第5話:めざし大好きオタクくん
オタクくんの家の壁にかけられた時計が、控えめな音で時報を鳴らす。
時刻は、11時30分。どうやら30分おきに音が鳴るタイプらしい。
すっかり夜中だ。学生の身分では、流石に寝ないといけない時間でもある。
だけど、寝たら全部夢になってしまう気がして、誰も眠れなかった。
寝てしまったら、オタクくんが消えてしまう気がして。
それを察したのか、オタクくんは静かに立ち上がった。
すでに死者であるオタクくんにとって、自分との時間のために私たちが無理をする、というのは、忍びなかったのかもしれない。
「そろそろ12時か。シンデレラの時間は終わりだな」
その言葉を合図に、二人の魔法少女もオタクくんの隣に寄り添うように立つ。
シンデレラ。
その意味を、たぶん誰も誤解しなかった。
12時になれば魔法は解ける。
もう一度オタクくんに会えた奇跡が、終わってしまう。
「もう異世界に行くのかよ」
名残惜しそうに呼び止める阿部くんに、オタクくんは少し寂しそうに頷いた。
「ああ。帰って寝る。……また遊びに来るよ」
そう言ったオタクくんの足元に魔法っぽい光の文様が浮かび上がった直後、オタクくんのお母さんが言った。
「泊っていきなさい。明日の朝ご飯は九郎の好きなめざしだよ」
「え、マジ?」
魔法の文様が、一瞬で消えた。
なんかカッコつけて帰ろうとしてたオタクくんは、めざしのために足を止めた。
「オタクお前めざしに釣られるのかよ……」
阿部君が呆れたように苦笑するが。
「異世界は行商とか交易みたいなのがほぼ壊滅状態なんだ……」
オタクくんは深刻な顔で言った。
「予備動作なしでマッハパンチしてくるような山賊がちょくちょく出没するから危険すぎて行商なんてできなくてさ……。そのせいで、魚が食いたかったら海辺か川辺に行くしかないんだよ。米の飯にめざしとかマジで贅沢だからな」
オタクくんの『贅沢』という言葉は、とても重かった。
安全と技術に裏打ちされた現代の食生活は、そうじゃない世界からすればもはや王侯貴族とか神の食卓だろう。
せっかくならシャケにしてとか朝はパンがいいとかそういう事を言う余地は、異世界にはなかったに違いない。
「こっちにいる間くらい贅沢しなさい。その様子だと布団も硬かったんじゃない? もう部屋に布団敷いてあるよ」
そう促すオタクくんのお母さんに、オタクくんは心底嬉しそうに苦笑する。
「ありがとう。……逆に眠れないかもな」
逆に眠れないというのは、まあ、ちょっとわかる。
旅行先のホテルのベッドが上等すぎてうまく眠れない経験は私にもある。
「じゃ、俺たちもこの辺で……」
階段を登ろうとするオタクくんをみて、名残惜しそうに立ち上がる阿部くんと伊達くんに、オタクくんのお母さんは優しく微笑む。
「ご家族には電話してあるから、阿部くんも伊達くんも、春日井さんも、よかったら泊まっていってね。男の子は九郎の部屋、女の子は客間にお布団用意してあるから」
「マジすかいいんすか」
「ありがとうございます!」
直後、阿部くんと伊達くんはオタクくんを追い抜いてオタクくんの部屋に駆け込んだ。
「エロ本チェックの時間だオラァ!」
どうやらオタクくんの部屋でエッチな本を漁るらしい。
「まあ、持って帰ってもミリアに燃やされるだけだし、好きに持っていけよ」
オタクくんは肩をすくめて階段を上っていった。
エロ本、あるんだ……。
「じゃあ、女の子たちは客間へどうぞ」
オタクくんのお母さんは動じることなく、3つの布団が敷かれた客間に私と魔法少女2人を通してくれた。
それから、しばらくして。
寝付けない。
電灯の消された真っ暗な天井を見上げて、私は早鐘のような心臓の音に眠りを妨げられている。
今日はいろんなことが同時に押し寄せすぎた。
そのうえ、異世界の魔法少女がすぐ隣で寝ている。
