アネモネの呪い
雅 千晴
第1話
貴方が私の元から離れて行くって言うから。だから最後に呪いを掛ける事にしたの。
あなたの人生に私を刻み付ける為の、ささやかな呪い。
机に並べたのは、沢山のアネモネの花。赤、白、紫……。
春に彩りを与えるその花は、食卓の上も申し分ない程に彩ってくれる。
濃淡のある花弁や単色の花弁。同じ花なのにその表情は様々で、見ていると自然と顔がほころぶのが分かる。
そっと指先で花弁を撫でると、私は夕食の準備に取り掛かった。
今日は彼と過ごす最後の夜になるから、今までで一番豪華な夕食にするつもりなのだ。
一緒に過ごした10年で二人笑いながら"美味しいね"と話した沢山の料理を。
彼には「最後にちゃんと話そう」と伝えてある。
私に何も言わずに家を出て行ってから1週間になるが、その間何も話せて居なかった。
突然別れを告げられてから初めての顔合わせ。いつも通りに接する事が出来る自信はなかった。
だからその不安をかき消すように、一心不乱に料理を続ける。
昔散々失敗したメニューも、もう失敗する事なく作る事が出来る様になった。
失敗作は二人で顔をしかめながら食べたよね。まずかったのに、美味しい美味しいって暗示を掛ける様にして二人で……。
食材を刻む包丁の音が静かな部屋に響く。
一定のリズムで鳴るそれは、同時に懐かしい過去の記憶を蘇らせる。
それらは全部私が愛した日常の記憶。
失った今なら分かる。
何気ない日常で、退屈だと思っていたあの日々こそが私が愛していたものなのだろう。
もう戻らない。
戻れない。
涙で視界が歪み、包丁をそっと置く。
そしてそのまま手で顔を覆った。
ジーンと鼻の奥が痺れ、同時に熱い涙が瞳から零れ落ち、頬を擽る。
あぁ、泣いてしまった。
今日は絶対に泣かないって決めたのに。
唇は震え、嗚咽が漏れる。
涙と共に思い出も溢れて来て、再び料理に取り掛かれるようになるまでに少し時間が掛かってしまった。
次々と出来上がる料理を、アネモネで彩られたテーブルに並べて行く。
栄養バランスの考えられていない料理は、決して二人で食べきれる量ではないだろう。
それでも、作った事に意味がある。
この沢山並んだ料理を見て彼はどんな顔をして何を思うのだろうか。
きっとその時の彼の顔が私の脳内に最後の記憶として刻まれるのだろう。
しかしそれは彼にも言える事だろう。
今日の事が“私たちの最後”として彼の記憶に残るはず。
それなら、料理だけじゃなく私自身も最後に相応しい格好をしなければ。
白いワンピースを身に纏う。
純白な布は私を清楚に見せてくれた。
普段着ない服だったけど、案外シンプルも良いかも知れない。
そんな事を考えながらも、メイクポーチを手に取り化粧を始める。
いつもより綺麗な私になれるように、丁寧に丁寧に。
ひとつの絵を完成させるが如く、化粧を重ねた。
鏡の中の私はどっからどう見ても私だとは思えない程に綺麗になっていて。
誇張した表現になってしまうのだろうが、テレビに出ている女優さんのようだった。
自分の顔の出来に満足した私は徐に時計を見た。
時計の針はいつの間にか18時を回っていて。
そろそろ彼は帰って来るだろうか?そんな事を考えた刹那、携帯が鳴る、彼からのLINEだった。
《仕事終わった》
あまりにもそっけない一言だった。
それでも帰る前に連絡をくれたのがうれしくて、私は笑みをこぼすと立ち上がりキッチンへ足を運んだ。
鍵を回す音がして、キッチンに顔を覗かせたのは1週間ぶりに見る顔だった。
帰宅した彼は私の姿を認めると共に息をのんだ。
「おかえりなさい」
振り返りつつ笑顔を向けると、彼があからさまに動揺したのが見て取れた。
そうだよね、動揺するよね。
今日の私はここ数年で一番綺麗なの。あなたとの別れを受け入れる為に自分を飾ったの。
