第3話  大津皇子の話

 私は、奈良県のことは詳しくありませんが、それは現代の地理においてです。


 東大寺や、平安神宮、法隆寺があることくらいはさすがに知っていますが、もともと、方向音痴ですし位置的のことなど全く分かりません。


 それでも、歴史的なことになると話は別です。

 わたしは、小学校で万葉集を習い、中学校で習った『壬申の乱』辺りの日本史が大好きでした。


 大人になって、その辺りの時代の漫画も見つけて、読みふけっていました。


 みなさん、大津皇子おおつのみこという皇子を知っていますか?

 天武天皇の第三皇子です。

 天武天皇は、日本の第40代天皇です。そして、皇后は後の持統天皇です。

 でも、大津皇子おおつのみこの母親は、持統天皇と同じ人で姉に当たる人でした。

 持統天皇と天武天皇との間にも一人息子、草壁皇子くさかべのみこがいますが、後に皇太子になっています。


 本来なら、持統天皇のである太田皇女おおたのひめみこが皇后になっていたはずですが、彼女は早逝してしまうのです。


 文献からは、穏やかな性格で、舎人とねりたちからも慕われていた草壁皇子と、文武両道で人望の厚かった大津皇子。

 しかし、姉の大伯皇女おおくのひめみこは伊勢の斎宮に差し出されることになりました。


 つまり、後ろ盾が乏しかったのです。

 彼に、野心があったのか、持統天皇が彼を恐れたのか分かりませんが、686年9月に天武天皇が崩御すると、10月に謀反の疑いをかけられて、翌日に自害させられます。


 遺骸は、初めは雑に扱われたそうですが、後に、二上山ふたかみやまに弔われたそうです。


 姉の大伯皇女おおくのひめみこは、悲劇的に亡くなった弟に対して、和歌を遺しています。


【うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟と我が見む】万葉集より


 意味はなんとなく分かると思います。

 現実世界に生きる私は、明日からは、二上山ふたかみやまを弟だと思いましょう……というところでしょうか。


 この辺の歴史の史実が詳しく知りたくて、図書館や本屋巡り、果ては年表も買いました。


 私は実は、草壁皇子のほうが、気になってたんですけどね。

 天武天皇の皇太子のまま、即位することなく大津皇子の死後2年半後に亡くなってしまいます。

 彼の葬儀には、舎人が20名以上偲びの和歌を遺しています。(優しい人だと思われます)


『ふたかみやま』とは、昔のやまと言葉の『にじょうさん』の呼び方だと家に帰ってから、ググって知りました。




(完)

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二上山は『ふたかみやま』としか読めません! 月杜円香 @erisax

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