第9話 海辺の村のおとぎ話
その日の宿のことなんて、すっかり頭から抜け落ちて、暗闇の中で佇んでいたダニエルだったがその身は近くで民泊をやっているという老夫婦に拾われた。
老夫婦はダニエルの事情に触れようともせず、ただ温かな風呂に飯、寝床を用意してくれた。ここのところダニエルはずっと一人で彷徨っていたものだから、そういった人情に触れるとむずがゆいような変な心地になる。
部屋の中は潮の香と波の音で満ちていた。
海の上にせり出すように造られた部屋はこの辺り特有の技術なのだろう。真下から波の音がよく響く。整然と整えられたベッドに体が勝手に向かっていく。
自覚はなかったが疲れていたのだと思う。
けれど眠りにつけないのは興奮してしまっているせいか。
薄闇の中、一度は閉じかけた瞼を開くとダニエルはごそごそとバックパックを漁った。
「花嫁伝説…か」
わずか数十ページにも満たない短編。
女将が食事の用意をしてくれているあいだ読み進めてそれには、今のダニエルにとって夢のような一節が記されていた。
『永久の眠りについた花嫁と、悲しみに暮れた花婿。
けれども星の降り注ぐ夜、彼らは再会を果たしたといわれています。』
※※※
「この話を詳しく知っている方はいらっしゃいませんか」
早朝、勢いよくパンフレットを開いたダニエルはカウンター越しにいる女将に向かって尋ねた。
ダニエルのただごとではない様子に女将は一瞬目を丸くしたものの、「ああ、やはりそうでしたか」と全てを悟ったかのような柔和な笑みを浮かべた。
聞けば、ダニエルと同じような境遇を持つ者が不思議とこのアルメリアの土地には集まるのだという。
「これもやはり【とどけびと様】とやらのお導きなのですかねえ」
「…。」
「わたしが知る範囲でよろしければ全てお話いたしますよ」
【昔、遠い昔。嵐が三日三晩と続いたある日のことです。
村の浜辺に見覚えのない人影がひとつ流れ着いておりました。
この辺りでは見かけることのない黒髪の乙女です。
ぴくりとも動かない彼女でしたが、当時の村人たちはそんな彼女を遠巻きに眺めるだけでした。
自分たちとまったく異なった容姿を持つ乙女に恐れを抱いていたからです。
最初に動き出したのは村で漁師を生業としていた…後に黒髪の乙女の夫となる青年でした。青年はまず彼女が生きているかを確認しました。すぐには判別がつかないほど衰弱していた彼女でしたが、まだ息があることに気が付いた青年はたまたま村を訪れていた医者の下へと急ぎ駆けこんでいったのです。】
「その先はよくある話でございますよ」
【看病をし、されていく中で二人の間には特別な絆が芽生えました。
二人は恋仲となり、やがて将来を誓い合うなったのです。
けれども悲劇は起こりました。
村の伝統的な花嫁衣裳を身に纏った黒髪の乙女は華やかな式の途中で倒れこんでしまったのです。
衰弱した花嫁の体はもう既に限界を迎えておりました。
花嫁は最後の力を振り絞って呟きます。
「海が…海が見とうございます」
最後の時は二人が出会ったあの浜辺で。
「私にとって…海には…祝福があるのです、だって…私を…あなたの下にまで運んできてくれたんですもの」
花嫁を抱きかかえているせいで、両腕がふさがっている花婿。
その頬から滑り落ちてくる涙を必死に受け止めながら花嫁は微笑みます。
「 」
そうしてようやく砂浜までたどり着いた頃。
花嫁は花婿の腕の中で息を引き取っていたといいます。】
「ここまではパンフレットにも書かれておりましたかね」
女将は目を細めながらページを繰る。
「そうですね、二人はそこで死に別れた。でもパンフレットの最後には再会したと書かれていました。その意味を女将さんはご存じですか」
「ああ、そうでございました。あなた様が知りたいのもその部分でございますね」
女将は小さく頷くと、窓の外へ向かって指をさす。
「花嫁の最後に思うことがあったのでしょう。村人たちは自らの行いを悔い、子孫たちにはどんな理由があるにせよ人を見捨てるようなことはするなと教えました。そうして戒めと、花嫁への慰めのためにあの石像を作ったのです」
『彼らがもう一度出会えますようにと』
「ならば!彼らが再会したというのは…ただの村人たちの…」
「史実、と言われておりますよ」
「え?」
「他ならぬ花婿がそう話したと申しております。自分は昨日夢の世界で花嫁と再会を果たしたのだと。その夢の中で彼女が言っていたんだと。
『あの子が。【とどけびと様】が俺たちを再会させてくれたんだ』