でもお願い、目を逸らさないで??私を見て。
この私を、今の私をその目に焼き付けて欲しい。
「あ、ただいま……。この料理どうしたの?」
「仕事終わりに何を食べたいか分からなくて、手当たり次第作ってみたの」
「そうなんだ」
スーツの上着を脱ぎ、彼は椅子に腰を掛けると箸を手に取り料理を突き始めた。
用意した取り皿に少しずつ料理を盛り、口に運んでいく。
口に入れては「美味しい」と小さく零し、次を口に運ぶ。
美味しそうに食べる姿を見つめ心に刻み込むと、私も席に着き箸を手に取った。
「この料理、何度も失敗してたよね」
私の言葉で彼も昔の事を思い出したのか、顔を綻ばせた。
「懐かしいな。俺が好きな料理だからって練習してたよな」
そうね、なんて言いながら、私は喉の奥に熱い塊が込み上げてくるのを感じていた。
何か話そうとすると声が震えてしまう気がしたので、料理を飲み込んでそれをごまかそうとする。
沢山作ったはずの料理はそれでも半分になっていて。
こんなに食べれるなんて思っていなかったが、自分の料理を沢山食べて貰えたのが何よりも嬉しかった。
食べ終わって一息ついた私たちは話す話題も無く、かといって本題に触れるには心の準備が出来ておらず。
しばらく沈黙が続いた。
一瞬か、はたまた長い時間だったか続いた沈黙を破ったのは彼だった。
彼は机に沢山置かれたアネモネの花を見つめて、これは?と訪ねて来る。
「綺麗でしょ?好きかなって思って」
出来るだけ静かに笑みを作る。
本当は彼は花なんて好きじゃない。
だけど彼が新しい女の人の家の庭で一緒にこの花を愛でていたのを知っていたから、敢えてこの花を選んだのだ。
彼は私がそれを知っているのを知らずに、綺麗だね、と答える。
「こんなに綺麗なら俺、名前覚えられそう」
「アネモネって名前の花だよ」
花弁を撫でながら教えてあげる。
彼は何度か花の名前を口に出して言うと、覚えられたのか屈託のない笑みを浮かべた。
「ありがとう、可愛い名前の花だね」
「あともう一つ教えてあげるね??」
近くのアネモネの花を彼に手渡す。
「花にはそれぞれ花言葉があるの」
私は彼の背後に回り、その体に腕を回し耳元に口を寄せ、囁く。
「“見捨てられた”」
そう、アネモネの花言葉のひとつが「見捨てられた」なのだ。
まさに今の私にはぴったりだろう。
薄笑いを浮かべた途端、彼は私の腕を振り払って立ち上がる。
「なんのつもりだよ……!!」
「……別に。貴方との別れを受け入れただけだよ」
数歩後ろに下がりつつ、私はそれでも笑顔を作る。
私のその様子に彼は眉を顰めスーツの上着を羽織った。
そして流れる様にポケットから何か取り出すと机に叩き付ける様にして置く。
「別れてくれるならそれでいい。じゃあな」
そうして彼は去って行った。
私の前から、永遠に。
これで本当にさようならだ。
(だけど)
彼はまだ知らない。
これは呪いなのだ。
あの花を見る度にきっと花言葉を、私を思い出す。
今までで一番綺麗だった私を思い出す。
自分の好きな食べ物を食べる度に私の事を思い出す。
貴方の好みの味付けを理解してる私が作ったのだ。
簡単には忘れさせてあげない。
次の子と仲良くしてる時でも、その心を犯してあげる。
この花もこの料理もこの服もこの顔も、全部その為に用意したの。
私を裏切り見捨てたのだ。
私はもう貴方に近付かない。
関わらない。
(あなたの心に私を刻めたから)
だからもうこれで良い。
「さようなら」
さようなら、私の10年間の思い出達。
貴方の事、本当に愛していたよ。
最後にもう一つ教えてあげる。
アネモネの別の花言葉はね、
「“はかない恋”」
アネモネの呪い 雅 千晴 @Chiharu_Miyabi
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