第3話 ファーストキスはどんな味?

 人間、心の底から驚いたときは、なにも言葉が出てこなくなるらしい。


 いまの私がまさにそれだった。



 十万円。


 考えるまでもなく、それは高校生にとっては大金だ。


 それを惜しげもなく差し出してくるなんて、どう考えてもおかしい。あまつさえ……



「これあげるから、私の彼女になってよ」


 そんなことを言ってくるなんて、どうかしているとしか思えない。


「はい……っ?」


 声が上擦る。


 どうすればいいのか分からずに立ちつくしていると、天上院はまた私との距離を詰めてくる。


 唇が、また重なった。同時に、私のスカートのポケットに手を入れられる。


 薄い布一枚を隔てた状態では、直接触られたような感触だ。ビックリしてまた突き飛ばしかけたものの、思っていたよりも力が強く、私はその場に押し倒されてしまった。



「ちょ、ちょっと……なんのつもりっ!?」


 混乱のなか、ようやくそれだけを口にすることができた。


 が、天上院はキョトンとした顔で小首をかしげて、


「だって、はいって言ったでしょ? さっき。私の彼女になってって言ったら」


「そ、そんなこと……っ」


 言った。


 言った、けど。



「そういう意味じゃないって! 言葉の意味が分からなくて訊き返しただけで……んむっ」


 言ってるあいだにまた唇を塞がれる。


 ヒロインがしゃべっているところを、キスで黙らせる。


 私が持っている少女マンガに、そんな展開があった。でも、自分がおなじ状況に置かれるだなんて、どうしたって予想できるわけがない。



 待って待って。おかしいおかしい。なんでこんなことになってるの!?


 ぐるぐるぐるぐる。


 頭の中を混乱が駆け回る。



 それからのことは、よく覚えていない。


 靄がかかったような意識のなかで、天上院を強引に押しのけて、教室から逃げたような記憶がある。


 いつの間にか私は昇降口にいて、息を切らして心臓はかつてないくらいにはやく強い鼓動を打っていた。



 なんだったんだろう、さっきのは。新手のイラがらせ? いや、そんなわけないか。


 すこし落ち着きを取り戻すと、私はこれからバイトに行くところだったことを思い出した。



 こんな調子で行けるかな……


 でも、当日に欠勤なんて無責任なことはできない。行くしかないわけだけど。


 バッグを教室に忘れてきたことに気づいた。とはいえ、取りに行く気にはとてもなれないのだった。




 バイトをしたり勉強したりご飯を作ったり、そんなことは単なる流れ作業だった。


 アパートへ帰った私は、いつの間にか布団に入っていて、気づけば夜は明けていた。


 結局、一睡もできなかった。理由は考えるまでもない。



 そっと唇に触れる。自分の指のぬくもりが呼び水となって、天上院の感触がよみがえる。


 ていうか、ファーストキスだ、私。


 私だって年頃の女子だ。ファーストキスにはそれなりに夢もあった。


 好きな人と、ロマンチックな場面で……みたいな漠然としたものだけど。


 初めての感触は生暖かくて、ちょっと気持ちが悪い。でも、それほどイヤではなかったような……



 いやいや! そんなわけないじゃん! いきなりキスとかバカじゃん! 頭おかしいじゃん!


 ……もう起きよう。


 起きて、ご飯作って、自分とお母さんのお弁当作らなきゃ。



 布団から出てカーテンを開ける。しかし、朝日はそれほど差し込んでこない。


 先月隣にできたマンションのせいだ。明らかに金持ちむけ、高級志向のそのマンションのせいで、私が住むアパートには太陽が差し込まない時間ができてしまった。


 日照権侵害を主張する住人もいるけれど、できてしまったものはもうどうしようもない。



 素早く制服に着替えて、いつもどおりスカートを短くする。……しようとして、気づいた。


 スカートのポケットに、なにかが入っていた。なんだろうと思い、見てみると……


 驚きのあまり、固まってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る