第3話 迷える騎士と、秘密の「安眠茶」

森に住み始めて数日。ミチルの生活は驚くほど規則正しかった。朝、鳥の声とルルの甘噛みで目覚め、庭の植物たちと世間話をしながら収穫。午後は気が向いた時だけ、家の前に「Open」の看板を出す。


「今日も平和ね、ルル」

「きゅきゅっ」


 テラスでハーブを仕分けしていた時だ。  森の奥から、ガシャリ……と不吉な金属音が響いた。

 現れたのは、銀色の鎧を纏った一人の青年だった。美しい顔立ちをしているが、その顔色は青白く、目の下には深いクマ。何より、その背後には黒い霧のような「澱(よど)み」がまとわりついている。


『あの人、すごく苦しそう』 『心の根っこが枯れちゃいそうだよ』

 足元のタンポポたちが、心配そうにざわめく。ミチルは反射的に立ち上がり、ふらつく彼に駆け寄った。


「大丈夫ですか!? 顔色が……」

「……ああ。すまない、少し、休ませて……」

 青年――王国騎士団長のアルベルトは、そのままミチルの腕の中に倒れ込んだ。



 小一時間後。カフェの店内で、アルベルトはぼんやりと目を開けた。鼻をくすぐるのは、香ばしくて、どこか懐かしいお日様のような香り。


「気が付きました? 無理しすぎですよ」

 目の前には、おっとりとした笑みを浮かべる女性。彼女が差し出した木のカップからは、淡い琥珀色の湯気が立ち上っている


「これを。少しは楽になると思います」

「……かたじけない。だが、私は今、呪いのような不眠に侵されている。どんな高価なポーションも効かぬのだ」


 アルベルトは自嘲気味に笑った。戦場での惨劇、終わらない公務。彼の精神は限界を迎え、魔物の瘴気が「不眠の呪い」となって彼を蝕んでいた。だが、断る気力もなく、彼は出されたお茶を口にする。


(……温かいな)

 一口。喉を通った瞬間、アルベルトの目が見開かれた。胃の中から、じんわりと熱が広がる。それはただの温度ではない。彼を縛り付けていた黒い霧が、光に触れた雪のように、スウッと消えていくのが分かった。


「これは……まさか、伝説の『浄化の雫』か……?」

「えっ? 庭のラベンダーもどきと、そこらの枯れ葉を少し混ぜただけですよ。……あ、枯れ葉って言っても、長老が『これ使うとよく眠れるよ』ってくれた特別なやつですけど」


 ミチルは「隠し称号:緑の聖女」の効果を微塵も自覚していない。彼女にとって、それはただの「お疲れ様の一杯」だった。


 しかし、アルベルトの視界からは、世界を覆っていた灰色のフィルターが外れていた。ルルのふわふわした尻尾が膝に乗る。その心地よさに、数ヶ月間、一秒も休まらなかった彼の脳が、急速にシャットダウンを始めた。


「……信じられ、ない……。こんな……穏やかな……」

 アルベルトの言葉は最後まで続かなかった。騎士団長ともあろう男が、初対面の女性の前で、カクンと首を落として深い寝息を立て始めたのだ。


「あら。本当によっぽど眠りたかったのね」

 ミチルは苦笑いしながら、奥からふかふかの毛布を持ってきた。彼が背負っていた凄惨な過去も、国家の危機も、今のミチルには関係ない。ただ、自分の淹れたお茶で誰かがぐっすり眠ってくれた。それが事務職時代には味わえなかった、何よりの達成感だった。


「おやすみなさい、騎士様。いい夢をね」

 窓の外では、長老の木が「よくやった」と言うように、優しく枝を揺らしていた。

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