ダニエルは首をかしげる。
「【とどけびと様】というのは?」
「花嫁は確か東の国の方から流れ着いたとかで…その国の神様みたいな…信仰に値するものだったんじゃないかと。ただこのアルメリアの土地では…死者と再会させてくれる人だと伝えられています」
「では…ダニエルさんは今?」
時は戻って現在、フォレスト・スノウにて。
夕日を眺め、長らくぼんやりとしている友人の背を見つめながらオーナーは頷いた。
「俺は近しい身内をまだ亡くしたことがないから分かるなんて言えないが…会えるもんなら会いたいよな、そりゃ」
オーナーには友人の…人の過去を勝手に触れ回る趣味はないが、これはダニエルと交わした交換条件でもあった。
大陸最果ての土地、アルメリアの村。
その後、大陸各地をいくら探してもその村でしか【とどけびと様】に関する情報を得ることができなかったダニエルは、最後の手段…人海戦術に打って出ることにしたのである。
大切な息子との思い出を、悪い言い方をすれば噂のタネとして消費されるのを覚悟の上で自身が求める情報を手に入れようとしたのだ。
幸いここはリゾートホテル。各地の人間、情報が集まる場所としては申し分ない。
そして彼がうつ博打は大概…当たる。
「オーナー」
「うん?」
新入社員は話を聞いている間、ずっと胸の内に引っかかっていた人物について、我慢ならなくなったように口を開いた。直属の上司に報告はしたものの、その日は全員が慌ただしくしていた。オーナーの耳にまで入れる必要はない案件だと上司は判断したのかもしれないし、忙しくしているうちに頭から抜け落ちてしまっただけなのかもしれない。
真実は定かではないが、まごうことなき消えることのない事実を新入社員の彼は知っている。
「その…【とどけびと様】って人に直接的な関係があるかは分かりませんが……いらっしゃってますよ、今」
ダニエルの求める神様とやらに、繋がる情報を。
「いるって、誰がだ?」
「土砂崩れで動けなくなったバスの乗客の方の中に……自分も初めて見たので確信は持てないんですが…」
どんなお客様でも平等に扱う、それがこのホテルのポリシーでありながらも…ごく稀に例外はある。お客様のことを守るため、何事にも柔軟に対応するように上の者からは言いつけられている。
今回のお客様に限っては誰よりも自覚があったようで、自らスタッフの元へ申し出てきた。
バスから降りてきた…深く外套のフードを被っていた彼女は「あまり目立ちたくないので裏口から入れて頂くことは可能でしょうか」とこっそりそれを脱ぎながら言った。その時の衝撃といったら…齢二十歳の新人であった彼の人生の中でも一位、二位を争うだろう。
「黒色の髪に瞳。これって東ノ国に住む人の特徴ですよね」
目の前にいるオーナーがあんぐりと口を開けた。
いつから聞いていたのか、書類作業をしていたはずのダニエルも驚いた表情で振り返る。
ダニエルにオーナーと新人スタッフ。小部屋の中と扉付近、お互いの声はぎりぎり届くほどの距離。会話に入らなかっただけで声は聞こえていたらしい。
「おいおい…あの国と国交を持ってる国なんてないんだぜ。海に閉ざされた国。行き来があるなんて聞いたこともない」
信じられない様子でオーナーは眉を顰める。
大の大人がそんな反応をしてしまう。これはそういうレベルの話だ。
オーナーの語る事実は、彼ら西ノ大陸の住人にとっては常識的なことだ。
隣国でありながらその実態は謎に包まれ、知られていることで有名な話といえば彼らの持つその容姿だけ。話題に挙がった彼女のように、皆一様に夜のような髪色に瞳を持っているというだけだった。
嘘を吐いているなんて思わないが、新人である彼の話を信じきれないというのがある種正しい感覚だ。
けれども。
「今、どこにいるんだ?!」
この部屋には今、そうも言ってられない男がいる。
ガタン、と椅子が激しい音をたてて床へと投げ出された。
「ダニエル…」
「どこに!」
「落ち着けって!」
今にも新人スタッフに掴みかかりそうな勢いのダニエルは、間に入ったオーナーによって胸を強く止められた。
新人の彼は初めこそ驚いたように一歩下がったが、ダニエルの悲しみと僅かな希望が入り混じった複雑な表情を見て幾分か冷静さを取り戻したようで、静かな口調で答える。
「ホテルの部屋にずっと閉じこもっておくのも暇だからと。先日からひと気のない森の方へ足を運んでおられました」
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