第5話

 数日間の特訓を経て、俺はいよいよ外に出ることになった。


 もちろん、いきなり遠出はしない。

 街の壁からすぐ近く、比較的弱い魔獣が出るエリアでの実践訓練だ。


 レイも同行してくれるが、彼はあくまで監督役だ。

 戦うのは俺一人。


 俺の手には、なけなしの金で買った鉄製のナイフが握られている。

 剣なんて高尚なものは買えなかった。

 だが、素人が振り回す剣より、懐に入って突き刺すナイフの方が殺傷能力が高いとレイは言った。


「来るぞ、ジン。……一角兎アルミラージだ」


 レイの声に、俺は緊張で強張った体を無理やり動かして構えた。

 草むらから飛び出してきたのは、凶悪な一本角を生やしたウサギ型の魔獣だった。


 ウサギといっても、サイズは大型犬くらいある。

 その目は赤く充血し、口からは涎を垂らしている。

 可愛い要素など欠片もない、殺意の塊だ。


「キシャァアアアッ!」


 アルミラージが跳躍した。

 速い。

 特訓でレイの動きを見ていなければ、反応すら出来なかっただろう。


 俺は恐怖をねじ伏せ、横に転がって角の突撃を回避した。

 ドスッ! と地面に角が突き刺さる音が聞こえる。

 あんなもの、まともに喰らえば腹に風穴が空く。


 死ぬ。


 ここで死ねば、ツムギはどうなる?

 あのまま誰にも看取られず、飢えて死ぬのか?


(ふざけるな……ッ!)


 死んでたまるか。



 俺は地面を蹴った。

 角が地面に刺さって動きが止まっているアルミラージの背後に回り込む。


 震える手でナイフを逆手に持ち、レイに教わった通り、首の付け根を狙って振り下ろした。


「おおおおおおっ!!」


 ズブリ、と生々しい感触が手に伝わる。

 骨に当たる硬い感覚。

 熱い血が噴き出し、俺の顔にかかる。


 アルミラージが暴れる。

 俺は必死にナイフを押し込み、抉った。

 獣の断末魔が響き渡る。


 やがて、アルミラージの動きが止まった。

 ドサリと重たい音がして、魔獣は動かなくなった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 俺は血まみれのまま、その場にへたり込んだ。

 心臓が早鐘を打っている。

 手が震えて止まらない。


 殺した。

 生き物を、殺した。


「よくやった、ジン」


 レイが近づいてきて、俺の肩を叩いた。


「初めてにしては上出来だ。腰が引けてなかった」

「……生きた心地が、しなかったよ」

「最初はそんなもんだ。だが、これで魔獣を倒したことになる」


 そうだ。
 魔獣を倒した。


 つまり、条件は満たしたはずだ。

 俺は急いで左手を確認した。
 ステータスウィンドウを開く。


――――――――

・治癒魔法〈リペア・エボルヴ〉


Lv1. 傷を止血する。

Lv2. *********

――――――――


 ……変わっていない。

 まだレベル1のままだ。


「くそっ……やっぱり一匹じゃ駄目なのか」


 俺は悔しさに唇を噛んだ。

 だが、レベル2の項目の文字化けしていた部分が、以前よりも少しだけ薄くなっているような気がした。



 気のせいかもしれない。

 でも、確かな手応えはある。

 魔獣を倒せば、何かが変わる。

 この方向性は間違っていないはずだ。


「どうだった? スキルは」

「……まだ変化なしだ。でも、続けていくしかない」

「そうか。まあ、そう簡単にいくなら苦労はしないな。今日は引き上げよう。血の匂いに釣られて他の魔獣が来るかもしれん」


 俺は頷き、アルミラージの死体から使える部位――角と少しの肉を切り取って袋に入れた。


 これが俺の最初の戦利品だ。

 そして、ツムギを治すための第一歩だ。






 家に帰ったのは夕方だった。

 体中が泥と血で汚れている。

 酷い臭いだ。


「ただいま……」


 扉を開けると、部屋の奥のベッドからガバッと何かが起き上がる気配がした。


「ジンッ!」


 ツムギだった。

 彼女は片腕と片足がない体で、それでも必死にベッドから這い降りてこようとした。


「おい、危ないって!」


 俺は慌てて靴を脱ぎ捨て、駆け寄って彼女を抱き留めた。


「無茶するなよ。落ちたらどうするんだ」

「だって……遅いから……帰ってこないから……」


 ツムギは俺の服をギュッと掴んだ。

 その瞳には涙が溜まっていた。


 俺がいない間、ずっと不安だったのだろう。

 捨てられたのではないか、死んでしまったのではないか。

 そんな恐怖と戦っていたに違いない。


「ごめんな。ちょっと仕事が長引いて」

「……血のにおい」


 ツムギが鼻をひくつかせた。

 俺の服に染み付いた魔獣の血の臭い。

 普通の少女なら顔をしかめて離れるところだろう。


 だが、ツムギは違った。

 彼女は俺の胸に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。


「ジンのにおいと……血のにおい……」

「臭いだろ? すぐ洗ってくるから」

「ううん……平気」


 彼女は顔を上げ、潤んだ瞳で俺を見つめた。

 その瞳の奥には、安堵だけではない、何か暗く重たい熱のようなものが宿っていた。


「私のために……傷ついたの?」

「え? いや、まあ、仕事だからな」

「私のために……血を流してくれたの……?」


 ツムギの手が、俺の頬に触れる。

 泥で汚れた俺の頬を、彼女の白く細い指が愛おしそうに撫でた。


「ジンは、私を見捨てない」

「当たり前だろ」

「私のために傷ついて、私のために帰ってきてくれる」


 彼女は恍惚とした表情で呟いた。

 それはどこか、歪で、危うい美しさを秘めていた。


「嬉しい……ジン……大好き……」


 彼女は俺の首に、残った一本の腕を回して抱きついてきた。

 華奢な体からは想像もできないほど、強い力だった。


 俺は少しだけ背筋に寒気を感じた。

 けれど、それ以上に彼女の孤独と不安を埋めてやりたいという気持ちが勝った。


 俺は彼女の背中を優しく撫で返した。


「ああ。俺は絶対にお前を見捨てないし、必ず治してやるからな」

「うん……ジン……ずっと一緒……」


 ツムギは俺の首筋に顔を埋め、何度もその言葉を繰り返した。

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過酷すぎる異世界で欠損少女を治したら病んだ狂犬と化した AteRa @Ate_Ra

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