眠れる程度の冷静さを取り戻すのは、無理かもしれない。
そう思ったとき、横で寝ている魔法少女が声をかけてきた。
「カスガイは、クロウのこと、好きじゃないのです、よね?」
それは、オタクくんのことが大好きな、私が恋敵なのかどうかを探ろうとしている女の子の質問だった。
「友達としてはともかく、恋愛は無理かなーって感じだったよ」
そして私は、一度はその娘を安心させる答えを口にして。
「……昨日までは」
すぐ訂正した。
私は、魔法少女ミリアに、オタクくんと10年の時間を積み重ねてきた、オタクくんに誰より信頼されている女の子に、間違いなく嫉妬していたから。
「……ふむ、困ったなミリア、49人目のライバルだ」
もう一人の魔法少女アリアが、言葉とは裏腹にあまり困っていない様子で聞き捨てならないことを口にした。
「そんな坂道系アイドルみたいな人数たらし込んでるの!?」
つい、声が大きくなる。
49番目の女とか、坂道系アイドルの先駆けですら番外扱いされてたレベルだ。
最初にオタクくんに出会ってたのは、助けられたのは私なんだぞ、なんて、ろくでもないことを口走らずに済んだのは、幸運だった。
……オタクくんを振っておいて言うそれは、間違いなく最低の負け惜しみなのだから。
「ねぇ、オタクくんは異世界で何したの? そんなに女の子にモテるタイプじゃないと思うんだけど……」
私が尋ねると、二人の魔法少女は少し考え込んだ。
「クロウは確かに欠点だらけの男だ。だが、欠点だらけの男だったからこそ救うことができた人も多い、ということかな」
はぐらかすような魔法少女アリアの答えに、つい、ムッとしてしまう。
付き合いが長いらしい魔法少女ミリアだけでなく、まるでオタクくんの理解者は自分だ、とでもいうような魔法少女アリアにも、私は嫉妬しているらしい。
「……例えば、どんなことしたの?」
ふむ、と考え込んで、魔法少女アリアはふふっと小さな笑い声をもらした。
「例えば、双子の妹を守るために妹を突き放して一人で戦っていた魔法少女に『そんな安っぽいお涙ちょうだいなB級アニメは見飽きてるんだよヴォケェッ!』とか言いながら顔面殴ってきたり……」
やけに具体的だった。
とゆーか双子の魔法少女という時点で明らかに実体験だった。
そんな理由でこの姉妹は敵対していたらしい。
「10年越しにようやく和解できた双子の姉をかばって魔女に乗っ取られた魔法少女に『今助けてやる、奪われた君の体、俺が消してやる! くぅ〜! 一度言ってみたかったんだよなこれ!』とか言いながら満面の笑みで斬りかかってきたり……」
要するに惚気だった。
オタクくんは和解したのが先週とか言ってたはずなので、もうほんの最近のことだった。
「つまり、ミリアとアリアはそんな感じでオタクくんに10年かけてこんがり焼かれて、黒焦げレベルで恋焦がれてますってこと?」
確認する私の声には、少なくない呆れが混じっていた。
「そうだね。クロウはいつもそうだった。敵対していたのに、ボクにまで優しかったよ」
「でも、私達姉妹だけに特別優しかったわけじゃないのです」
しかし、それに応える魔法少女たちの声はどこまでも穏やかだった。
……顔面殴ったり斬りかかったりするのが優しいかはさておき、オタクくんはなんやかんやで異世界を満喫し、そのついでに、そのつもりもない人助けと女たらしに励んでいたらしい。
「そんな感じで、オタクくんに夢中になっちゃった女の子がいっぱいいるわけだ」
何やってるんだか、という呆れと、オタクくんらしいな、という安心を覚えて、それでようやくそれで落ち着いて。
「ふわぁ……」
私はやっと、遅すぎる眠気を感じることができた。
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