第4話 継ぐもの

 雪華は携帯を取り出し、老女から聞いた番号に電話をかけた。

 相手は、老女の孫娘だった。


「突然のお電話ですみません。建築家の雪華と申します」

 雪華は早口にならないよう努めながら、しかし熱意を込めて事情を説明した。

 明日、この家が取り壊されること。祖母がどれほどこの家を愛していたか。そして、この家にはまだ「生きている」部材があること。


「提案があります。この家の記憶を、新しい家に移植しませんか」

『移植、ですか?』

 孫娘の戸惑った声。

「はい。使える部材があります。梁、階段の手すり、床板、そしてランプ。それらを、あなたが建てる新しい家の設計に組み込むんです」


『そんなことが……おばあちゃんが喜ぶなら、ぜひお願いしたいです。でも、もう設計も決まっていて、来月には着工なんです』

「設計担当の方に、連絡してもいいですか?」


 数分後、電話口に出たのは男性の声だった。

『……もしもし。設計担当の相田です』

 明らかに不機嫌そうだった。低い声には警戒心と、「面倒くさい」という感情が滲み出ている。

『あのね、雪華さんと言いましたか。お気持ちは分かりますが、もう確認申請も降りて、プレカットの図面も確定してるんです。今から古材を使う? 納まりの変更だけでどれだけ手間か分かるでしょう』


 当然の反応だ。プロなら誰でも嫌がる。工程の遅れ、寸法の狂い、施工の手間。

 だが、雪華は引かなかった。ここで引けば、この家の百年はゴミになる。


「写真を送ります。見てから判断してください。建築家として」

 雪華はタブレットで撮影した梁と手すり、そしてランプの写真を送信した。


「リビングの吹き抜け、まだ梁の変更は効きますよね。この梁、百年前の本物の欅(けやき)です。今の市場じゃ、この太さと乾燥状態のものはまず手に入りません」

 電話の向こうで、沈黙が落ちた。


「……欅?」

「ええ。しかも、焼夷弾の焦げ跡付きです。これをあえて隠さずに『見せ梁』にするんです。新築の建物に、百年の歴史という『傷』が入る。空間の深みが劇的に変わります」

 相手の息遣いが変わったのが分かった。面倒臭さよりも、クリエイターとしての本能が刺激され始めている。


『……寸法は?』

「四寸の十寸。長さは二間(にけん)飛ばせます。手すりのアールも、職人の手仕事です。今の既製品じゃ絶対に出せない曲線です」

 受話器の向こうで、図面をめくる音がした。紙のこすれる音が、雪華には希望の音に聞こえた。


『……面白い。その梁は設計からサイズアップになるので構造的にはむしろ強くなる、リビングのメインに据えましょう。手すりも構造に関係ないので転用できるかもしれない』

 声のトーンが、熱を帯びていた。

『いや、実はリビングのアクセントに悩んでたんです。綺麗すぎるというか、味気なくて。……それだ。それしかない』

「でしょう? 絶対にいい空間になります」

『やりましょう。図面はこっちで今夜中に書き直します。大工には僕から頭を下げます。急いで運んでください』

「ありがとうございます」


 電話を切った雪華は、小さくガッツポーズをした。

 すぐに上司に連絡を入れる。

「解体前に、一部の部材を回収します。譲渡先は決まりました」

「はあ? 雪華さん、また面倒なことを……解体屋さんには自分で説明してくださいね。」

「解体業者さんには私から説明します。搬出は私がやります。」

 呆れたような溜息。「勝手にしろ」という許可。


 雪華は老女に向き直った。

「守ることはできませんでした。建物は、なくなります」

 雪華は真っ直ぐに老女を見た。

「でも、継ぐことはできます。向こうの設計士さんも、やる気になってくれました。お孫さんの家で、この梁もランプも、また生き続けます」


 老女の目から、再び涙が溢れた。今度は、悲しみの涙ではなかった。

「ありがとう……ありがとう」


 夕暮れ。

 雪華は最後の作業をしていた。ランプの芯を整え、オイルを入れる。

 マッチを擦る。シュッという音と共に、小さな炎が生まれた。

 ガラスのホヤの中で、炎が安定する。温かい光が、薄暗い部屋に広がった。

 百年前と、同じ光。


 雪華は窓の外を見た。重機のエンジン音が聞こえる。

「さあ、行こう」

 雪華はランプを手に取った。

 家は消える。でも、魂は次の場所へ行く。

 雪華の手の中で、光は強く、力強く輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る