑った。少し照れくさそうに笑った。

 それからまたやさしく髪をなでて、耳の下のあたりに、とてもやわらかく、ふんわりと軽やかにふれてくれた。椿はくすぐったくて首をすくめた。

 雪が離れていくとき、みのもに水がひと粒落ちるような音がした。そして彼のふれてくれたところが、水にさわったあとの手みたいに、風の冷たさにひどく敏感になった。


「おまえはどうせ、私も好きだというんじゃ、何度繰り返しても納得しないんだろう?」

 雪はいたずらっぽく微笑むと、椿の頭をなでてさっと立ちあがった。「部屋に戻ろう」といって手を伸ばしてくるから、椿はその手を握り返した。

「こんなに積もってるのに膝をついたりするから、寒くなったんでしょう」

 恥ずかしさと、飛びあがりたいような嬉しさと、そういう顔を真っ赤に染めあげる感情を隠したつもりでいって、歩きだした。

 何気なく後方をみると、垣根の紅い山茶つばきが目に入った。真っ白な雪に抱かれた山茶。椿はちょっと得意になって、薄く口角を持ちあげた。


 まるでそれに気づいたみたいに、半歩後ろで、雪がくすりと笑った。



 はらり──……。

 雪がまた、降りだした。紅いツバキが、開いた花にひとつ、また、ひとつと、舞い降りる雪のくちづけを積み重ねていく。




   了







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雪椿 白菊 @white-chrysanthemum

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