屋敷

 雪の父は近所で火災があったと知って家を出ていた。その帰宅は話し声を響かせて、空から降っては積み重なる雪の音を搔き消した。

 雪は壁に手をはわせて廊下を進んだ。父の足音が聴こえたから、「父さん」と声をかけた。

「無事かい」

「ああ、雪。おれは大丈夫だ。ただ、ちょっと話がある」

「うん」ちょっと緊張してうなずいた。


 そばの部屋に入って、両親と三人で座った。

「子どもをひとり、引き取ろうかと思うんだ」

「子どもを?」

「現場で見つけた子でね」

 雪はその声に含まれた悲劇を察した。

「そうか」

「おまえも、話し相手がほしいだろう」

 雪は父の声に祈るような気配を感じたから、「いたら楽しいだろうね」と同調した。

「その子は、どんな子なんだい」

「歳は、十二、十三くらいだ」

 雪は思わず笑った。「そんなちいさな子に、僕のを任せるのかい」

 ここでいう話し相手には、会話以外にも仕事があるのだ。

 父もあえて恐ろしい現実──その子どもが助からないかもしれないなどという現実──にはふれないで、「いいじゃないか、きっとしっかりした子だ」とちいさく笑った。

 雪もまた「僕にはほかに仲よくしてくれるひともいないしね」とちいさく笑った。



 その子どもは、洪水みたいな悲しみをまとってやってきた。雪は玄関まで壁を伝っていくと、こちらの胸まで痛むような悲しみに向けて手を伸ばした。

 ちいさな手が、けれども強く生きるぬくもりをにじませる手が、そっと重なって、握ってくれた。

「僕は、雪だ。空から降るのとおなじ、雪」

「ツバキ」とちいさな声がした。「木に春って書く、椿」

「椿か。いい名だね。僕のことは知っているかい」

「目が、みえないの?」

 雪はほっとしたような、心苦しいような調子で微笑んだ。「仲よくしてくれるかい」

「僕も、」と、消えてしまいそうな声がささやいた。「仲よくしてくれますか」

「ああ」雪はすぐにうなずいた。「ああ、もちろんだよ、椿」

 重なった手のひらがぴくりとふるえた。そこから、少年の寂しさが流れこんでくるようで、雪は三和土たたきへおりてちいさな体を抱いた。



 椿は強い子だったけれども、その気丈に振る舞うさまは雪を苦しめた。彼はすぐに雪を雪さまなどと呼んで、自身を私と呼んだ。雪は椿に近づきたくなって、彼をまねるように自分を私と呼ぶようにした。そしてもっと親しくなりたかったから、さらには椿という、家族によく呼ばれたであろう大切な名をけがしたくなかったから、彼をおまえと呼ぶようにした。


 ある夜、椿は雪の手をあたためてくれていた。

「おまえは、どうして私なんかを、さまなんてつけて呼ぶんだい」

「恩人の」といって、椿は言葉を探すように黙りこんだ。それで結局は「子どもですから」といった。

「気を遣うことはないよ。私なんかは、おまえになにもしてやれない」

「いいえ」とかすかな声がした。その声は少し、ふるえていた。「ひとりにしない、で……くれます」

 差しだす言葉を間違えたと思った。雪は自分の手をつつんでくれるちいさな手を握って、引き寄せた。そしてちいさな体を自分の布団に入れて、大切に抱えた。

「ああ、ひとりにしない。ひとりに、しないよ」

 その夜、椿がはじめて、雪の前で泣いた。

「雪さま」

「うん、ここにいる」

「もっと、……もっと強く、してください」

 雪は椿の望むまま、ちいさな体に力を伝えた。それで祈った。椿の癒えない傷が、あまり痛まなくなることを祈った。

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