第5話 夏の光

 半年後。夏。

 激しい蝉時雨が降り注ぐ中、雪華は新しい家の完成見学会に招かれていた。


 入道雲が湧き立つ空の下、真新しい外壁が白く輝いている。

 若い夫婦――あの老女の孫娘とその夫の家だ。


 玄関を入ると、ひんやりとした空気に包まれた。

 断熱の効いた涼しい空間の中に、ふわりと木の香りが漂う。新築特有の匂いに混じって、どこか懐かしい、乾いた古木の香りがした。


 リビングへ続く廊下の先、二階へと上がる階段に目が留まった。

 そこには、あの洋館の階段の手すりが、長さを調整されて再び設置されていた。

 飴色の艶が、白い壁と美しいコントラストを描いている。そっと手を添えてみる。掌に吸い付くような、緩やかな曲線。百年の時を経て多くの人に撫でられ、磨かれた滑らかさが、汗ばんだ手に心地よかった。


 リビングに入ると、日焼けした顔の男性が歩み寄ってきた。あの電話の設計士、相田だ。

「雪華さん、よく来てくれました。暑かったでしょう」

 彼はタオルで額を拭いながら、興奮気味に天井を指差した。

「見てください、あれ」


 そこには、洋館の居間にあった太い欅(けやき)の梁が架かっていた。

 焼夷弾の焦げ跡も、あえてそのまま残してある。白い天井と、窓から射し込む強烈な夏の光。その中で、黒い傷跡を持つ古木が、空間全体にどっしりとした影と深みを与えていた。


「現場で大工と大喧嘩しましたよ。『こんな硬い古木と格闘させる気か!』って。鑿(のみ)も一本ダメになった」

 相田は苦笑しながらも、誇らしげだった。

「手すりの取り付けも苦労しました。今の階段とは勾配が全く違うから、職人が腕によりをかけて調整してくれたんです」

「いいえ、受け入れてくれてありがとうございます。……素晴らしい空間です」

 二人は顔を見合わせ、同志として笑い合った。


 そして、リビングの一角。

 南向きの窓のそば、家族が集まるダイニングの脇に、作り付けの棚が設えられていた。

 その中心に、あのランプが置かれていた。

 綺麗に磨かれた真鍮が、夏の強い光を反射して黄金色に煌めいている。


 麻のワンピースを着た老女が、その前に立っていた。

「おばあちゃん、どう?」

 孫娘が尋ねる。老女は目を細め、愛おしそうにランプに触れた。

「ああ、懐かしい。……まるで、あの家がここに引っ越してきたみたい」


 老女は振り返り、雪華を見つけた。その表情は、冬の日の寂しげなものではなく、向日葵のように晴れやかだった。

「雪華さん。本当にありがとう。私の思い出も、祖父母の願いも、全部ここにあります」

 孫娘も頭を下げる。

「この梁を見るたびに、家族の歴史を感じます。大切にします。ずっと」


 雪華の胸が、熱くなった。外の暑さのせいではない。

 繋がった。

 建物という「箱」は消えた。物理的な形は失われた。

 だが、そこに込められた記憶、願い、そして「中身」は、新しい器に移され、生き続けている。


 帰り道。雪華の手には、自分の新しいプロジェクトの図面があった。

 今度は、地方にある古い石蔵の再生計画だ。クライアントは取り壊しを検討していたが、雪華は「クライアントの要望通り建て替えのプランAと残すべきであると熱く語りかけるプランB」の提案書を書いた。



 雪華は歩きながら空を見上げた。

 突き抜けるような青空。太陽が眩しい。

 あの雪の日は、もう遠い過去のようだ。


 雪華。雪に咲く花。

 祖母が名付けてくれた、この名前。

 かつては、冷たい雪の中に埋もれるだけの名前だと思っていた。

 でも違う。

 雪は溶け、大地を潤し、やがて夏の草木を育てる水となる。

 巡り、形を変え、命を繋いでいく。

 それが私の役目だ。


 全てをそのまま残すことはできない。時代は変わる。街は変わる。

 でも、大切なものを拾い上げ、埃を払い、次の時代に手渡すことはできる。

 それが、建築家としての私の戦い方だ。


 あのランプは今夜も、新しい家族の団欒を照らすだろう。


 雪華は、静かに微笑んだ。

 眩しい夏の光の中で、確かな一歩を踏み出した。


(了)

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時を継ぐ魔法のランプ 木工槍鉋 @itanoma

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